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「ああ、おかえり。紫藤君」
社長室には、クマさんこと西藤 さんの姿がある。僕は彼にも帰社した旨を告げて、いつもの位置に鞄を置く。
僕が先生の秘書としてここに勤め始める前、同じ仕事はほとんどクマさんの担当だった。だからか、彼はレッスン──クマさんは、教室のもう一人の男性講師だ──や自身の仕事の合間に、よく社長室を訪れる。
今は僕が滝口さんのオフィスまで出向しているから、正直なところ、彼がそんなふうに力を貸してくれるのはとても有難たかった。
「さっきね、急ぎの案件が一つあったから、僕からお苑ちゃんに確認取って、先方にはメールで返答しておいたよ。そのやり取り、紫藤君の方でも見られると思うけど……」
「はい……あ、あります。これですね。確認します。ありがとうございます」
「うん。それと夏のイベントね、ちょっとだけ進展があったから、これも紫藤君の耳には入れておかないと。……いま、平気?」
「はい、お伺いします。お願いします」
自分のデスクに着くと、当然ながら仕事は山のようにあって、息つく暇もない。僕はメモとボールペン、加えてパソコン画面に先生のスケジュールも開いた体勢で、クマさんの報告を聞く。
それが済めば、溜まったメールのチェックだ。今すぐ返信出来るもの、確認後返信するもの、先生に投げるもの。ざっくり振り分けて、すぐに返信可能なものから手を付けてゆく。
「そういえば、滝口君は元気だった?」
「はい。……あ、ありがとうございます」
どうやらクマさんは、少しだけ時間に余裕があるらしい。社長室のコーヒーメーカーを動かして、僕の分までコーヒーを淹れて差し出してくれる。……おまけに、ちょっとしたお菓子付きだ。お皿に載ったパウンドケーキ。彼のお手製。
クマさんの気遣いに乗じて、僕もほっと息を吐く。とはいえ、完全にパソコンから目を離してしまうわけにはいかないけれど。
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