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「俺は本人とは会ったことないし、正直テレビとかで一方的に見たくらいの印象しかないけどさ、滝口サンにはめちゃめちゃ感謝してるよ。なんせ、瑠姫の心に『安心』をくれた人なんだもんな」 「……うん」  僕が岡山先生のスウィートホームクッキングへ勤めることになったのは、親のコネがあったから。「ちょうど苑子先生が秘書を探してるそうなのよ」、なんて話であれよあれよと面接の場が設けられてしまい、最低限の身なりを整えて履歴書を持って行ったら採用が決まった、ってくらい受動的なものだったから、本当の話をすると、僕はこの就職、どうせ三ヶ月ももたないだろうなって思ってたんだ。  僕の中にあるはずの歯車は、がきんと割れたまま、歯も噛み合わなくて止まってる。こんなの、もう一度くるくると滑らかに回すことなんてできないよ。……そんな取り残されたような絶望感は、ひとつも変わってなかったから。  いくら周りにせっせとお膳立てしてもらって、むりやり日常のサイクルに乗ってみたって、この歯車が壊れたままなら僕はいずれまた止まってしまう。──もしかしたらきっと、最初の時よりもずっと、救いようのないかたちで。 (そう、思ってたんだよ)  なのに、ぜんぜん予期せぬタイミングで、するりと世界は変わってしまった。  入社二日目。  陽なたの窓辺に立つ、滝口さんに出逢った瞬間。  僕はもうずっと見ない振りをしていたいびつな歯車の隣に、こっそり芽生えている、緑の葉っぱを見つけたんだ。 (すごくすごく小さいけれど、でも、真新しくて)  最初は頼りない双葉だったそれが、ちょっとずつ背を伸ばして、ちょっとずつ枝葉を広げて、だんだんと人の力になれるようになってゆく。  それがただただ嬉しくて、僕は毎日、僕の木に水をやる。陽の光を当てて、たまに肥料を加えて。もっとちゃんと大きくなるように。  いつか、誰かの木陰を作れるように。  くるくるとよく回る歯車とはもうぜんぜん違うけど、これが、僕のサイクル。  繰り返す日々の中で、自分自身のための、小さな木を育ててる。 (それを教えてくれたのが、滝口さんなんだ) (だって僕はずっと、滝口さんばかりを見てたんだから)  それこそ、雛鳥が最初に出会った生きものを親と慕うようなもの。冷たく暗い独りきりの部屋を出て、最初に出逢った『陽なたの人』が、僕にとっては滝口さんだった。  真新しくて眩しい世界の、その真ん中に立つ人。  きらきら輝く陽の光そのもの。すうっと染み込む綺麗な真水。さらには、いろんな世界の色彩を届けてくれるやわらかな風。  滝口さんの見せる気遣いにいつも僕は感動して、人とのコミュニケーションの取り方に、円滑な人間関係の作り方と適切な距離感を学んだ。人生観、仕事への姿勢、趣味を楽しむ時のわくわくした横顔。  ぜんぶぜんぶ、僕の教科書だった。

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