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第4話(後編)
旭たちは、きっかり5分で優真の待つ場所へとたどり着いた。路上に乗り捨てられた小ぶりの自転車。優真の言っていた通り、後輪の泥除けに名前が書かれたシールも貼ってあり、特徴から言ってあの少年の自転車に間違いなかった。
「田村、一応盗品照会しておいてくれ」
「了解です」
田村が警察署に無線を入れる。盗品と思われる自転車を発見したことを報告し、防犯登録番号から盗品の該当がないか照会してほしい旨を依頼する。
しばらくして、本署からの回答が送られてきた。照会結果、盗品の該当あり。手配は今日。間違いない、旭たちが被害届を受理した、あの少年の自転車だった。
「ありがとう、菊池くん」
旭が優真に向かって頭を下げる。
「本当に助かった。交番に持って帰って、早速返す手続きをするよ。あの子もきっと喜ぶと思う。本当にありがとう」
優真はいやいやと、顔の前で手を振る。恐縮しているようだ。
「そんな、やめてください。僕が無理言って手伝わせてもらったことなんですから」
そう言いながらも、優真の顔は嬉しそうにほころんでいた。
自転車には、鍵がついたままだった。故障もなく、パンクもしていない。
「田村、お前、これ乗れるか? 交番まで」
「いや、ちょっと、勘弁してください。頑張れば乗れなくもないですけど、小さすぎて……」
「だよなぁ。じゃあ、申し訳ないけど、交番まで押して帰ってきてくれ。俺は先にパトで帰って、返還の準備しとくから」
「やっぱり、そうなりますよね……」
田村はそう言って、早速自転車を押して歩き始めた。その背中は、心なしかうら寂しく見える。
「遅くまでありがとう、菊池くん。ここから先は、こっちでやっておくよ」
旭は改めて優真に礼を言うと、頭を下げた。被害者に連絡して、被害品を返す手続きには書類を作る必要がある。その被害者だって、今日すぐに受け取りに来るとは限らない。ここから先優真にしてもらうことは特にはないし、あまり遅くまで付き合わせるのも申し訳ない。今日はもう帰ってもらった方がよいだろうと、旭は思った。
「いえ。最後まで、見届けさせてください」
旭の思惑に反し、優真はきっぱりと言い切った。街灯のわずかな明かりの中、旭をまっすぐに見据えるその目にははっきりとした意思が見て取れる。
「僕は、個人的にもあの親子から依頼を受けました。結末を見届ける権利が僕にはあると思います。お願いです。もうしばらく、自転車を返すところまで、付き合わせてください」
「いや、でも、何時に終わるか分からないし……」
「ちょっとぐらいなら、待ちます。多少は遅くなっても僕は大丈夫ですから。お願いします」
さっきとは逆に、今度は優真が頭を下げる。そこまで言われると、旭としては断る訳にもいかなかった。優真があの親子と個人的な約束をしているのであれば、その関係性について警察がどうこう言う権利はない。
「分かったよ。それじゃあ、もうしばらく付き合ってもらおうか」
旭はそう言って、ミニパトの後部座席のドアを開ける。
「乗ってくだろ? あまり乗り心地のいい車じゃないけど」
優真は「ありがとうございます!」と朗らかに返事をすると、広くもないミニパトの後部座席へと踊り込んだ。
連絡をすると、あの親子はすぐにやって来た。
「ありがとう、おまわりさん! ありがとう、おにいちゃん!」
男の子の、歓喜に満ちた声が交番中に響いていた。外を行き交う歩行者が、何事かと交番の中を横目で覗いていく。
「ありがとうございます。まさか見つけてもらえるなんて、しかもこんな早くになんて、思ってもみませんでした。本当にありがとうございます」
返却手続きを終えた母親が、旭と田村に向かって礼を述べ、頭を下げる。
「いえ、私たちは何も。見つけてくれたのは、この菊池君ですので。お礼を言うなら菊池君に」
旭が告げると、母親は改めて優真に向かって頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
「いえいえいえいえ、そんな、たいしたことは」
礼を言われて面はゆいのか、優真は照れたような困ったような顔をしていた。
「あの、どうやって見つけてくれたんですか?」
母親が、礼に続いて優真に問いかけた。それは旭も気になっていた点だ。少し細い道を重点的にと、探す場所を決めていたものの、何故優真が自転車を見つけることが出来たのか。偶然あの場所を通りかかったのだろうか。
「あ、それはですね」
照れ笑いを引っ込めた優真が、説明を始めた。
「最初は、結構やみくもに探し回ってたんです。けど、それじゃきりがないなと思って。自転車、大人が乗れるようなサイズじゃなかったですよね? 乗っていったのは、多分子供だろうなって」
確かに、田村が乗るには難しいサイズだった。一般的な身長の大人ではまず普通には乗れないだろう。
「じゃあこの辺りで、子供が集まる場所はどこだろうって考えたんです。子供が集まる場所、そして自転車を盗んででも急がないといけない場所」
優真がいったん言葉を切ると、自身のスマートフォンを取り出した。
「検索したら、周辺にいくつか学習塾がありました。その中から、小学生が対象のクラスがあるもの、そして夕方からの講義があるものを調べて、その周辺を探して回ったんです。それで、たまたまあの場所で見つけました。おそらく、塾に遅刻しそうになった子が、鍵のかかっていない自転車が目に入ってしまって、それでつい盗んでいったんじゃないかなって。そう思います。盗んだ自転車を堂々と塾の駐輪場に停める度胸はなくて、近くまで来たところで路上に放置した」
ほぉ~っと、その場にいた優真以外の全員が、嘆息した。
そこまで考えて探していたのなら、それはもう「たまたま」ではないのではないか。旭は恐れ入ってしまう。以前、高校の教員が優真のことを「成績は良い」と言っていた。頭が回るのだろう。ひるがえって、本業である自分は、そこまで考えて探していただろうか。自分こそ、ただやみくもに探し回って時間を浪費していなかったか。
優真が話し終わり、しばらくして親子が帰っていった。男の子は終始嬉しそうに笑顔を浮かべ、自転車を押しながらも何度も交番を振り返っては手を振っていた。無事に自転車を返すことが出来、旭はほっとする。あたりはすっかり暗くなっていた。
一緒に親子を見送っていた優真が、旭の隣でつぶやく。
「やっぱり佐倉さん、優しいですよね」
夕方、交番内で旭を見つめながら言ったことを、また繰り返す。
「そんなことないよ。いたって普通だ」
まっすぐ見つめ合ってない分、旭は若干冷静に返事が出来た。
優真は何故そんな風に言うのだろう。旭がちらりと優真を見ると、優真はまだ少年の消えていった暗い通りを眺めていた。
「優しいんですよ、佐倉さんは。普通の警察官は、盗まれた自転車を探すのに、ここまで頑張ってくれないですもん」
それは、そうかも知れない。警察官にとって、自転車の盗難はありふれた事件だ。一々全力で取り組んでいては、正直なところ身が保たない。被害届を受理したあとは特に探そうともせず、放置されていたら盗品の照会をする。そんな対応が多いかも知れない。探しに行く前、田村を叱りつけたが、どちらかと言うと旭のやり方の方が少数派だ。
「……いや。警察官なら、被害者の立場に立って被害品を探すのは当たり前だよ」
そう答えたものの、どことなく歯切れが悪い。
優真が、旭に向き直った。つられて旭も、優真に正対してしまう。距離が近い。夕方、カウンター越しに目が合った時はまだ距離があったが、今は50センチ程度しか離れていない。近すぎる。
また、優真の瞳に強い意志を感じる。目力とでも言うのか。どぎまぎしてしまうため目を逸らしたいのに、それを許さない、惹きつける力がある。緊張して、体の自由が効かない。
「あの、菊池君……」
帰宅を促そうと思ってはいるものの、旭はかろうじて、優真の名前を呼ぶのが精一杯だ。
「……覚えてないんですか?」
え?
不意をつかれた質問に、混乱した。逆に体の緊張が解け、力が抜ける。
覚えて、ない? なんのことだ?
戸惑う旭を後目に、優真が言葉を続ける。
「僕も昔、盗まれた自転車を見つけてもらったんです。佐倉さんに」
至近距離で旭を射すくめたまま、優真は続けた。
「親でさえ、『もう見つからない、諦めろ』って言ってたんです。けど、佐倉さんは必死になって、諦めずに探してくれた。見つけてくれた時のことは、今でもはっきりと覚えてます。『河川敷に放置されてた』って言って、泥だらけの自転車を、同じくらい泥だらけのお巡りさんが家まで持ってきてくれたんですから」
そこまで話を聞いて、旭は思い出した。警察学校を卒業して警察署に配属されたばかりで、ひたすらがむしゃらに仕事をしていたこと。泣きながら交番にひとりでやってきた男の子のこと。先輩たちには冷笑されたけど、同期生と協力して非番日に必死で管内を探し回ったこと。
今となっては、霞のかかった思い出の中の話だ。
「思い出してくれました?」
優真が、いたずらっぽく笑う。
「思い、出した……」
思い出した。思い出したけど、自分の記憶の中の小柄な男の子と、今、自分を見下ろしている目の前の人物とが、まるで一致しない。
「言われてみれば、髪の毛の色が一緒、かなぁ……」
やわらかな栗色の髪。記憶をたどるもぼんやりとしており、今思い出せるのはそれが精一杯だ。
優真がふふっと、小さく笑った。
「覚えてなくても仕方ないですよね。警察官から見れば、数ある事案の一つでしかないでしょうし。僕も背が伸びて、見た目だいぶ変わっちゃいましたしね」
旭が今の今まで思い出せなかったことを、責めるような口調ではなかった。むしろ微かにでも記憶に残っていたことを喜んでいるようだ。
「でも僕は、あの時本当に嬉しかったんです。自転車を見つけてくれたことが。自分のために、必死になってくれる大人がいるっていうことが、本当に嬉しかったんです。だから――」
優真が、旭の両肩に手を置いた。不意の行動に、旭は何の反応も出来ずただ立ち尽くしている。
「だから僕も、あんな大人になりたい、警察官になりたいって思ったんです」
そういうことか、と旭は得心する。優真は、自身が幼いころお世話になった「お巡りさん」を覚えていたのだ。そしてそれが旭であることに気づいた。だから職場見学に関して「指名」などということをしてきたのだろう。
両肩に置かれた、優真の手が熱い。いや、熱を持っているのは自分の体の方か。
「まぁ、それだけじゃないんですけどね……」
えっ? と思った折り、
「あーっ!」
突如田村の叫び声が響いた。
「おいっ! お前、何やってんだ! 佐倉部長から離れろ!」
盗品の返還に関する一連の書類整理が終わって、こちらの様子をうかがいに来たようだった。明らかな怒気が全身からほとばしっている。
「その手を離せ! コーボーか!? コーボーなのか!?」
コーボー? 公務執行妨害? いやまさか。
「ちょ、ちょっと落ち着け、田村。菊池くんは別に何も……」
カウンターのスイングドアを蹴り壊さんばかりの勢いの田村を見て、優真は笑いながら交番出口へと向かう。
「今日は本当にありがとうございました! また来ます!」
そう叫ぶと、楽しげな足取りで雑踏へと消えていった。
「来なくていい!」
田村はまだ怒り覚めやらぬ様子だ。
被害品を発見して安堵していた旭に、どっと疲労が押し寄せる。壁にかけられた時計に目をやる。まだまだ夜は長い。明朝の引き継ぎまで、無事にこの当直を過ごせるだろうか。
旭は気合いを入れ直そうと、大きく深呼吸をした。
「おい、田村!」
「はい!?」
「晩飯にするぞ。おごってやるから、なんでも好きな物頼め」
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