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第6話(後編)

「僕、謝ってる途中なのに、なんだか吹き出しそうになっちゃいましたよ。『え? ナンパ? ベタなナンパなのこれ?』って思っちゃって」 「もうそれを言わないでくれるかな、頼むから……」  旭は思わず両手で顔を覆う。対面に座った優真は、先ほどまでの悲壮感とは打って変わってにこにことそれを眺めていた。  図書館を後にした2人は、近くのファミリーレストランに来ていた。時刻は午前11時を過ぎたばかり。昼食にはまだ少し早い時間帯のためか、座席にはまだ余裕がある。しかしサラリーマンや主婦の集まり、親子連れやら高齢夫婦等様々な客が入っており、図書館とは異なり賑やかだ。 「本当に、おごってもらっちゃっていいんですか? なんか申し訳ないんですけど」  メニューを吟味しながら、優真が旭に尋ねる。 「あ、それは、もちろん。さっきも言ったけど、採用試験の激励みたいなもんだから。それに、こっちから誘ったんだし」  旭の返答に、優真がにやりとした。 「僕、ナンパされたんですもんね。ありがたく、おごられます」 「だから違うって……」  旭は苦笑するしかなかった。同時に、優真に笑顔が戻ったことにほっとする。  ちゃんと話がしたい。そう思って旭は優真に話しかけたのだが、どうも言葉の選択を誤ったようだった。「お茶でもどう?」なんて、確かに古いナンパみたいだ。言われた優真も「え?」っと戸惑っていた。  怒ってないけど、ちょっと話がしたい。  旭が改めてそう告げると、表情を明るくした優真は「ちょっと、友人に説明してきます」と言って、足取り軽く学習室へと続く階段を上がっていった。  聞くと、優真の通う高校は現在試験期間中で、今日の試験を終えた優真は、帰宅前に友人たちと勉強をしに図書館に来たのだと言う。旭が「テスト勉強の邪魔してごめんね」と言うと、優真は「あとは得意科目だけなんで、全然問題ないです」と、本当に何でもないことのようにさらりと述べた。  ランチセットを頼み、ドリンクバーから飲み物を取ってくる。旭はウーロン茶、優真はダイエットコーラだ。一口飲んで口を湿らせたところで、旭が口を開く。 「怒ってないよ、本当に」  図書館から移動してくる間にも、何度もそのことは伝えていた。キスをされたことに関して、全然怒ってないと。旭の言葉に嘘がないことは優真にも伝わったのだろう。頭を下げていた時の悲壮感など消え失せ、途中からは「本当ですか?」「本当だよ」というやり取りを繰り返し楽しんでいるようですらあった。 「じゃあ、話って何ですか?」 「それは……」  優真のまっすぐな問いに、旭はそっと目を伏せる。覚悟してここまで来たはいいが、いざ本人に向かって言葉にするとなると、やはり少し躊躇いがある。そもそも、うまく言葉に出来る自信もない。 「……うまく言葉に出来ないかも知れないけど、聞いてほしいことがあるんだ。菊池くんがどうこうというんじゃなく、自分の問題ではあるんだけど」  ちらりと、優真の様子を窺う。夏服の真っ白なシャツに、少し日に焼けたように見える肌のコントラストがまぶしく感じる。コーラの注がれたグラスにはストローが差してあり、優真はそのストローをくわえながら、旭の言葉を待っているようだ。  旭は思わず、ストローをくわえている優真の唇を注視してしまう。 (あの唇が、俺に……)  不意をつかれての、キス……。  顔がカーッと熱くなるのが分かる。今、この場で思い出すべきではなかった。自身を落ち着かせようと慌ててグラスを手に取り、そして、 「っ! ゲホッ」 むせた。 「ちょ、大丈夫ですか! 佐倉さん!」  優真が差し出したおしぼりを受け取った旭は、咳き込みながら口元を拭った。呼吸が整うまではしばらく時間がかかったが、おかげでだいぶ落ち着きを取り戻すことが出来た。心配そうに見つめる優真に、「大丈夫だよ」と告げると、もう一度グラスに口をつける。落ち着いてゆっくりとウーロン茶を流し込んだ後、大きくため息をついた。 「みっともないところ見せて、ごめん。ちょっと待って」  多少は落ち着いたものの、いざ話そうとすると緊張してしまう。座ったまま、何度か深呼吸をした。つい先ほど冷たい飲み物を飲んだはずなのに、もう口の中が渇いてきたように感じる。 「なんかちょっと、最近おかしくてね。自分で、自分のことが分からないんだ。いい歳した大人なのに何言ってるんだって思うかも知れないけど、本当に分からなくて」  旭の緊張した様子に釣られて、優真も思わず背筋を伸ばす。 「……嫌じゃなかったんだ。それに、思い出すとどうも落ち着かない」  旭が発した言葉に、優真が目を見開いた。 「あの、それって……」  優真が何か言おうとしたが、旭はそれにも構わずしゃべり続ける。 「何を言っているのか分からないと思う。でも、俺も分からないんだ。あの場では、特になんとも思わなかったんだけど、しばらく経ってから、思い出すと、なんかこう、わーっとなっちゃって。『なんだこれは!?』って。極力思い出さないようにしてるんだけど、不意に思い出すとそれだけで胸がドキドキしちゃって。さっきも、それが原因でむせちゃって」  勢いよくしゃべり終えた旭は、おそるおそる優真の反応を窺う。引いてるかも知れないと思ったが、旭の予想に反して優真の表情には嫌悪や拒否といったものは見当たらなかった。逆に、うっすらと微笑んでいるようにすら見える。旭を見つめる目が不思議なほどに優しい。 「えっと、菊池くん……?」  その表情の意味が分からず、旭は問いかけるように声をかける。優真がゆっくりと口を開いた。 「あの、自惚れてるって思われるかも知れないんですけど……」  一拍置いて、顔をほころばせながら続けた。 「佐倉さん、僕のこと結構好きですよね?」 「え?」  呆気に取られて、一瞬言葉の意味を掴みかねる。「好き」、とは? 「佐倉さんのそれって、恋愛感情じゃないんですか?」  旭はぽかんとしてしまう。 「……恋愛感情って、あの、よくストーカー行為の原因になる、あれ?」 「そうですけど、いや、そうじゃなくって」  困惑する旭を後目に、優真の顔が見る見る間に上気し始めた。 「僕のこと考えて落ち着かないとか、胸が高鳴るとか、そもそもキスも嫌じゃないとか! それって、絶対僕のこと好きじゃないですか! そうですよね!?」 「ちょ、ちょっと、声が大きいよ! もうちょっと静かに!」  勢い込んで話す優真を、旭は両手を前に突き出してなだめる。いくら賑わいのあるファミレス内だとは言え、大声を上げればさすがに他の客の迷惑だ。 「あ、すみませんっ。つい……」  慌てて優真は声のトーンを下げたが、上気した頬はそのまま。大きく見開かれた瞳も、心なしかいつも以上に輝いているように見える。  なんと言ったものか。2人がそれぞれ言葉を探しているうちに、店員が食事を運んできた。 「お待たせしました。本日のランチセットです」  テーブルの上に置かれたランチプレートのハンバーグからは肉汁があふれており、湯気とともにいかにも食欲を刺激する香りが漂ってくる。  旭自身、話の続きが気になるところではあったが。 「……取り敢えず、温かいうちに食べようか?」 「そうですね」  2人そろって「いただきます」と手を合わせた。  おいしそうだなと思ってはいたのだが、実際のところ味がどうだったのか、旭には分からなかった。 (「恋愛感情」? どういうことだ?)  優真の先ほどの台詞が、頭の中をぐるぐると回っていて食事どころではなかったからだ。当の優真は気持ちの切り替えがうまいのか、にこにことハンバーグとライスを頬張っている。食事中も時折目が合うと優真がにっこりと微笑むものだから、旭はますます味が分からなくなってしまうのだった。

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