「梓はね」 「──」 　不意打ちの名前に、僕はひゅっと息を飲む。……篠宮君に罪はないんだけど、滝口さんが彼の名前を呼ぶたび、無条件で心臓が痛くなる。 「梓は……絶対に自分自身に嘘をつかない子だから。俺と付き合う時にも言ったよ。『オレは、オレのことをいちばん好きでいてくれる人が好き』って。だからあの夜、俺と梓は駄目になったんだ。俺の『いちばん好き』は、梓じゃなかった。そのことに、俺も梓も同時に気付いたから。そしたら、終わりにするしかない。いったん明るみに出た事実には、蓋をすることが出来ない……」 　それはよく似た価値観を持つ二人の、二人のための答え。 　偽りなく前向きで、自分にも、相手にも、いちばん優しい。きっと。 「梓と別れて初めて、俺はわかった。初めて会った時から梓のことを可愛いと思ってたけど、それは梓が似てるからだ。──瑠姫君に」 「ぇっ……」 　あまりに意外なことを言われて、僕は想わず声を出す。だって、似てるどころか、正反対なのに。 　滝口さんはふわっと息を抜くように、小さく笑った。 「誤解してるかな。顔立ちの話じゃないよ、性格の方」 「……っ」 　それこそ、絶対に絶対に違う。僕はいっそのことそう反論してしまいたかった。けれど、とっさに上手な言葉を見つけられない。 　篠宮君の持ち得ている天真爛漫さや、愛されている自信みたいなものは、僕の人生とは無縁のものだ。 「梓は自覚ありの小悪魔だけどね。瑠姫君にその自覚はないだろうから、納得出来ないのもわかるよ」 （こあくま） （って、なに……） 　漢字変換するとしたら、もしかして、「子悪魔」？　「小悪魔」かな。どっちにしろ、あんまり良い意味じゃない気がする。 　でも、それを話す滝口さんの声は穏やかで、どこか嬉しそうだ。 「懐かしい話をしようか。瑠姫君がスウィートホームクッキングに来る時、始めはみんな、俳優かモデルが来るんだと思ってたんだよ」 「え……？」 「岡山さんは、あれでいて実は芸能一家のお嬢さんだろう？　大叔父さんが高名な映画監督で、他にも舞台女優やらオペラ歌手やら、最近だとＴＶＣＭで話題になったシンガーソングライターも、確か甥っ子さんだよね」 　滝口さんが教えてくれた映画監督の名前は、僕もいくつか作品を見たことがある人。なのに、先生と親戚だなんてまったく知らなかった。 「だから、ちょっとワケ有りの子が岡山さんのツテで面接に来る、って話を聞いた時、事務室のみんなは売れない俳優やモデル崩れの子がコネ入社するんじゃないか、なんてね、口さがない噂話をしてたんだ。そして、面接の日に現れたのが君だった」