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第5話その一
腰に着いていた拳銃を帯革から外し、格納庫にしまう。旭はこの瞬間が好きだった。
交番勤務の警察官の装備は多い。
勤務中は帯革と呼ばれる厚みのある革ベルトに、拳銃を始め手錠や警棒、無線機等を装着し肌身離さず身に付けている。勤務に不可欠であり、自分の身を守るために必要なものではあるのだが、それらの重要性・危険性の高い装備品は、肉体的にはもちろん精神的にも重みとなって常に緊張感を強いる。
勤務を終えて装備を外す瞬間は、責務から解き放たれてほっとするものだ。中でも最も重みのある拳銃を外す瞬間は、解放感から身も心も軽くなる。
「無事に終わりましたねぇ、今日も」
同じく拳銃を格納した相勤者の田村が、晴れ晴れとした顔でつぶやいた。
「あぁ。まぁ、な……」
応える旭の顔は、身は軽くなったとは言え田村ほどに晴れやかではない。
「事故はありましたけど物損だけでけが人はいませんでしたし。事案と言ったら、実害のない不審者情報ぐらいでしたもんね」
田村は頓着していないようだったが、旭はその「不審者」が気にかかっていた。
「不審な男性がいる」。通報内容は要約すればただそれだけであり、誰かが何かしら危害を加えられたというものではない。通報を聞く限りでは「男が立っている」というだけで、何が不審なのかもよく分からないというものだった。
旭たちは通報を受けすぐに目撃現場周辺を捜索したのだが、その不審者を発見することは出来なかった。結局時間が経ったところで捜索は打ち切ったのだが、もしかしたら、その男性はいたのに旭たちが気づかなかったという虞もある。旭の中に、何かもやもやしたものが残っていた。
「佐倉部長。何か、飯でも食って帰りますか?」
装備を外した田村の顔は、完全に緩みきっている。勤務中にあった出来事は、もう頭の中に残っていないようだ。よく言えば、オンオフの切り替えがうまいというところか。
「いいなぁ、お前は……」
田村ほど切り替えがうまくない旭は、そんな田村を羨ましく思う。
「何がですか、部長?」
田村が訝しんだのを「なんでもないよ」と旭が流したところに、警務の係長が軽く手を挙げながら近づいてくるのが見えた。
「佐倉部長、拳銃しまったよね。ちょっといい?」
係長の表情は穏やかだ。しかし前回の「職場見学」無茶振りの件があるので、旭としては多少なりとも警戒してしまう。
「おつかれさまです。なんでしたか?」
「いや、ほかでもない。菊池優真くんのことなんだけど」
旭の心臓が跳ねる。自分の耳に飛び込んできたその名前は、思いのほか旭の中で大きく響いた。少しだけ、鼓動が早くなる。
警務係長は旭の変化には気づく様子もなく、言葉を続けた。
「ほら、採用試験の応募締切、もうすぐでしょ。菊池くん、まだ応募してないみたいなんだけど、実際のところ、手応えはどう?」
「いや、手応えって言われても……」
実際のところ、どうなのかは旭にもよく分からなかった。
あの、盗まれた自転車を一緒になって探した日以降も、少なくとも週に1回くらいは優真は交番に顔を出している。旭とは相変わらず警察業務に関する差し支えのない話をするくらいで、これといって特段の変化はない。興味が無いのなら、そもそもこんな風に来るはずはないと旭は思っているのだが、本人は受験の意思についてあれ以降何も語ろうとせず、如何せん決め手がなかった。
「多分、受験してくれるとは思うんですが……」
煮え切らない返事となったため旭としては申し訳なさがあったのだが、係長は思いのほかにこやかな表情を浮かべていた。
「いいよいいよ。取り敢えずは、受験してくれるだけでもいいからさ。応募締切だけ過ぎないように、気をつけるように言っておいてよ」
どうやら係長の中では、優真は受験するものと確定しているようだった。もしくは、ほかにそれなりの数の受験者が確保出来ているのか。どちらにせよ、警務の機嫌が良さそうなことに旭はほっとした。
と同時に、不意に自転車を返し終えた後のことを思い出す。
――だから僕も、あんな大人になりたい、警察官になりたいって思ったんです。
優真の、自分をまっすぐに見つめる瞳、両肩に置かれた掌の熱さ……。
旭が今までに感じたことのないもので、それだけに、鮮烈だった。
両手に込められた力。制服越しに伝わる熱さ。思い出すだけで、旭自身も熱を帯びるかのような。
(なってくれると、いいな……。)
「部長、佐倉部長!」
「……え?」
「なに、ぼーっとしてるんですか。係長、もう行っちゃいましたよ? 話、終わったんでしょう?」
「あ……そうか。そうだな……」
旭はほんの束の間、自分の意識が今この場になかったことに気がついた。
「早くメシ行きましょうよ、メシ! 何食べますか?」
おあずけ中の子犬のように、田村が旭をせっつき続ける。そんな田村を見て苦笑する旭だったが、食事のメニューよりも優真のことが気になって仕方がなかった。
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