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「…地震か?」 「あーきー!始さんと電話繋がったよー!マコちゃん、悪い妖じゃないんだってー!」 車道の上、車の外に出て智哉が叫ぶ。暁孝は智哉を見上げ返事をしようとしたが、途端に地面の揺れが強くなり、体が傾いた。 「暁ー?」 再び智哉を見上げるが、智哉には何の変化もないようだ。という事は地震ではなく、池のほんの周辺だけが揺れているという事だろうか。 「主様、」 マコは立っていられないのか、ぺたんとその場に座り込んでしまった。暁孝は一先ずマコに寄り添い、周囲を見渡すと、池の水面が大きく波打っていることに気づく。暁孝はすぐに智哉を見上げた。 「智!車内に戻れ!」 「え?」 「逃げるぞ!」 「えぇ!?」 智哉は取り乱しつつ、運転席に回る。暁孝はマコを抱え、駆け下りてきた斜面を上がろうとするが、地面が揺れ足が滑り、上手く斜面を上がれない。ザ、と水が打ち付けるような音がして振り返ると、池からは太い水の柱が幾本も立ち上がり、それらは暁孝に向かって飛んできた。 「嘘だろ、」 咄嗟に動けず、暁孝はマコを抱えその場に蹲る。 ドッと芝の斜面に打ち付けた水の柱は、斜面を抉り取ると、ただの水となって斜面を流れていく。 「……」 言葉を失った。これではまるで大砲だ。穴の空いた芝の斜面から、暁孝は池に目を向ける。水の柱がゆらゆら蠢き、再び暁孝目掛けて飛んでくる。 「クソ!」 暁孝は斜面を上がる事を諦め、そのまま土手沿いに走り出した。 ドッ、ドッ、と水の砲撃が後から追い掛けてくる。きっとどこかに車道に上がる道がある筈だ。それに 、池は大きくてもどこまでも続かない、このまま先へ行けば、いずれは池から離れることは出来るだろう。 そう踏んでいたのだが、考える事は相手も同じだった。ずっと後ろを追い掛けてきた水の柱が、今度は暁孝の行く手を阻むように前方に撃ち込んできた。 暁孝は舌打ち踏み止まるが、止まれば簡単に標的にされてしまう。 再び後ろへ逃げればそこにまた水の砲撃、前へ進めばまた砲撃。退路がたたれ、暁孝は斜面に足を掛けたが、焦れば焦る程 足を滑らせ、さすがに素早くは上がれない。ドッ、と間近で水が撃ち込まれ、マコが悲鳴を上げる。 震えてしがみつく手に、暁孝はマコを抱え直す。 「大丈夫だ、少しの辛抱だ。俺が守ってやるからな」 ぎゅ、と抱きしめれば、マコが暁孝を見上げる。 暁孝は、斜面を使いながら上手く砲撃を避けつつ前進していく。とにかくこの包囲から逃れる他、暁孝に手だてはない。 マコはぎゅ、と暁孝の服を掴むと、そのまま思い切り暁孝の体を突き飛ばした。よろけて尻もちをつく暁孝の前に、マコが立ち塞がる。 「主、逃げて!」 「マコ、」 そこへ水の砲撃が飛んでくる。マコは大きく手を広げ、固く目を閉じた。 「マコ!」 暁孝はマコの服を掴み、寸での所で引き寄せる。ドッ、と打ち付ける水のしぶきを浴びて、マコは目をぱちくりしている。 「何してるんだ!犠牲になんてなろうとするな!」 「主様、」 しかし、水の砲撃は止まらない。すぐさま次が飛んできて、暁孝はマコを抱きしめ、身を低くする。水は背中の上に飛び、それが終わるとすぐさま走り出す。 「主様!」 だが、踏み出した先が悪く、池へ目を向ければ目前に水が迫ってきていた。 逃げられない。 悟った瞬間、心音が全身に響き渡る。暁孝はマコを胸に抱き、当たるのを覚悟して水に背を向けた。 ドッ、と水が打ち付ける音と、智哉が暁孝の名前を叫んだのは、ほぼ同時だった。 智哉には妖が見えないが、池の水の砲撃は見えている。この水を妖が動かしているとしても、池の水が元々存在していたものなら、妖が見えない智哉にもその水の砲撃は見る事が出来た。 何故、水が暁孝を襲うのか、混乱と心配で再び車から出てくれば、目の前の光景に叫ばずにいられなかった。 もう駄目かと思ったら、突然宙に浮いたからだ、暁孝の体が。 「ど、どうなってんの…」 暁孝の体がふわりと浮き、浮かびながら上下左右に動いている。智哉は理解し難い目の前の光景に、更にパニックになるしかない。 暁孝もこの時は困惑していた。水が当たると思って覚悟したが、突然体が浮いたのだ。 「しっかりマコを抱えてろよ!」 顔を上げれば、黒い翼を生やした目つきの悪い少年が、暁孝を抱えて水の脅威から逃がしてくれている。ドッ、ドッ、と打ちつけている水の柱が、暁孝を目掛けて空にも飛んでくる。黒い翼を持った妖は器用にそれを避けつつ、智哉の居る車にやって来ると、ドアを開け、暁孝とマコを車内に投げ込んだ。 「えぇ!?」 突然車のドアが開き、後部座席に飛び込んできた暁孝、智哉の頭はパンク寸前だ。 「さっさと車を出せ!」 黒い翼の男は智哉に声を掛けたが、智哉には聞こえない。その姿さえ見えていない。 「智、車を出せ」 「え!?わ、分かった!」 「君も」 智哉が慌てて車に乗り込む中、暁孝は黒い翼の妖に声を掛けたが、首を左右に振られてしまった。 「さっさと行け」 バンッと車体を叩かれ、突然の衝撃に驚いた智也は、悲鳴を上げ車を急発進させた。 窓の外を見て、もう水の柱が上がっていないのを確認し、暁孝はほっと息を吐く。車道まではあの水は届かないのかも知れない。 「何なんだよ、もー!何が起きてんの!?」 「ちょっと厄介事が起きた…」 「え、マジで?どうしたらいい?」 「始さん、他に何か言ってたか?」 「あ、明日こっち来るって言ってたけど」 そうか、と頷き、暁孝は膝の上に居るマコに目を向けた。マコはまだ少し体を震わせており、暁孝はその背を撫で摩った。 マコはぎゅ、と暁孝にしがみつく。 「怖い思いをさせてごめんな」 優しくマコの背を撫でる暁孝の表情をバックミラー越しに盗み見て、智哉は肩から力を抜いて、思わず表情を緩めた。 いつも表情を崩さず無関心を装う鉄仮面の下、久しぶりに人間らしい顔を見たと、智哉は混乱した状況ながらも嬉しくなる。声を掛けられていない智哉にも、暁孝の優しさは安心を与えていたようだ。

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