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6. 君が教えてくれたこと -1

 いつものように半ば無意識にベンチに座って、どうすればいいのかも分からない『決着』に考えを巡らせる。  かなり長い間悩んでいるような気がするのに、ちっとも『決着』に辿り着けない。 (どうすればいいんだろ……)  何度も何度も繰り返した自問に、また溜め息を1つ。  何気なく公園の出入り口に目をやって、そういえばここのところ瀧川を見てないなと唐突に思い付いた。悩みに悩んで、自分のことだけでイッパイイッパイになっていたんだなと、情けない溜め息をもう1つ。  思い返してみれば、瀧川を看病したあの日以来、姿を見ていない気がする。  あの日から何日経ったんだろうと、指折り数えようとした時だ。  じゃり、と誰かの足が砂を踏んだ音に気付いて、 「たき……」  てっきり瀧川だと思い込んで、その名を呼びながら顔を上げて。  言葉に詰まった。 「…………久しぶり、司くん」  困ったみたいな顔で笑っていたのは、2個下で中学の後輩の晃太だった。 「こ、うた……」  久しぶり、とぎこちなく笑い返したら、困った顔したままだった晃太が、くしゃっとした顔で笑う。 「……元気だった?」 「……………うん」  躊躇いがちの晃太の台詞に少しだけ震えが混ざっているのには、気付かないフリをして言葉少なに頷く。  晃太は、オレと章悟が付き合ってたことを知る唯一の存在だ。  だから、他の人達は「ただの友達」を亡くしたオレの尋常じゃない落ち込み様を、「目の前で亡くしたから」と勝手に勘違いしながら、持て余していたんだと思う。  事情を知っていたはずの晃太は、----だけど、いつからかオレの前に姿を現すことはなかった。 「どしたの、急に……」 「……うん……」  そっと頷いたきり、もごもごと言葉に詰まる晃太に 「座れば?」  ぽむぽむと隣に空いたスペースを、手で叩いて示してやる。  窺うような目でオレを見つめた晃太は、おずおずと隣に腰をかけて。  それでもまだ言い淀むらしい晃太に、少しだけ笑ってしまった。 「何、どしたのホントに」  相変わらずだな、なんて。あの頃みたいに呆れて笑ったら。  晃太は、泣き笑うみたいなホッとした表情を見せた。 「……ずっと……」 「ん?」 「司くんに、どんな顔して会ったらいいのか、分かんなくて……」 「……」 「オレ……あの時、ホントに……」  思い出して唇を歪めた晃太が、何かを堪えるみたいにぎゅっと目を閉じて唇を引き結ぶ。  オレの知ってる晃太は、こんなにも大人びた顔をしていただろうか、なんて。中学時代をほろ苦く思い出す。  晃太は、中学の時から明るくて人懐こくて。時々とんでもなく優柔不断なのに、憎めない愛嬌で色んな人から可愛がられていた。  誰からも好かれる晃太が、なんでオレに特別懐いたのかは解らないけど。  中学の卒業式で晃太は、オレが卒業するのが淋しいと泣いてくれて。それ以降、ちょくちょくオレの通う高校に遊びに来ていた。  初めて高校の校門前に中学の制服姿で立ってた時には、さすがに何やってんだよと驚いたけれど。オレもなんだかんだで弟が出来たみたいに、照れ臭くも嬉しかったから。放課後にどこかへ遊びに行ったり、一緒に帰ったりしていた。  2年後に同じ高校に入学してきた時は、さすがに呆れてしまったけれど。本人は相変わらず色んな人に囲まれて楽しそうにしていたし、そもそも入学前からオレに纏わりついていたこともあって、晃太は入学当初からちょっとした有名人だったというのは余談だけれど。  晃太が高校に入学してきた頃、オレはもう章悟のことが好きだと自覚していて。だけど、男同士だし、友達としての関係が壊れるのも嫌だし恐いしで、一人でぐるぐる思い悩んでは溜め息ばかり吐いていて。  そんなオレに気付いて相談に乗るよと言ってくれた晃太にも、好きな相手が章悟だなんて、当たり前だけど伝えられなかった。  なのに晃太は、オレが章悟と付き合うことになったと知った時に、痛そうな顔で「知ってたよ」と笑ったのだ。  なんで知ってるのと驚いたオレに、晃太は何も言わずに笑っただけだったけど。  ----だけど、そういえば。晃太と会わなくなったのは、章悟がいなくなるよりも前だったんじゃないか、なんて。  そんなことに、今更気付いた。 「…………ねぇ、晃太」 「……うん?」 「どうしたの急に」 「……」 「……オレちょっと、自分の記憶に自信ないからアレだけど……むちゃくちゃ久しぶりだよね、晃太と会うの」 「……うん」 「どうしたの、ホントに」  何かあったのと。  重ねて聞いたら、晃太はオロオロと視線を彷徨わせて。 「……晃太?」  何度目かの呼びかけで、ようやく顔をあげた晃太が。 「--------ごめん、司くん」 「……何、急に」 「……オレ…………----オレずっと、司くんのことが好きだったんだ」 「…………ぇ?」  きゅっと唇を噛んだ晃太が、今にも泣き出しそうな目で、情けなく笑う。 「……中学の時さ、同じ部活でさ……。……他のみんなが、嫌がってた後片付けとかも、文句言わないで一人で黙々とやってたりとか。だけど、恩着せがましいこと言ったりしないとことか。……高校入ってからも、全然変わんないで、オレの相手してくれたりとか。……まじめで、不器用で……なのに優しくて……。……そういう司くんのこと……ホントに……なんてか、……ずっと、好きで」 「----ちょ……っと、待って……何言ってんの……」  わたわたと、何かに急かされるみたいに晃太が言うのを、どうにか遮ったのに。 「オレ……司くんが……章悟くんと付き合い始めた頃に……もう、ホントに……封印しなきゃって、思って……。でも、傍にいたら無理だなって、思って。……離れなきゃって思って……。だから、会わないようにしようって、思って……」  思い詰めたままの目が、オレを捕まえて。  ----恐くなった。 「それ、で……今日は、どしたの」  聞きたくないような気がするのに、オレは震える声で続きを促していて。  晃太の思い詰めた目が、オレを見つめて。その切羽詰まった目が、オレのことを見えない糸で縛って、操ってるみたいなふわふわした感覚。  内心ではめちゃくちゃオロオロしてるのに、オレはただ真っ直ぐに晃太を見つめることしか出来なくて。  躊躇うみたいな沈黙の後で、晃太の縋るような目がオレを見つめた。 「……章悟くんが……死んじゃった、って……聞いて……オレ…………----ごめん、オレ、すごく……自分勝手なんだけど。……オレにも、チャンス……あるんじゃないか、なんて……思っちゃって」 「ッ」  晃太の指先が、そっとオレの手に触れる。  思わず肩が跳ねたのは、突然の接触に驚いただけだと思い込むことにして、晃太の指の下で息を潜めた。 「…………でも、そんなん違うって……オレも……そんなん卑怯だなって、思って……。司くんも、すごく、落ち込んでるって聞いて……。困らせちゃダメだって……ずっと、我慢してたんだけど」 「……けど?」 「……最近、司くん。……少しだけ。前みたいに、笑うようになったって、聞いて……。……もしかして、章悟くんのこと……もう、なんか……あの……」  さすがに言い淀んだ晃太を、ひたと見つめる。 「----忘れたんじゃないかって? 思った?」 「ッ……」  自分でも驚くくらいに平坦で冷たいその声に、ギクリと晃太の肩が跳ねて。その隙に、そっと晃太の指の下から手を引く。  バツの悪そうな顔になった晃太は、だけど、何かを振り切るみたいに頭を緩く振ってから、オレの目を見た。 「オレ……ホントに、司くんのこと、すき、で……」  何かを言い募ろうとした晃太が、オレの目を見て哀しそうに笑う。 「--------なんて……やっぱ、無理、だよね」  誤魔化すみたいに笑った晃太が、泣くのを堪えるみたいな顔で歯を食いしばってるのが解る。  だけどオレは、晃太に何も言えなかった。  忘れるはずが、ない。  忘れられる筈がない。  衝動任せに口を開いたら、とんでもない暴言で晃太を傷つけるような気がして。  落ち着けって言い聞かせることしか出来なくて、強い衝動を抑えるみたいに手を握りしめていたら。 「…………司?」  穏やかな声に呼ばれて、ハッと顔を上げる。 「たき、がわ……」 「どしたの、恐い顔して」 「ぁ……」 「…………あれ? その人は?」 「ぇ? ぁ、ぇと」  優しい顔と、声。  掻き乱されていた心の中が、す、と凪いでいくのが解る。 「----、えと、中学の後輩」 「そうなんだ」  にこっと笑いかけた瀧川を呆然と見つめていた晃太が、ハタと我に返ったみたいにパッと立ち上がる。 「ぇと、岡嶋晃太です。…………あの?」 「オレ、瀧川颯真。司の友達」  よろしくね、と笑った瀧川が、二人のことを見ていることしか出来なかったオレの頭を、ぽふぽふと撫でてくれる。 「大丈夫? 司」 「ぁ…………、うん」 「そう?」  心配そうな顔に覗き込まれて。  胸を満たす安心感に泣き出しそうになって、顔を隠すみたいに俯いたら、 「ぁっ……あの、オレっ。もう、行くねっ……またね、司くん」  オレ達のやり取りを複雑な顔で見ていた晃太が、慌てたみたいにそう呟く。オレが顔を上げた時にはもう、晃太はオレに背を向けていて。オレが何か言うよりも先に、そそくさと公園を出て行く後ろ姿を少しだけホッとしながら見送っていたら。 「ごめん。オレ、なんか邪魔しちゃった?」  そんな晃太の様子に慌てたらしい瀧川が困ったような口調で呟くのに、首を横に振る。 「ううん、大丈夫」 「そう? なんか、ごめんね。……声、かけないでおこうと思ってたんだけど、なんか、ちょっと……司が、困ってるみたいに、見えたから」 「…………」  ごめんねと重ねた瀧川が、気まずそうに頬をカリカリと掻いた後で。 「…………じゃあ、あの……オレも、もう、行くね」 「----なんで?」 「なんで……って……」 「……なんで?」 「……」  早々と立ち去ろうとする瀧川の、服の裾を思わず掴んでしまってから。  オロオロとオレを見つめる瀧川の姿が、涙で滲む。 「……つかさ……」  呆然とした瀧川の声が、耳に届いて。  慌てて俯いた視界の端で、何かを躊躇うみたいな瀧川の手が揺れる。  その優しい気配に、堪えようとしたはずの涙が頬を伝っていくのが分かって。 「……なん、で……」  行くなよ、と駄々を捏ねるみたいな声が零れて、情けなさに唇を噛むしかない。 「……ごめん、つかさ」  そう謝った瀧川の何かを躊躇っていた手のひらが、結局はオレを優しく撫でてくれる。  その心地よさにそっと目を閉じて、震えそうになる喉を無理やり開いた。 「なん、で……」 「ん?」 「なんで……ずっと……最近……来なかったの」 「……あー……うん」  困ったみたいに苦笑う声。  流れてしまった涙が情けなくて、顔は上げられないのに。  手に取るみたいに、瀧川の表情が解る気がして。  くぃ、と掴んだままだった服を、もう一度軽く引く。 「……隣」 「……………………うん」  オレの短い一言の意図を察した瀧川が、ぽふぽふと柔らかく頭を撫でてからオレの隣に座って。  躊躇うような沈黙の後、 「…………困らせたく、なかったんだ」  そう呟いた瀧川を、きょとんと見つめる。 「司が、決着つけるって……言ってくれたの、すごい嬉しくてさ。……けど、オレと会っちゃったら、司……困るんじゃないかって、思って……」 「…………うん……?」 「……だから、会わない方がいいんじゃないかと思って……。ずっとね……実は公園には来てたんだけどね」 「ぇ?」 「うん、来てたんだけど。声はかけないようにしてたんだよね。……ここ、オレ、普通に通学路だし。…………だから、ホントずっと……声、かけんの我慢してたんだけど」 「……」  驚く目で見つめたら、困ったみたいな、だけど照れ臭そうな顔してた瀧川が、情けない顔になってごめんねと目を伏せる。 「……今日も、ホントに……どうしようか迷ったんだけど……。司が、困ってるみたいに見えて……。放っとけなくて……ごめんね」  しょんぼり呟いた瀧川に、そっと首を横に振って見せた。 「でも……」 「……助かった」 「……そう?」  それでもまだ心配そうな顔する瀧川に、ありがと、と笑って見せる。 「…………困ってた」 「ぇ?」 「……すごく……困ってた、から。助かった。……ありがと」  そこまで付け足してようやく安心したらしい瀧川が、ホッとしたみたいに笑ってくれる。 「……そっか」  なら良かったと頭を撫でた後で、ゆっくりと離れていく優しい手のひら。  その手に、触れたいと思った。  何の前触れも、理屈もなく。  ただ----触れたいと、思った。  *****

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