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5. 揺れる想いの熱さを

 突然の雨に降られて、司と一緒にずぶ濡れになった翌朝。起きた時に感じたのは、本当にただの小さな違和感だった。  寝起きだしな、で片付けた筈の違和感は、大学の授業が終わってバイトが始まる頃に嫌な予感へと変わって。  まだいける大丈夫、なんて騙し騙しでバイトを終える頃には、完全に風邪の自覚症状に変わっていた。 (司のことばっか優先してたからなぁ……)  だからって後悔なんてしないけど、と熱い息を吐きながら笑う。  今日はさっさと帰って大人しくしとこうと、いつもなら通るはずの公園を遠目に見つめて通り過ぎる。  若干ふらつく体をどうにか真っ直ぐにして歩きながら、ふと頭を掠めるのは司の顔だ。 (……今日……もしも待ってたら……)  心配してくれたりするんだろうかと、自分に都合のいい妄想を思い浮かべて笑う。 (ンな訳ないか)  やれやれと呆れ笑って妄想を破り捨てながら、それでも胸の奥の方で、淋しいとか思ってくれるかな、なんて期待する不謹慎な自分もいる。  邪な妄想を振り払うつもりで頭を緩く振ったら、それだけで足下がふらつくのに気付いて、今度こそ真面目に家路についた。  家に置いてあった、いつ買ったのかも分からないような風邪薬を用量通りに飲んだら、そのままベッドに沈んで目を閉じる。  そのままぐったりと眠る筈だったのに、頭の中をチラチラと掠めては消える司の顔のせいで、上手く寝付けずに。  暑い布団の中で怠い体をウダウダと転がしながら、悶々とする。 (一人で待ってたらどうしよう……携帯聞いとけば良かったな……でも、それってなんか、下心見え見えだし……でも、こういう時困るなぁ……てかまぁ約束した訳じゃないんだし、待ってるとも限んないよなぁ……でもなぁ……)  飲んだ風邪薬は確か眠くなる成分配合だったはずなのに、むしろ目が冴えてしまったような気がして。 (……まぁ……待ってたとしても、オレを待ってる訳じゃない、よな……)  暑くて足元の掛け布団を蹴り上げてから、自分の甘い妄想に、わざと考えたくない言葉でトドメを刺したのに。  でもなぁ、なんて。まさに思考の無限ループに陥ってしまう。  暑くなってきた布団の中で、冷たい場所を探して地味に体を動かしながら。 (……今日、無理して会ったって、……風邪、感染すだけだよな)  どうにかこうにか自分が一番納得出来る理由をこじつける頃には、寝間着代わりのジャージにやけに熱が籠もっていて。  そっと体を起こして着替えようとベッドを降りたら、思いの外ふらついて笑ってしまった。 (これは風邪じゃなくて知恵熱かも)  そんな風に余裕めかして笑ってから違うジャージにもそもそ着替えて、冷凍庫の奥に転がってた小さな保冷剤をおでこに当てる。 (----あー……気持ちいい……)  氷枕も、冷却シートもない。一人暮らしの男の家なんて、こんなもんだ。保冷剤があっただけマシ。  風邪で弱って淋しがる心に、そんな風に言い聞かせてベッドに戻る。 (……司が風邪引いてなきゃ良いな……)  着替えている間に少し冷たくなったベッドにぽふっと横になったら、今度は呆気ないくらい急速に深い眠りに引きずり込まれた。  ***** (……今日は来ないのかな……)  足下の砂をコンと爪先で蹴って、今日何度目かで公園の出入り口に目をやったけれど、瀧川は来ない。 (……呆れられたのかな……)  昨日、雨の中で散々大泣きしてしまった。  幼い子供のように後先考えずに泣いてしまったから、引かれたのかもしれない。 (…………瀧川は、そんな人じゃない……)  不安がる心に、よく知りもしないくせにそんな風に呟いて、キッと空を睨む。  泣いていいよと優しい温もりで包んでくれた瀧川の声や態度には、こちらを鬱陶しがったりバカにしたりする要素は一つもなかった。  大丈夫、と言い聞かせながらも、不安はオレに溜め息ばかり吐かせて。 (…………----瀧川……)  バイトかもしれない。  学校かもしれない。  来られない理由を、とにかく何でもイイからと思いつくままに並べて。  いつの間にか太陽が沈んでしまった空を、切なく見つめるしかなかった。  ***** 「……ぅ……」  薬を飲んで眠りに就いてから、どれくらい時間が経ったのだろうか。  暑くて暑くて、なのに寒くて。  喉は熱に焼かれたみたいに、ひりひり痛い。 (やべぇ……)  久しぶりに本格的に風邪を引いたようだと、ようやく思い知って薄く笑う。  とにかく何か飲みたくて、帰りがけに買ってきたスポーツドリンクを求めてよろよろと台所に向かって。  2リットルのペットボトルの重さにさえ震える手でどうにかコップに注いで、痛い喉に流し込む。  ついでに着替えも、と思ったときだ。 (………………司?)  何がそう感じさせたのかは、全く解らない。  もしかしたら、風邪で弱った心が彼を求めただけなのかもしれない。  ----だけど。  理由なんてこの際、何でも良くて。  強いて言うなら第六感、なんてちょっとだけ笑いながら。  よれよれと玄関のドアを開けたら。 「--------うそ、ホントに?」 「----たきがわ」  マンションの共用廊下で、うろうろと歩き回っていた司を見つける。  てってって、とこっちへ走ってくる司の姿を見つめていたら、安心したみたいに力が抜けて、その場にしゃがみ込んでしまった。 「----っ、たきがわ!? どしたの!? って、うわっ、何この熱!?」  慌てて駆け寄ってきてオレの体に怖々触れた司は、そんな風にわたわたと取り乱して。  その姿が可愛すぎて熱い息の下で笑ったら、す、と意識が遠のいた。 「----、瀧川!」  *****  どうしても気になって、1回行っただけの割には迷うことなく辿り着いた瀧川の家の前で、だけど勇気が出なくてウロウロしていたら。  かちゃとドアが開いて、よれよれの瀧川が顔を出すから、目が点。  まだ少しだけ躊躇いながらも近づく途中、瀧川がずるずるとその場にしゃがみ込むのが見えて。慌てて駆け寄って、瀧川を助け起こそうと腕に触れたら。 「うわっ、何この熱!?」  驚くほど熱い体に思わずあたふたと声をあげてる内に、瀧川が、す、と意識を飛ばして。 「----、瀧川!」  あの日失くした章悟と重なって、心臓がバクバクした。  パニックに陥りかけた心と、泣き叫びそうになっていた唇。だけど、どうにか平静を取り戻せたのは、瀧川の苦しげな呼吸音が耳に届いたからで。 (----っ、しっかりしろ!!)  パチン、と。  震える手に力を込めて頬を叩いたら、力の抜けている熱い腕を自分の肩に回して、よろよろ立ち上がって。  苦労して家の中に運び込んで、とりあえずベッドに向かう。 (----オレの、せい、だ……)  オレがちゃんと雨宿りしなかったから、瀧川までずぶ濡れになって。だから、こんな酷い熱を出してるんだ。  そう思うと、申し訳なさ過ぎて泣きたくなるけれど。  今は泣いてる場合じゃないと、歯を食いしばって瀧川をベッドに寝かせる。  呻いただけで目を覚まさない瀧川に、とりあえず布団を被せてやってから。  勝手にごめんと謝って、小さな冷蔵庫を開ける。  冷却シートも氷枕もない冷蔵庫には、男の一人暮らしを象徴するみたいに、見事に何も入っていない。  かろうじてスポーツドリンクは入っていたものの、食材はおろか、調味料すらほとんど入っていなくて。 (----買い物行ってこよう)  いつ作ったのかも分からないような、製氷機の中の縮んだ氷をビニール袋に入れて、タオルでくるんでとりあえず瀧川のおでこに乗せる。 「ん……」  うっすらと目を開けた瀧川は、唇の動きだけでオレを呼んだけど。  また、すぐに目を閉じてしまった。  とにかく冷やすもの。薬は机の上に転がってたから、とりあえず大丈夫。  呪文みたいに今からやることを呟いたら、玄関の靴箱の上に放置してあった鍵をそっと持ち上げて 「ごめん、勝手に借りるね----行ってきます」  部屋の奥で苦しい寝息を立てているであろう瀧川に、そう囁いて家を出た。  *****  寝苦しさに目を覚まして、無意識で蹴り上げようとした足元の布団。  なのに、重たい何かに阻まれて。不思議に思って熱のせいで重い瞼をこじ開けたら、誰かの頭が布団の上。 「----?」  上手く働かない頭が、鈍く痛んだけれど。知らない間に貼られていたおでこを冷やしてくれている冷却シートの存在が、意識を飛ばす前後の曖昧になっていた記憶を呼び覚まして。  一番に思い出したのは、意識を失う直前の悲鳴じみた司の声だ。 (----もしかして)  あれからずっと傍にいてくれたのだろうかと、自分に都合のいいことを思い浮かべながら。  おでこに貼られたまだ冷たい冷却シートがそれを裏付けていると気付いて、ゆるゆると頬が緩むのが解る。 「----つかさ」  掠れた声を、痛む喉から絞り出したら。  顔の横に放り出されていた指が、ぴくりと動いて。 「……ぁきがわ?」  寝起きのとろりとした目と舌足らずな声に捉えられて、ごくりと喉が鳴った。 「つ、かさ……」  ずっとついててくれたのと、続けるはずだったのに。  渇いた喉に飲み込んだ熱い唾に、格好悪く噎せた。 「っ、大丈夫!?」  慌てて台所に走った司が、水の入ったコップを持って戻ってきてくれる。  咳の合間に流し込んだ水に熱い喉を潤されてホッと一息吐いたら、ようやくスムーズに声が出せるようになった。 「ずっと、ついててくれたの?」 「だって心配だったし」 「ありがと」  空になったコップをさりげなくオレの手から取って近くのテーブルに置いた司が、ひくっと妙な息遣いをして。 「----っ、よかった」 「っ、ちょ、っえ!? ……っぇ!? あの、ぇっ!?」  突然ボロボロ泣き始めるのに、わたわたと焦る。 「どしたの、ちょっ……あの……あの、泣かないで?」  どしたの、ともう一度オロオロしながら聞けば、ぐしぐしと鼻をすすった司が 「瀧、がわがっ……急にっ、倒っ、れる、からっ……びっくり、した」 「ぁ……うん、ごめん……」  ひくひくと喉を震わせながら、一生懸命に言葉を紡いで。  濡れたままの瞳で下を向くから、ぱたぱたと落ちる雫がシーツに小さな斑点を作る。 「しょ……ごの……」 「ん?」 「しょぉごの、時、みたいに……」 「うん?」 「瀧川も……し、んじゃうかも、って……」 「ぁ……」  苦しさの滲むその小さな呟きに、「しょうご」を失った時と状況が似てしまったのだろうと、ようやく気付かされて謝ろうとしたら。 「--------たきがわが……死んじゃったら……嫌だ」 「つか……」 「嫌だ」  俯いていた顔が、真っ直ぐにこっちを向いて。  泣いているはずの潤んだ瞳が、なのに力強くオレを見据えて。  息が、出来なくなったと思ったのに。  いつの間にか司を抱き寄せていたらしいオレは、だけど華奢な体を腕の中に閉じ込めて、その細い肩に熱い顔を埋めていた。 「反則だよ」  震える声で呻いたら。 「ぇ?」 「----ごめん」 「ッン……」  無防備な司の少し冷たい唇を、熱のある熱い唇で塞いでいた。  抑えきれなかった衝動を、後悔してももう遅い。  震えていた唇からそっと唇を離して、やってしまったことの大胆さと申し訳なさとに、司の顔をまともに見られずにおろおろと視線を彷徨わせた後。 「ごめん」  もう一度謝って、しょんぼりと項垂れる。 (何してんだよオレはッ)  いくら熱に浮かされているとは言え、こんな突然、キスするだなんて。----まして、好きだとか何だとか、想いを告げることすらまだしていないと言うのに。  しかも司は、「しょうご」の死を自分が倒れたことに重ねて、ほんの少し哀しく淋しく感傷的になっていただけに過ぎないというのに。 「ごめん……」  続く沈黙に耐えられずに、もう一度謝ったら。  くぃ、と。  服の裾を弱い力で引かれて。 「なんで、謝るの」 「……なんで、って……」  俯いた司に問われて、オロオロと言葉を探す途中。 「…………----嫌じゃないよ」 「ぇ?」 「嫌じゃない」 「つか」 「嫌じゃないよ」  暗がりでもそうと分かるほどに、赤く頬を染めた司が。  唇を真っ直ぐに引き結んだまま、潤んだ瞳でオレを見つめていて。 「ごめん、司」 「何……?」 「オレ、司のこと好きだ」  気がついたらその目を真っ直ぐに見つめ返して、そう呟いていた。  *****  瀧川の腕の中に包まれたとき。  恋してるみたいにドキドキしながら。  ホントにいいのかなって恐くて、罪悪感に震えてた。  瀧川を失うことと章悟を失うことは、同じくらいに痛くて、同じくらいに辛くて、同じくらいに苦しいんだと。  気付いた時は本当に。どうしたらいいのか分からなかったのに。  瀧川の苦しげに呻く声に捉えられた瞬間に、身動きが取れなくなった。  苦しくて。苦しくて苦しくて。苦しくて。  藻掻き方さえ分からなかったのに。  瀧川の熱を持った唇に触れられた瞬間に、すとんと心に堕ちてきた好きの気持ちが。  罪悪感を、覆い隠して。  瀧川が呻くみたいに呟いた「好き」の一言も。  オレの胸を呆気なく貫いて、ひっきりなしに心臓を叩いた。 「オ、レも……」 「……」 「オレ、も……瀧川のこと、……好き……」 「つかさ……」  目を見開いて驚いてた瀧川の顔に、じわじわと喜びが広がった後。  だけど、ハッとしたみたいな瀧川が、一瞬でその顔を哀しげに歪めた。 「しょう、ご、は……?」 「ぇ……」 「いいの、司。『しょうご』のこと」 「ッ……」  苦しそうな顔と声が紡ぐのを、ずるいと思いながら見つめるのはオレが弱いせいなんだろう。  だって、そうだ。  一瞬の好きがオレの心を乗っ取って、罪悪感を覆い隠したことを、オレは知ってる。  見ないフリしたズルくて卑怯なオレが、どっちつかずの「好き」に振り回されて、楽に流されたことを、誰よりオレ自身が知ってる。  好きに、溺れてくれたら良かったのに。  聡く気づいて気を遣うだなんて、そんなこと。  今にも泣き出しそうな顔して言われたら、目を瞑るはずだったオレの狡さに、向き合わざるを得なくなるじゃないかと。  心の中で見当違いに八つ当たりしながら、唇を噛む。 「……つかさ」 「……」 「……つかさ」  そんなオレを。  優しく呼んだ瀧川が。  まだ泣き出しそうな瞳のままで、だけど優しく笑ってくれる。 「-------オレ。待つよ」 「……ま、つ?」 「うん。オレね……待てるから」 「……」  何も言えないオレを優しく見つめた瀧川が、遠くを見るみたいな目をした後で照れ臭そうに笑った。 「オレね、司。あの、初めて逢った日から、司のこと好きだったんだって、今なら、素直に認められる」 「……」 「あの日からずっと、『しょうご』のこと待ってる司を、ずっと傍で見てきたんだから。待てるよ。司の中で決着がつくまで」 「……けっ……ちゃく……」  呆然とオウム返しすることしか出来ない自分を呪いながら、瀧川を見つめるオレは。  きっと、縋るみたいな目を、してたんだと思う。  ふわり、と優しく力強く笑った瀧川が、ぽふぽふとオレの頭を撫でた後で、真っ直ぐな瞳をオレにくれた。 「どんな決着になったとしても、オレは待つって言ったことを、後悔しない」 「……」 「今、つけ込んで司をオレのにしたって、いつかきっと、司は苦しむ。そんなの嫌だし、いつか急に、こんなはずじゃなかったって、目が覚めたみたいに失望されたくないから」 「たきがわ……」 「どんな決着になってもいいから。----いつまでだって、待ってるから。ちゃんと、真っ直ぐでいて」 「ぁ……」  ね、と笑った瀧川が。  オロオロと視線を彷徨わせたオレの頭を、またぽふぽふと撫でた後。 「------ごめん……ちょっと、……もう、限界…………寝る」 「ぇ? --------っあ、ごめっ」 「んーん」  大丈夫、と。ヘロヘロの笑顔で笑った瀧川が、ほとんど倒れるみたいにして枕に頭をつける。 「…………でも……熱、出てなかったら…………こんな、大胆なこと。出来なかった、かも……」 「ぇ?」 「……こんな……気障ったらしい、こと……言えなかったなぁ……」  ぽつりと呟いた後、くぅくぅ苦しそうな寝息が聞こえてきて。  少しだけ、笑ってしまった。  熱があってもなくても、瀧川はいつだって大胆で気障で真っ直ぐだったのに。本人は、気付いていなかったのだろうか。  いつだって真っ直ぐにオレを叱ってくれたし、いつだって真っ直ぐにオレを見つめてくれていた。  その瞳の優しさと力強さに、どれだけ救われて、どれだけ温かく包んでもらっただろう。  いつも瀧川がしてくれていたように、優しく額に触れたら。冷却シートが熱を帯びていることに気付いて、そっと剥がして新しいものと交換する。 「ん……」  小さく声を漏らしただけで、起きはしなかった瀧川に。  それでも笑って、深く頭を下げた。 「ありがと、瀧川」  *****  次に目が覚めたとき、司は近くにいなくて。  冷却シートが乾いて、ぺろんと剥がれ落ちたおでこをカサカサと擦りながら、ぼんやりしょんぼり部屋の中を見渡す。 (帰っちゃったのかな……)  お礼も言ってないのに、と淋しく未練がましく思い浮かべて溜め息を一つ。  体はまだ怠いものの、あの眩暈がするほど高かった熱は落ち着いたらしい。  まだ少しふらつく体でベッドを降りて、冷蔵庫へゆっくりと歩く。 (……風邪、感染してなきゃいいけど……)  大丈夫かなと心配しながら冷蔵庫を開けたら、いつの間に飲んだのか、スポーツドリンクは残り少なくなっていた。  しまったなぁと顔をしかめながらも、とりあえずコップを出して注いでいたら、かちゃんとドアの方から鍵の開く音がして。  ギクリ、と肩を強ばらせて玄関を見つめていたら 「ぁ、起きてる」 「----司」  にこりと笑った司が、コンビニの袋をぶら下げて家の中に入ってきた。 「飲み物、もう、なくなりそうだったから、買ってきた」 「ぇ……ぁ、ありがと」 「あと、なんか食べれそうなの」  買ってきたんだと、袋を揺らした司に笑い返したものの。  昨日の自分の大胆な行動と気障な台詞を思い出したら、居たたまれなくて。マトモに顔を見られなくなってしまった。  だけど司は、何も気にしてないみたいなフツーの顔でケロリと近づいてきて、はい、と袋を手渡してくれる。 「……あの、つか」 「----オレ」 「…………うん?」  どうしたもんか、と迷いながら口を開いたら。同じようなタイミングで司が口を開いて。  その目の必死さに気付いて、きゅ、と無意識に唇を噛んだ。 「…………すごく……待たせるかもしれないけど……」 「…………うん」 「……ちゃんと、決着、つける」 「…………うん」 「だから……」  真っ直ぐな瞳が、一瞬言い淀んだ後に。  それでも、一生懸命にオレを見つめてくれる。 「……ごめん、こんなこと言っていいか分かんないけど。……でも、待ってて欲しいって、思うから。……ズルいことして、瀧川に、……中途半端なこと、したくないから」 「うん……」 「……なるべく早く、頑張るから。……待っててください」  ぺこりと涙目で頭を下げる姿が、健気でいじらしくて----どうしようもなく、愛おしくて。  抱き寄せたい衝動をぐっと堪えて、そっと大切に頷いた。 「うん。----待ってる」  ***** 『……ちゃんと、決着、つける』  あの日伝えたあの言葉に、嘘なんて勿論ない。  真っ直ぐ向き合いたい気持ちだって、嘘じゃない。  なのに、一人になって考え始めたら、途端に解らなくなってしまった。 (……決着……)  どうなったら、決着がついたことになるんだろう。  章悟を、忘れたら?  それとも逆に、瀧川を忘れて章悟のことだけ考えることに決めたら?  決着ってなんなんだろうと、もどかしく唇を噛む。  迎えにきて欲しいと、ずっと思っていた。  こんなにも苦しくて淋しい場所に一人で置いていかないでと、ずっと迎えを待っていた。  恐いくらいに淋しくて、苦しいくらいに切なくて。  ずっと、心の底から。  章悟を、待っていた。  あったかくて、優しい手のひら。  優しくて柔らかい、真っ直ぐな瞳。  ずっとずっと、焦がれていた。  もう一度逢って、二度と離れずにいたいと。  ずっと、希っていた。  逢いたくて、逢いたくて。  一緒に連れて行って欲しくて。  ずっとずっと、繰り返し叫んでいた。失っても褪せることのない想いを、ずっと。  これから先も、ずっと。褪せることも忘れることもないんじゃないかと----今でも、思っている。  あの土砂降りの雨の中で章悟を呼んで以来、叫びたい程の苦しい想いは、鳴りをひそめているけれど。  それでもきっと、この気持ちはいつまでも消えたりしないんだろうと、疼く胸にそっと手を当てる。  愛しい想いにはいつだって、申し訳なさが寄り添っている。  オレが死ねば良かったんだと責める声も、いつも胸に響いている。  こんなにも女々しく、未練たらしく章悟を追い求める心のままで。  決着、なんて。 (どうやったらつくんだろう……)  何度目かの自問に、答えなんて結局思いつかずに。  大きな溜め息を吐くことしか出来なかった。  *****  風邪の名残の咳も治まってきた頃。気配と足音を忍ばせて、そっといつもの公園へ行ってみた。  いつものベンチには、難しい顔で考え込む司の姿があって。  逢いたくて探してたはずなのに、なんて声をかけたら良いのか解らずに、その場に立ち尽くすしかなくて。  どんな結論になっても後悔しないだなんて、熱に浮かされていたくせによくもまぁそんな気障な強がりを吐いてくれたなと、あの日の自分に悪態つくしかない。  気にせずつけ込んで、奪えば良かったのだろうか。  もういない「しょうご」から、勝手に取り上げてしまえば良かったのだろうか。  何も考えられないくらいに深く深く愛して、溺れさせてしまえば良かったのだろうか。  ズルくて卑怯で自分のことしか考えてないオレが、掻っ攫えば良かったのにバカじゃないのと嘲笑う。  どうせ奪ったところで----誰かが、取り返しに来られるわけでもないというのに。  奪い合う相手は、もうどこにもいないのだから。  オレが囁く毒は、一瞬、抗う気力すら奪うほどに強烈で----甘い。  だけど、熱に浮かされながらも守ったプライドは、今も辛うじて折れることなく、オレを支えてくれるから。 (……バカでもいいや……)  間抜けでも、鈍くさくても。  ----例え、オレを選んでくれなくても。  後悔なんてしないと、精一杯の強がりで笑った。

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