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駅に着き新幹線を降りると、駅のホーム特有の籠った空気と、流れるように行き交う人々の姿に出迎えられた。改札口へと向かえば、流れる人々が押し込め合うように集うその忙しなさ、駅に併設された商業施設内の店舗は活気に溢れ、そちらから流れる明るい音楽と駅に流れるアナウンスが混じり合う、楽しげな笑い声もあれば、不機嫌に俯き立ち止まる人。 駅を出れば、目の前には大きな横断歩道があり、駅へ向かってくるこれまた大勢の人々が塊となって押し寄せてくる。 帰って来たんだな、と暁孝は思った。 暁孝達は、東京の慣れ親しんだ町に帰ってきた。 マコ達が暮らす町より、建物も人も敷き詰め合っていて視野が狭く感じるし、とても澄んでるとは言い難い空気だが、それでもほっとするのが不思議だった。 たった二泊三日の旅だったが、もっと長く居たように感じる。なので、知っている町への安心感も、より久しく感じたからかもしれない。 だが、何となくどこかまだ夢現を彷徨っているような気もする。 だがこの町は、暁孝達が暮らす町ではない。本来なら、ここから電車を二本乗り継がなければならないのだが、家に帰るよりも先ず寄らなければならない場所がある。 始が社長を務めるイズミ探偵社だ。 駅から町へと出れば、通りには大きな商業施設が建ち並び、その隙間を埋めるように小さな店舗が軒を連ね、買い物客や観光客が飽きることなく流れて行く。 忙しなく行き交う車の走行音を横目に、様々な店舗が建ち並ぶ大通りを進んでいく。暫く歩くと店舗が並ぶ数も減り、オフィスビルが建ち並ぶ通りが見えてきた。 その通りに入る手前、一本奥の道に入った所に、イズミ探偵社はあった。 探偵社は地下一階、四階建てのビルで、そのビル全てが始の会社だ。一般の探偵の仕事も請け負っているが、普通の探偵業務を行う仕事場よりも、妖関連の仕事場の方が床面積的にも割合は多い。妖に関する研究室や資料室もあり、暁孝達が向かった医療室も、妖に関する部署の一つだ。 その医療室は三階にあった。ここで、智哉と暁孝の検査を行う。特に智哉には念入りに検査を行うよう始は指示し、同時にイブキがくれた薬の袋も手渡していた。残った粉の成分を調べる為だろう。 「じゃあ、俺は仕事に戻るけど、何かあったら呼んで」 「お疲れ様です!」 智哉の声に手を上げて応え、始はエレベーターに乗り込んで行く。医療スタッフに指示を受け、準備が整うまで二人は待合室で待つ事となった。 フロアは清潔感に溢れ、見た目は普通のクリニックと何ら変わらない。外来患者が今にも来そうな雰囲気だが、探偵社専用であり、医療室とはいえ妖に関わる部署だからか、待合室には暁孝と智哉だけしか居らず、フロア全体に静けさが漂っている。受付のカウンターの上では、ナース服を着たカバのぬいぐるみがそれらしく微笑みを浮かべていた。 「帰ってきてすぐ仕事なんて、始さんも大変だね」 ひとまず長椅子に腰掛けつつ智哉が言う。暁孝も隣に座った。 「あれでも一応社長だからな」 「またそういう事言って…でも、仕事かー。なんか現実に帰って来た気がしないな」 一つ息を吐く智哉は、どこかぼんやりしている。それも無理もない、暁孝と違って智哉は妖の騒動に巻き込まれるのは初めてだ。まるで夢でも見ていた心地だろう。それはきっと、暁孝の比ではない。加えて智哉には妖が見えていないので、本人も気づかない所で、相当気を張っていた部分もあるだろう。 「明日から仕事に行くのか?」 「うん」 「…まだどんな結果になるか分からない、少し休んだって良いんじゃないか?」 「はは、大丈夫だよ。体は元気なんだ。ただ気が抜けちゃってさ、あんな事初めてだったから」 手をすり合わせる智哉の指が震えている気がして、暁孝は智哉の片手を取った。 「…俺もああいう体験は初めてだ」 言いながら控えめに自分の手を重ねる。智哉は驚いて軽く手を跳ねさせたが、暁孝の傷を気遣ってか、その後は硬直してしまった。 「へ、へぇ、そっか、あ、暁も初めてか」 「…そんなにしどろもどろにならなくても良いだろ」 「だ、だって、暁がなんか、」 そこへ、「夏丘(なつおか)さん」と名前を呼ばれ、暁孝はさっさと手を払いのけ、智哉はぴしっと背を正し立ち上がった。 「診察始めますので中へどうぞ。…お顔が赤いようですが、熱はありますか?」 「え!?あ、ありません!ちょ、ちょっと暑くなっただけで問題ありません!」 「そ、そうですか?」 挙動不審な智哉に、暁孝は一人頭を抱えた。 東京に戻ったのは昼前だったが、気づけばもう夕方だ。 二人分の検査が終わり、二人揃って診察室に通される。そこには、暁孝にとっては馴染みのある医者、新橋愛(しんばしあい)がいた。 切りっぱなしの黒髪のショートヘアに、気の強そうな眼差しが印象的な、背の高いスラリとした女性だ。 「先ずは智哉君だけど、今分かる結果で言えば特に数値的な異常は見られなかったし、妖の痕跡も無いように見えた。意識もはっきりしてるしね。イブキ様の薬の効果が出てるのかもしれない…でも、中には数日経って記憶障害や体に湿疹が出たり、目眩や嘔吐っていった症状が出る例もあるから、細かい結果も含め来週また診せに来て。その後も少し通ってもらう事になると思う」 「念の為様子を見たいから」と、パソコン画面やカルテに目を向けつつ愛が言う。暁孝の検査結果も、今は特に異常はないようだ。 「俺、妖の専門医が居るなんて初めて知りました。普通のお医者さんじゃないんですか?」 興味深そうな智哉の視線に、愛は意外そうな顔をした。 「彼と幼なじみで、こういう話しないの?」 「暁はあんまり教えてくれないんですよ、妖の事は色々聞くけど、まず聞かなきゃ教えてくれないし、研究所みたいなものがあるのも全然知らなかった」 秘密ばっかり、と唇を尖らす智哉に、眉を寄せる暁孝。二人の様子に、愛はおかしそうに笑った。 「巻き込みたくなかったんじゃない?大事なら尚更ね」 「余計な事言うな」 「俺は知りたいです!知らない事ばかりは嫌です」 俯く智哉に、愛は目を細め、そうねと頷いた。 「私は、普通の医者と同じよ。ただ、妖に関する医療の知識を持ち合わせてるだけ。ほら、医師免許と、それから妖の医療免許…坊っちゃんは義一さんの物を見た事があるんじゃない?」 坊っちゃんと呼ばれた事に暁孝は眉をしかめ、智哉は物珍しそうに免許証を見ている。これを持っている人は、智哉のように妖の力を浴びてしまった人間の治療が出来るという。体にどこまで妖の力が及んでいるのか調べ、的確に治療を施して貰える、全国飛び回り妖相手に様々な案件をこなすこの探偵社には無くてはならない部署だろう。

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