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 俺はその日に居合わせたわけじゃないけど、と言い置いて、滝口さんは続ける。 「紫藤瑠姫、っていかにもな名前なのに、検索してもなにも情報が出て来ない、だったらだからこそ、食うに困った俳優かモデルで決まりですよ! って、事務室の女の子たちは大騒ぎだったみたいだよ。俺はさすがに話半分でいたんだけど、初めて君を見た時に、……うーん。なんて言えば、いいんだろうね」 「がっかりした、とかですか?」 「ちょっと待って。瑠姫君、そんなわけないよ。むしろまったく逆……、ああもう、この際だからストレートに言うけど」  滝口さんはその両方の手で、僕の肩をぐっと掴む。そのおかげで、彼との間には少し距離が出来た。でも、逃げ場がないのは同じだ。 「めちゃめちゃ色っぽくて美味しそうな子だな、って思ったんだ。絶対に俺のものにしたかった。人生で経験がないくらい、強烈な一目惚れだったんだよ」 「──」 「ごめん。俺はこれを、最初から確信してるんだけど……、瑠姫君はゲイだよね? それも、長く付き合った相手がいた。もし、それが櫻河君だとしたら、」 「大輔は、従兄弟です。幼馴染みでもあって……でも、それだけです」 「その話、櫻河君も言ってたね。ほんとなんだ?」 「ほんとです。僕が中学受験をしたから、学校はずっと別で、でも連絡は取り合ってたし、長期休暇で帰省したら毎日みたいに会ってました。というか、家が近くだから……。それに大輔は、昔からずっと女の子が好きです。大輔の彼女なら、僕は最初の子からぜんぶ言えるんです」  付き合い始めは決まってハイテンションになる大輔は、聞いてもない彼女のことをあれこれ惚気てくるのがいつものパターン。何をするにも彼女が彼女が、なんてその子中心になってるようすを見聞きしてたら、覚えるつもりなんてなくても覚えてしまう。  基本的に恋人と長続きする大輔。今の彼女が何人目なのかは、……もう、忘れてあげた方がいいかな。 「それは、たとえば瑠姫君が……人知れず彼に片想いをしてたから、とかではなく?」 「大輔にですか? そんなの、ないです。っていうか、僕は」  ゲイではないです。そう言い掛けて、声を飲み込む。どうなんだろう、ってふと思ったからだった。僕はたしかに、滝口さんに出会う前までの人生で一度も男の人に惹かれたことはない。でも、女の人にもない。  ずっと、それどころじゃなかった。 「『僕は』?」 「……」  こんな時まで、滝口さんは丁寧に辛抱強く、僕の言葉を待っていてくれる。やわらかな声で促されると、心のよわいところがゆると震えた。  僕が目を上げれば、当たり前にまっすぐ、滝口さんの瞳とかち合う。 (あなたが) (好き、です……)  もしテレパシーがあれば、いまこの瞬間に、僕の恋は伝わるのに。  でも、そんな便利な力なんてない。  そして僕の声は、言葉は、それを滝口さんにぶつけることなんて出来ないよと、ただ怯えて竦むんだ。 (だって) (たぶん、違うんだよ)  僕と篠宮君は、何一つ似ていない。  あんなにもきらきらしていて、誰からも愛される篠宮君とよく似た『紫藤瑠姫』が居るとしたら、それは。

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