51 / 70
9 -05
「寂しいならなおさら、元彼の声なんて聞いてもどうしようもないだろ?」
滝口さんは呆れたように突き放してみせているけど、でもその声音は、言葉ほどにはきつくない。ゆったりとリラックスしていて、何より、篠宮君と話すのが楽しそうだった。
『元彼だけど、現友達だから! 友達はオレのおねだり聞くもんだから! 智史さ、車って出せる? オレね、海に行きたい~っ』
「海? 相変わらず梓は、とんでもないこと言い出すな」
『そう! とんでもなくロマンチックだと思うんだよね、海に降る雪! めっっっちゃ見たい!』
「そこまで邪気無く言われると、うっかり俺も元気になるよ。でも海には行きません」
『え~っ』
篠宮君らしいわがままに、滝口さんは穏やかな口調で笑い返す。ぜんぜん、変わらない。二人は、別れる前とおんなじなんだ。
その関係のラベルを貼り替えても、そこで培った絆まで手放すわけじゃない。
それは滝口さんと篠宮君が、ちゃんとお互いを理解し合ってきたからこそ叶うことだった。
……僕には、出来ない。だってもう笑えない。
もう、笑えないんだ。
ちゃんと覚悟を決めて、気持ちを整えて、やっと笑えるはずだったのに、それが叶わない。震える唇を止めようとしたら、きつく噛むしかなかった。そうしたら、息が止まる。
苦しいよ。
僕は心臓を掴むみたいに胸元を握って、もうどうにもできなくて、その場でただ、頭を下げた。
さよならも、ありがとうも、こんなんじゃ伝わらない。でも、もう。
「あれ、やっぱり。瑠姫く……」
「……っ」
ふいに、滝口さんの声が降ってくる。僕はそのことに驚いて、顔を上げた。……あ、と思ったのと同時、見上げた先の瞳が瞠られる。見られた。見せる、つもりじゃなかった。
隠しようもない、ぐしゃぐしゃの泣き顔。
「瑠姫君っ……」
僕は踵を返して、駆け出す。何度も通ったオフィス。廊下がどこまで延びていて、どこで曲がれば出入り口に辿り着くかは、感覚で覚えてた。暗闇でも迷わない。革靴を引っ掛けるように履いて、扉を開く。
街灯の光差す、雪の世界。
しんと凍りついていて、なにも聞こえない。──耳もとに鳴る、滝口さんの呼吸、以外は。
「瑠姫君、なんで……っ君が、泣くんだ」
なんでって。
だって。
僕は背中からまるごと抱き締められたまま、その腕から逃れようと、がむしゃらに暴れる。それを強い力で抑え込む滝口さんは、同じ問いを繰り返した。
「なんで、君が」
「っ……」
好きです。
滝口さんのことが、好きです。
だからどうしても、何もかもが痛くて、もう耐えられない。僕を逃がして。ぜんぶ真っ白になった、優しい世界へ。
それは確かな死と再生の銀世界。──この恋を、葬るための。
ともだちにシェアしよう!