過日、優真とファミリーレストランで食事をした旭。ランチタイムで混雑してきたため、食事を終えた後、早々に店を出た。 「すみません。ごちそうさまでした」 　店の駐輪場まで移動すると、優真は改めて頭を下げた。 「いや、いいんだよ。こっちこそ、急に付き合わせちゃってごめんね。テスト勉強、だいじょうぶ？」 「だいじょうぶですよ。得意な科目しか残ってませんし。それにこうして佐倉さんに応援してもらったんで、学校のテストも採用試験も頑張れます！」 　旭の気がかりに対し、笑顔とともに元気のよい返事が返される。その返事に溌剌とした活力のようなものを感じ、旭はつい顔をほころばせた。強がりや空元気ではないと素直に思わされる。 「それならよかった。勉強、がんばってね」 「はい！　ありがとうございます！」 　自分のしたことで旭が怒っているのではないかと気にかけていた優真は、その気がかりが払拭されたことで晴れ晴れとしている。それに対し旭の表情はすっきりしない。優真と話が出来たのはよかったが、抱えていたもやもやは晴れなかった。むしろ、もやの中から霧の中に移動したようで、見通しが悪くなってしまった気さえする。 「あのさ、さっき言ってた話なんだけど……」 　優真に答えを求めようとした途端、優真が笑顔になった。先ほどから笑顔ではあるのだが、それと違って朗らかな感じではなく、意地悪げな、意味深な笑顔。 「宿題です」 「えっ？」 「それは、佐倉さん自身がもっともっと考えてください。まぁ、ほとんど答え言っちゃってるようなもんですけど」 「いや、宿題って、何？　どうすれば？」 　思いもしなかった返答に旭がまごついていると、優真が「いいこと思いついた」と柏手のように手を鳴らした。 「佐倉さん、その答えが出るまで、僕の採用試験の勉強に付き合ってくれませんか？」 　旭の休日に、勉強を教えるではなく見ているだけでいいという条件で、旭はその優真の提案に乗ることにしたのだった。 「佐倉さん、面接官になってくれませんか？」 　ファミリーレストランのボックス席の中、優真は手にしていた参考書を閉じた。表紙には『警察官採用試験問題集』と書かれており、ページに貼られた付せんの数から使い込まれている様子が窺える。優真から声をかけられ、向かいのソファに座っていた旭も自身が読んでいた推理小説を閉じ顔を上げた。 「面接官？　採用試験の？」 　旭が問いに問いで返すと、優真は微笑みながらうなずいた。 　ファミリーレストランの店内は老若男女で賑わっているが、昼食の時間をとうに過ぎているためか食事をしている客は少ない。有線放送のBGMが流れる中、めいめいおしゃべりを楽しんだり読書に集中したり、勉強や仕事に勤しんでいたりする。 　「勉強に付き合う」と決まった際、場所はどうしようかという話になったのだが、結局互いに気を遣う必要の無いファミレスということで落ち着いた。混雑する食事時からずらせば、長居しても店側に嫌がられることはない。また、周りに見知らぬ客という第三者がいた方が、勉強に集中出来るという理由もあってのことだった。 　優真が夏休みに入り、もう幾度かこうして会っている。 　優真が言葉を続けた。 「僕、おそらく１次試験は大丈夫だと思うんですよね」 　人によっては傲慢な台詞に聞こえるかも知れないが、旭は素直に「そうだろうな」と思えた。優真の地頭が悪くないことは知っているし、夏休みに入る前の試験の結果も上位だったと聞いている。高卒程度の警察官採用試験問題なら、難なく合格基準に達するだろう。 　旭が相づちを打つようにうなずくと、優真が続けた。 「で、２次試験なんですけど、小論文や体力試験なんかも自分１人でなんとか出来るかなと思うんです。けど面接はやっぱり相手がいないと。学校の先生に付き合ってもらうことも出来るんですが、先生とはなかなかタイミングが合わなくて。それに、実際に採用試験に合格してる佐倉さんにやってもらうのが一番いいかなって思ったんですけど」 　なるほど、と旭は思う。確かに面接の練習には相手が必要だ。学校教師は忙しい仕事だと聞くし、少なくともこうして休みが取れている自分の方が時間があるのは間違いないだろう。自分自身の採用試験の時のことなぞは忘れてしまったことも多いが、昇任試験を受けたのはそう昔の話でもないので、面接の状況も割と鮮明に覚えている。何かしら助言出来ることもあるのではないか。 「いいよ。勉強に付き合うって言いながら、こうして本を読んでるだけなのも悪いなと思ってたんだ。少しでも役に立てるなら、面接官でもなんでもやらせてもらうよ」 　旭の返事に、優真が弾んだ声で返した。 「本当ですか！？　ありがとうございます。無理言ってすみません」 「いいよいいよ。別に、たいしたことじゃないし」 　破顔した優真に、旭は自分の顔が熱くなるのを感じる。職場以外で２人で会うことには少しずつ慣れてきたが、笑顔を見せられた時など、やはり少し戸惑ってしまうことがある。（俺は菊池くんのことをどう思ってるんだろう……） 　優真が、自分の後輩となってくれたらいいなと思っている。優真は頭がよく、機転も利く。そしてひとに優しい。以前に盗難にあった自転車を一緒になって探してくれたこともあったが、ひとに優しく出来るというのは警察官の必須条件だ。旭からすれば、今すぐにでも一緒に働きたいくらいだと思っている。 　けど、本当にそれだけなのか？ 　優真が採用試験の勉強をしている間、旭は何かしら本を読んでいる。実のところ、読みたくて読んでいる訳ではない。 　落ち着かないのだ。何もせずただ優真を眺めていることが。 　参考書に向けられた真剣な眼差し。ペンを握った色白の手。時折かき上げられる、やわらかそうな栗色の髪。向かい合わせに座っていると、優真の姿が否応なしに目に入る。飽きることなく、いつまでも眺めてられるなと思う反面、そんな自分に気がつき動揺したのも事実だ。 　そんな訳で、あまり優真のことを意識しないよう何かしら本を読むことにしている。 　ちなみに旭も昇任試験に向けて勉強しようかとも思ったが、警察官内部の資料を人目の多いところで開くことはためらわれた。市販されている小説やノンフィクションを読むことにしている。 「面接の練習は、いつからやる？」 「そうですね。気が早いかも知れませんけど、１次試験が終わったら」 「場所はどうしようか。さすがに、筆記試験の勉強みたいにファミレスって訳にはいかないよね。」 　座って黙々と参考書を開くのとは違う。面接となれば、声の出し方、しゃべり方が重要になる。実際に声を出せないのであれば、練習にならない。 「一応、場所の候補はあるんですが」 　優真が不敵な笑みを浮かべる。 「二人きりになれる場所に行きましょう」