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「では、午後一番でメールしておきます」
「うん。デザイナーさんへの返答はいつまで? あ、ごめん。ここに書いてあった。今週中だね」
「はい」
タブレットの画面をすいすいと操る滝口さんは、デザイナーさんが付けてくれた添え状代わりのメールの文面をちゃんと見つけている。それから、お気に入りの雑誌を開くみたいな表情になった。添付された画像を一つずつ開いてゆくんだろう。
どこか子供っぽいその顔をこっそり見つめながら、僕は口調だけは淡々と、事務的な補足事項を告げる。
「もし僕がこちらにお邪魔していない日に決定を出された場合も、僕のデスクにわかるようにメモ書きなどしておいていただければ、金曜日には必ずこちらへ伺いますので、その時にデザイナーさんへ返答します」
「うん。……瑠姫君、このラフ見た?」
「はい。不具合や洩れがないか、ざっと確認した程度ですけど……」
僕が頷くのを、滝口さんはじっと見つめてくる。……なんだろう? 外から資料が届いた時、画像が開けない、添付ファイル数が足りない、なんて凡ミスをフォローするのも秘書の役目だ。そこのチェックを怠って、上に投げてから「見られない」「足りてない」と返されたりしたら、二度手間になる。だから、先に目を通していても問題はないはず、なんだけど。
それに、滝口さんの表情も、こちらに不満や文句があるようには見えない。
むしろ、なにか言いたそうな……。
『俺が、梓に決めてほしいの』
(あ)
そうか。
僕が篠宮君じゃないから──。
(どれが良いと思う? って、そんなふうに)
いま、ここに居るのが篠宮君だったら、滝口さんはいっしょにタブレットを覗き込ませて、そんなふうに問うんだろう。
カフェ勤めの篠宮君は、シフトでの休みを取るのはいつも平日。それも週一回ちゃんとあれば良いほう、って、いつだったか本人が零してた。ちょうど今ごろは、きっといちばん忙しい時間帯。
(なんで)
すうっと、心臓が冷えてゆくのを感じる。どうして、いまここに居ない人のことを意識しなくちゃいけないんだろう。
「瑠姫く……」
「では、以上の確認をお願いします。それで申し訳ないんですが、僕はこれから、昼休憩を取らせていただきますね」
笑顔の仮面を貼り付けて、僕は膝を上げる。篠宮君の代わりにされるのも、代わりにはならないからと別の話を差し向けられるのも、どっちもいやだった。
だから、逃げるしかないんだ。
「え? 瑠姫君、ごはんなら俺が……」
「僕、今週新発売の地域限定弁当、とても楽しみにしてるんです。だってほら、コンビニ弁当大好きですから!」
ああ、もう、言ってることがむちゃくちゃだ。
でもいま、どうしても、僕は引き止められたくない。ちゃんと笑っていられるうちに、逃げ出したい。ごめんなさい。
ごめんなさい。
大股でフロアを突っ切って、陽の光の届かない、水に沈んだような暗がりの廊下へと踏み込む。それを裏口に向かって進みながら、僕は仮面をかなぐり捨てた。への字口になって、涙をこらえる。
滝口さんの声が背を追って来ないことにとてもほっとして、でも同時に、ひどく傷付いてしまうのをどうにも出来ない。そんな自分のことを、いちばん嫌いだと思った。
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