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「免許って、妖にも必要なんですね」 「えぇ、何事にもルールがある。妖だって多くの人には見えないけど、共に同じ世界で生きてる命だもの。人が勝手にルールを作るのもどうかと思ったけど、そうしないと妖や神域を守れなくなっているのよね。科学やネットが発達して、不思議な現象は不思議では無くなってきてるから…勿論、私は妖のテリトリーを侵そうとは思わないけど」 「物騒な武器を作ってると聞くが」 興味深そうな智哉に反し、どこか冷めた目をしているのは暁孝だ。それには、坊っちゃんと呼ばれた苛立ちも込められているのかもしれない。 武器という言葉には、智哉も戸惑う視線を向けた。 「さぁね、それは研究部に言ってよ。そうでなきゃ始に言うのね…ま、社長とは言えどこまで権限があるのか分からないけど」 肩を竦める愛に、智哉は首を傾げた。社長なのに権限がない、その言葉を不思議には思ったが、あまり踏み込んだ事を聞くべきではないと思い口にはしなかった。 「あと、さっきの薬だけど、あれはイブキ様から頂いたの?」 「あぁ、始さんが貰ってきたそうだ。何か問題あるのか?」 「ううん、正式な結果は出てないけど、昔義一さんが飲んだって薬とやっぱり同じっぽいのよね。記録には、後遺症も何も出てないみたいだから、特効薬になるんじゃないかと思って」 「作れるんですか?」 「材料が揃えば出来ない事もないと思うけど、一部何から採ったか分からない謎の成分があるのよ、義一さんもチャレンジャーよね」 それを言うなら、せっつかれて飲まされたとはいえ、智哉もチャレンジャーだ。体に良いと分かっていても、やはり妖の出す物は簡単に口にしないようにしようと、心なしか青ざめている智哉を見て、暁孝は誓った。 「それより、坊っちゃんは義一さんの跡を継ぐの?」 「さっきから、坊っちゃんって言うな」 いい加減溜め息が零れる暁孝だったが、愛はそんな彼の反応にも気にした様子はない。 「しょうがないでしょ、昔から坊っちゃんって呼んでるんだから。でも、あの坊っちゃんが、まさか小説家になるとは思わなかったけど。そういえば妖の話って書かないの?フィクションとしてさ。義一さんの話だけで本になりそうなのに」 「出来るわけないだろ」 「面白そうなのに…あ、でも、老人と美女の話は、義一さんの話じゃないの?」 「それって、お金と美貌しか信じられなかった美女が、おじいさんに告白されるやつですか?」 「そうそう!老人と打ち解けていく内に、人として大事な物を取り戻してく話」 「愛に気づいた時は、おじいさん亡くなっちゃうんですよね、あれは泣けたな…」 共感し合う二人に、暁孝は少し居心地が悪そうだ。自分の書いた作品の話をされるのは慣れていないのだろう。 「…一体なんの話だ」 「だからその話、子泣き爺を説得しに行った義一さんの話からきてるんじゃない?」 「なんですか、それ」 「もう大分前、義一さんが若い頃の話らしいんだけど、美しい雪女がいたんだって。で、子泣き爺が恋して告白したんだけど、雪女は目もくれなくて。それで、ほら子泣き爺だから泣くのよ。雪山で一ヶ月」 「一ヶ月!?ずっと!?」 「そう、大分粘ったよね。妖だから寒さにも強いらしくてさ。それで困った雪女が、義一さんに助けを求めたみたい。義一さんも人が良いから、二週間雪山に毎日登って子泣き爺を説得して、どうにか諦めさせたんだって。そしたら、その懸命な姿を見た雪女が義一さんに惚れちゃったらしくて」 「え、マジですか」 「でも義一さんは、私には生涯愛すると決めた女性がいるのでって言ったらしくて!」 「うわ、イケメン!」 確かに、その話は義一から暁孝も聞いていた。話の最後に義一はいつも言っていた、男なら振られたら潔く身を引くんだぞと。その切実に願うような眼差しをよく覚えている。 そして、老人と美女という設定だけは、確かにその子泣き爺と雪女から頂いていた。 気づけば自分を放ってキャアキャア盛り上がる二人に溜め息を吐き、暁孝は立ち上がった。 「もう話がないなら帰るぞ」 「待って待って、それでどうなのよ跡継ぐ話」 「俺はじーさんのようにはなれない」 「…なれないとやりたいは違うんじゃない?」 「継いで欲しいのか?」 「違う…いえ正直な話、仕事仲間が増えるのは嬉しいけど、それは坊っちゃんが決める事だから」 そう言ってから愛は「ただ心配なのよ」と困ったように肩を竦めた。 「義一さんの跡を継がなくったって、今回の事はきっと妖達の間で噂になる。暴れてたのは神様の力を纏った妖だったわけだから、その力がどれ程のものか分からないけど、その言葉を聞いただけで、そんな妖の力を抑えた人間は凄いって普通思っちゃうじゃない。 それに、坊っちゃんは今回の騒動を治めただけでなく、義一さんの息子なんだから。これから妖が訪ねてくる事だってあるかもしれない。義一さんの時みたいに、坊っちゃん達の家に直接ね」 愛の言葉に、暁孝は智哉に目を向けた。智哉はきょとんとして暁孝を見上げている。 「いくら妖が見えて会話が出来たって、人の都合を考えない妖もいるでしょ? 分かってると思うけど、今回大した怪我もなく済んだのはラッキーだったと思う。義一さんは、誰も傷つけない代わりに自分が無理をする人だった、無茶をする為の準備はいつも備えてたから出来たんだろうけど、妖相手に、あんなに上手く普通は立ち回れない。 …まぁ、今回みたいにやむ無くって場合もあるけど…とにかく気をつけて慎重に行動してって言いたかっただけ。もし義一さんの跡を継ぐ気なら尚更ね」 妖と渡り合う中で、無傷ではいられない事もある、愛は念を押したかったのだろう。 それから愛は「継ぐ気が無くても、始が訪ねて行くだろうけど」と、苦笑う。 「まぁ、今回みたいな大きな騒動はそう起きないと思うけどね。始もまさかここまでは想像してなかっただろうし」 智哉は愛の言葉に苦笑い、ふと暁孝を見上げた。暁孝は立ったまま眉根を寄せて俯いている。「暁?」と、智哉が声を掛けると、暁孝は何か言おうとしたが言葉が出ない様子だった。更に問いかけようとした智哉だったが、不意に手を取られ目を丸くした。 「…分かってる、行くぞ智」 「え?ちょ、ちょっと!あ、ありがとうございました、先生!」 「はい、またね」 急かすような暁孝に引き連られ、診察室を出て行く智哉。愛は突然の事にきょとんとしていたが、去り行く智哉にひらひらと手を振り、困ったように溜め息を吐いた。 「相変わらず可愛くないね、先生のお子さんは…」 しかしその表情は、どこか安心しているようにも見えた。 暁孝は義一夫妻を亡くし、塞ぎ込んでいるようだと聞いていたからだ。 だが暁孝は、随分智哉を大事にしているように見えた。智哉の方も、暁孝を理解しようと懸命だ。寄り添える誰かが側に居てくれるのは、暁孝にとってはとても大事な事だろう。 妖は、時に人を惑わしていく。支えてくれる存在がある今の暁孝なら、大丈夫だろう。 大丈夫だと、信じたい。 愛はカルテを思案気に見つめ、再び小さく息を吐いた。

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