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 地上を焼かんとする夏の陽差し。それがようやく天の高くへと逸れ始めた十月、僕は初めて、建築途中のキッチンスタジオにお邪魔することになった。  その日、滝口さんといっしょに出迎えてくれたのが、初対面の篠宮君だったんだ。 『こんちは! あ、ごめん、名刺はいらないかも? オレね、この人の恋人だから。ほんと図々しくこんなとこに居るけど、ぜんぜん仕事関係の人じゃないんだよね!』  なんの構えもなくそう言った彼は、「だからオレ、めっちゃ大人し~く、良い子にしてるね?」なんて、甘えた笑顔を傍らへ向ける。それを受け止める滝口さんも、やわらかな眼差しで「お願いします」って笑ってた。  そんな二人の空気感。言葉ひとつよりももっとずっと深く、僕を打ちのめす。  ああ、そうか。……なんて。最初はほんとに、間の抜けた実感。 (滝口さんが欲しかったのは、『恋人』、なんだ……)  いっしょにごはんを食べて、たくさんの話をする。  お互いの価値観や意見を知って。例えば悩んだ時、どんなふうに解決してゆくのかを知って。そんな姿を良いなと思うんだ。  いざ立ち向かう時、その一歩が少しでもつらくないように、この手を、ちっぽけな言葉を、いつでも伝えて。  がんばって、って。  戦い終えた夜や、嬉しい結果を出せた日。安心して綻ぶ眩しい笑顔を、今度は自分が頑張る時の力に変える。  僕は最初から滝口さんに頼ってばかりだったけど、一年を経たあたりからは、徐々に滝口さんの弱音を耳にするようにもなってた。「瑠姫君に『がんばれ』って言ってほしいな」、とてもスマートな形で甘えてもらって、そのとおりにエールを送ったりして。  僕は、滝口さんとは、ずっとそういう関係で居たかった。 (でも)  滝口さんからの告白を断った途端、そんなふうな二人の時間はぜんぶ、消えてしまった。 『僕は、滝口さんのことをそんなふうに考えたことは、ない、です……』  彼の告白を、僕が断った夜。八月の夜。その日を境に、滝口さんは僕を自身の部屋へ誘い込むことはなくなった。  それはとてもきれいな、徹底された引き際。  あの頃を思い返すと、さあっと波が引いてゆく白い浜辺に立つ、こちらに背を向けた滝口さんのイメージが思い浮かぶ。

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