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「我々は人と共に、手を変え品を変え姿を変え、この町で何百年と暮らしてきました。町にヒノ様が下りてきた時、勿論、例の妖としかその時は認識出来ていませんでしたが、もしこのまま再び町に下りてくる事があれば、正体を明かしてでもこの町の人々を守ろうという覚悟でおりましたので、今回、ヒノ様を、町の人々を救ってくれた事、妖を救ってくれた事のお礼を言いたく、こうして正体を明かしに参りました」
この町は、ヤエにとってはかけがえの無い場所だ。この町で、ようやく生き方を見つけた。正体を晒して人を守る覚悟までした町だ、この場所で変わらず暮らしていけるという事は、彼女にとって、とても大きな事だろう。
ありがとうございました、と頭を下げるヤエに、暁孝は慌てて頭を上げさせた。
「俺達は、依頼を受けた流れでやった事なので、お礼を言って頂くような事は何も…」
正直目の前の事に必死だったので、こんな風に誰かにお礼を言われると思わなかった。
戸惑っている様子の暁孝に、ヤエは顔を上げ、どこか懐かしそうに表情を緩めた。
「それでも、私達は助かったのです。何かお礼をさせて頂きたいのですが」
「そんな、その言葉だけで十分です」
智哉は、暁孝の返答を聞き、躊躇いつつも挙手した。
「あ!あの、それなら…ヒノ様とマコちゃんをよろしくお願いします!俺は見えないからよく分からないけど、二人の事なら少しだけ分かります。もしあの二人が困ってるような事があったら、助けてあげて下さい!よろしくお願いします!」
智哉が頭を下げるので、ヤエはきょとんとして、それから眉を下げた。少しだけ泣きそうな顔をして。
「智哉さんが取り憑かれていても我々は何も出来なかったのに、あなたは私達、妖の事を思って下さるんですね」
「…え?」
「宿に、あの妖のような妙な気配が忍び込んだのは分かりましたが、相手は智哉さんでしたので、少し様子を見ていたんです。そうしましたら、何やら色っぽい展開になって参りまして、」
「色っぽい?」
「いや!なんでもない!お前は聞かなくていいんだ!」
突然声を張り上げる暁孝に、智哉は不満そうに表情を歪ませる。
「ふふ、やはり仲がよろしい」
「そ、そう言えば!昨日荒らされたというお宅はどうなったんですか?」
これ以上話を掘り起こされては敵わないと、暁孝はすかさず話題を変えた。まさか、ヤエに見られているとは思わなかった。
「妖のした事なので私達も他人事とは思えず、何か力になれないかと思いまして、家が直るまでこの旅館の部屋を無償で提供する事にしました」
「大丈夫なんですか?」
「何百年も共に生きた、可愛い人の子達の為ですから、少しくらいは協力したいんです」
更に、知り合いの大工に頼めば無償で家を直してくれると伝えたという。
知り合いの大工とは、妖だ。その妖は、妖の住む家も造っており、ずっと人の家をいじってみたかったという。
ただその妖は人に姿を晒せる力が無く、人に化ける術も持っていない。なので、妖が作業している間、結界を張り、人の意識を家から遠ざけるのだという。見えているようで見えていないという空間を作りだし、その家に何の意識も向けないようにする事が出来るという。なので、トンカチが宙に浮いていても、その家がどんどん姿を変えていっても、誰も何も気づかないという。結界を張るには高度な技術が必要らしく、それが出来る妖は限られてくる。ヒノの力を借りるというが、ヒノは率先して協力してくれるだろう。
女将として人とも交流があり信頼を得ているヤエの申し出には、家主達は疑う事なく、有り難いと受け入れてくれたという。
人にまで被害が出た事が気になっていた暁孝も、安心した様子だ。ヤエが声を掛けた妖なら、きっと家もちゃんと直してくれるだろう。
「ありがとうございます、ここで平和に人の子と共に暮らしていけるのも、皆さんがヒノ様を守って下さったからです」
「礼を言うのはこちらです。フォローしてくれて、ありがとうございます」
頭を下げた暁孝に、智哉も勢いよく頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「ふふ、大したお構いも出来ませんが、板前も腕をふるいましたので、料理と、そしてゆっくりとお休みください」
「ありがとうございます」
女将は翼をしまい、笑顔で部屋を去っていった。
食事を終え、身支度を整え布団の中に入ると、静かな虫の音が聞こえてくる。
「…ねぇ暁、やっぱり良い事じゃないかな、妖との繋がりって」
「…そう上手くいく事ばかりじゃない。今回だって、俺が責められてもおかしくない。マコを連れて来たのだって、もっと考えてからでも良かった。そうしたら、ヒノ様が町に下りる事も女将さん達に負担を掛ける事も無かったかもしれない」
「でも、暁は何も知らなかったじゃん。女将さんだって、最初はヒノ様が騒動を起こしてるって知らなかったわけだし、その目的だってさ」
「そうだとしてもだ。気持ちの優しい妖が多かったから、今回は助けてもらった」
知らなかったから、だけで済まない事も、誰かが責任を取らなきゃならない事もある。けれど今回は、誰もが誰かを責める事は無かった。それどころか、騒動に直接は関係ないヤエ達まで助け船を出してくれたのだ、それには感謝しかないと暁孝は思う。
「…同じ場所に居て言葉も通じるのに、どうして隔たりがあるんだろう。何か俺にも出来る事ないかな…」
ぽつり呟いた智哉に、暁孝は体を起こした。突然顔を覗き込まれ、迫る距離に智哉はどきりとしたが、すぐにその胸は違う意味で震える事となる。暁孝の顔が怒っていたからだ。
「お前は、あんな目にあったっていうのに、まだそんな事言ってるのか」
静かな声に怒りが滲み出ている。
「だって、あれはたまたまっていうか、ヒノ様だって好きであんな事したわけじゃないし」
「好きで人を襲おうとする妖も居る。智はまだ分かってないんだ」
その言葉に、智哉の震えた胸が凪いでいく。暁孝の怒りが心配からくるものだと、その顔を見たら分かったからだ。
「…心配かけてごめん」
「…いや、俺こそ悪い」
素直に謝ると、暁孝は少々罰が悪そうに布団に戻っていく。そんな暁孝を目で追いかけ、智哉は笑って声を掛ける。
「そんな事言ってるけど、どんな妖だろうと、結局皆見捨てられないんだろうね、暁は」
「うるさい。早く寝ろ、明日は早いぞ」
「うん…」
智哉は暁孝の背中を見つめる。不意に、暁孝に頬を愛しそうに撫でられた場面を思い出し、一人赤くなった。乙女か俺は、と慌てて布団を被る。
だけど、ほっとしていた。暁孝が側にいること、自分が智哉としてここにいること。ヒノの悲しみは深く、溺れて息が出来なかったから。
「…暁は凄いな、皆守っちゃったんだから」
布団から顔を出し、ぼそりと呟いた。暁孝には聞こえただろうか。動かない背中を暫し見つめ、智哉は目を閉じた。
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