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6. 君が教えてくれたこと -2
知らない誰かと隣り合って座る司の姿を。
見つけた瞬間に沸き上がったのは、自分でも恐いくらいの嫉妬で。
司を無駄に悩ませたり困らせたりしたくなくて、ずっと会うことを我慢していたのに。今すぐ割って入りたくなった自分の、身勝手さを嗤う。
(だって、しょうがないじゃん)
好きなんだから、と言い訳みたいに胸の内で呟きながら。
そっとベンチに近づいたら、司の身に纏う空気がいつもと違って何かに怯えるみたいな----困ってるみたいな空気に思えて。
「…………司?」
声をかけたというよりも、勝手に零れた、が正しい。
オレが声をかけたことで、司の隣にいた晃太はそそくさとどこかへ行ってしまったけれど。
困ってたから助かったと、疲れたみたいに笑う顔が、なんだか痛々しくて。
随分躊躇ったのに、結局、手が勝手に動いて司の頭を撫でてた。
惑わせたくないだなんて、ただのカッコ付けな嘘だったなと。胸の中で嘲笑いながら、司の頭から気まずい思いで手を離す。
その手を。じっと、見つめていた司が。
そっと。
----オレの手に、触れてきた。
「…………つかさ……?」
「----っ、ごめ」
戸惑ってそっと呼んだ名前に、オレよりも驚いた顔をして手を離した司が、呆然とオレを見つめる。
「どした? 司」
困惑と、混乱と、後ろめたさと。
色んな感情が複雑に混ざり合った顔のまま、司が苦しげに喘ぐ。
「司?」
「----オレ」
眉をぎゅっと寄せたままの辛そうな顔が、縋るようにオレを見つめて。
だけどすぐに俯いて、ふるふると左右に揺れた。
「どう、したらいい……?」
「……司?」
「オレ、分かんなく、なって……」
「分かんない?」
「……決着って、……どうやったらつくの?」
絞り出すみたいな苦しい声が、オレに助けを求めてるのに。
オレ自身も、「決着」なんて見つけられてないことに初めて気づいた情けなさ。
なのに、こんなにも司を苦しめていたことに申し訳なささえ感じながらも、何かを伝えることは出来ずに。
ただ真摯に見つめる先。俯いて前髪に隠された司の眉が、切なく寄せられたのが分かる。
「章悟のことは、大事なんだ。すごく。絶対。----いつまでだって、忘れたりしないし、……忘れちゃいけないって、思ってる」
「…………、うん」
後悔の混じる苦い声で告げられた想いに少しだけ傷つきながらも、続きを促すために頷いて見せたら。
司が、迷う目のままで顔を上げた。
「だけど……瀧川にも、触れたいって、思う」
「つかさ……」
「もう……分かんない……。どうしたらいいんだろ」
縋る目が、またオレを捕らえて。
泣き出しそうに歪んだ唇が、震えた声で、瀧川、と助けを請うみたいに呼んでるのに。
応えてやる言葉を持たないオレは、迷った末に、震えてる指先にそっと触れて、温めるみたいに包んでやることしか出来なくて。
情けなさに、唇を噛んでいたのに。
「--------やっぱり」
「ん?」
「瀧川、だったら……恐くない」
「ぇ?」
突然の言葉にキョトンと見つめた先で、ふわ、と司の口元が少し緩んでいることに気付く。
「……晃太と、話してた時。……晃太が、オレのこと、触ったとき……なんか、すごく……恐いってか……なんか……分かんないけど、恐くて。……でも、瀧川は、恐くない」
「つかさ……」
ホッとしたみたいな顔をした司が、泣き出しそうに潤んだ目でゆっくりと笑うから。
我慢、なんて。
出来るはずがなかった。
「----た、きがわ……」
衝動任せに抱き締めて、その華奢な肩に顔を伏せたら苦しい声を絞り出す。
「ホント……カンベンしてよ」
「たきがわ?」
「オレの理性だって、……そんなに、長持ちしないよ?」
「たき」
抱き締めていた腕を緩めて、そっと顔を上げる。
きっと今のオレは、欲にまみれた顔をしてるんだろうって、自分でも解る。
「たき、がわ……」
司の声が、掠れて、震える。
目が、ほんの少しだけ、怯えてる。
なのに----とまれない。
「オレは、司のことが好きなんだよ」
「っぁ……」
絞り出した声に戸惑って、揺れた司の目。
「恐くないとか……触れたいとか……ホント、カンベンして」
泣き言を紡いで、怯む司の目を見つめる。
「考えて、司。----オレに……………………抱かれても、いいかどうか」
「ッ」
息を飲んだ司から、目を逸らさずに。
震える声で、続けた。
「嫌なら、もう………………二度と、会わない」
「そ……」
「オレは、もう……たぶん。我慢が、きかない」
情けなく呻いたオレの前で、司が酷く傷ついた顔をする。
「そ……んなの……選べない……」
「……」
「だって……それ……オレがいやだって言ったら……瀧川に、会えなくなるんでしょ?」
「……」
「……そん、なの……嫌だ」
「……」
泣き出しそうに歪んだ唇と眉が。
潤んだ目が。
苦しく胸を掻きむしって、切ないのに。
----酷く、そそられて。
守ってやりたいのに、めちゃくちゃにしたくなる。
こんな二面性があったなんて、自分でも初めて知ったと呆れながらも。
抑えきれないのも、事実で。
なんとか堪えようと歯を食いしばって、何も返せないオレの。
シャツの裾を、司の手がまたきゅっと握る。
「嫌だよ、瀧川」
「……」
「嫌だ、瀧川」
「…………」
「----おいてかないで」
「ッ」
泣き潤んだ目が。
淋しさに震えた声が。
オレに縋る必死さが。
司の傷の深さを、オレに思い知らせて。
苦しくて悔しくて、頭がおかしくなりそうなのに。
「やだ。もう……二度と、嫌だ。…………誰も、どこにも、行かないで」
「つかさ……」
「やだ…………やだ。おいてかないで」
「つか」
「やだ」
小さな子供のように「やだ」を繰り返していた司の目から、ついに零れた涙が。
オレの中の欲を、煽りながらも。
悲痛な声で紡がれる願いが、オレの心を引っ掻く。
「もう、誰も………………いなくならないで----ッ」
血を吐くみたいな苦しそうな声が、どうしようもないほどの深い哀しみと痛みをオレの心に注ぎ込む。
「----ごめん」
さっきまでの激情が去って、胸に頭を抱え込むようにそっと抱き寄せた腕の中で。オレのシャツを必死で掴む司の手が。
切なくて痛くて哀しくて。
「ごめん」
何を言ってやればいいのかも解らずに、ただごめんと繰り返すしかなかった。
「……章悟は、オレの代わりに死んだんだ」
まだひくひくとしゃくり上げながら。
司はオレの胸の中で唐突に、酷く苦しげな声で呟いて。
「……司の、代わり?」
返したオレの声が情けなく震えたことに、司は気付いたのか気付かなかったのか。
オレの胸にぐったりと頭を預けたままで、顔を上げずに言葉を続けた。
「オレが……ホントは……死ぬはずだったんだ」
「………………どういう、こと?」
「………………交差点、で…………車、が……つっこんできて……」
「----ぁ」
そういえばそんな事故があったなと、思い出す。
テレビで一時期、よく耳にした交通事故のニュースがあった。
よくある、----なんて言っていいのか分からないけれど、飲酒運転からハンドルとアクセル操作を誤った車が大学生をガードレールごと吹き飛ばす事故が、何年か前に起きていた。被害者の年齢が同い年だったこともあって、事故のニュースのたびにテレビに注目したのを覚えている。
住所に聞き覚えがあったし、事故現場として映し出された交差点が見覚えのある場所だったことも、そのニュースに注目していた理由の一つだ。
被害者の名前も報道されていたような気はするけれど、さすがにそこまでは覚えていない。
「……オレを、突き飛ばした章悟が、オレの代わりに、車に轢かれたんだ。………………オレが、----死ねば良かったのに」
「ッ」
底が見えないほどに深い穴を覗き込むみたいな、暗い恐怖を感じさせる目で。なのに、感情が一切消えたみたいに平坦な声で呟いた司が、オレに凭れたままで自分の手のひらを見つめる。
「……背中、を。章悟が、強く押して。……転んでる間に、全部----全部、終わってた」
「……」
「なんで生きてるんだろって……なんでオレ、まだここにいるんだろって……ずっと、思ってた。……ずっとずっと……章悟が、迎えに来てくれるのを、待ってた」
「……むかえ、に……?」
無意識に零れたオレの声に、司がもそもそと頷いて。
「いつも……ここで、待ち合わせしてた。章悟とは、高校の同級生で……大学が別々になっちゃったから、……いつも、ここで待ち合わせして、会ってた。……いつも、ここで……待ってたら、来てくれた」
「……」
「だから、待ってた」
す、と顔を上げた司が。
いつものように----いつもよりも切実な目で、空を見上げる。
「迎えに来てって……独りで置いてかないでって……ずっと……ずっと、思って……ここで、待ってたんだ」
「……」
何も言えないまま、オレも司につられたみたいに空を見上げる。
何か言わなきゃと思うのに、何を言っても空々しいような気がして、何を言ったらいいのかも解らなくて。
ただ小さな頭にそっと手を添えて、ぽふぽふと撫でてやることしか出来ない。
「なんで……オレが生き残っちゃったんだろうって、ずっと思ってた。……オレは、オレ一人じゃなんにも出来なくて……。オレなんて生きてても意味ないのに、なんで章悟は、オレなんかを助けるために、死んじゃったんだろう。……オレなんて、あの時に死んじゃっても良かったのに」
「つかさ……」
「オレなんかが、独りで……生き残るくらいなら……」
オレが死んだ方が良かったのに。
そんな風にぽつりと呟いた司の声は、未だに癒えない傷を思わせる音を響かせて。
撫でる手が、止まる。
「司」
「…………うん」
「……オレは……『しょうご』のこと、知らないし、その時どう思ってたかなんて、分かんないけど……。『しょうご』は、司のこと助けたくてそうしたんだと思うけど。…………たぶん、理屈なんてなかったと思うよ」
「……なかった?」
虚ろな目が、オレをぼんやりと見つめるから。
しっかりと視線を捕らえて、頷いて見せる。
「助けたいって、……誰かのこと……大事な人のこと。助けたいって、思うのはさ……理屈なんてないと思う。咄嗟に司のこと突き飛ばさなきゃって……助けなきゃって、思ったんだよ。----自分が死ぬとか、そんなこと考えてなくて……ただ、とにかく、司のことを、助けたかったんだと、思うよ」
「……」
「生きてて欲しいって……大好きな人には、いつもどっかで、生きてて欲しいって……オレでも思うよ」
オレの言葉を、噛み締めるみたいに。じっと、オレを見つめてた司が。
だけど、ゆるゆると首を横に振る。
「…………でも。……独りで生きてたって、全然嬉しくないよ。……章悟が、いれば良かったんだ、ホントに。……章悟が、隣にいてくれたら、それで良かった。----あの時、一緒に」
連れてって欲しかったよと。
ぽつりと呟いた司が、オレから視線を外して。もう一度、空を見上げて静かに涙を流すのを。
痛くて苦しい想いで見つめながら。
空に向かって伸ばされていた手にそっと触れて、腕をおろしてやる。
「連れてけるなら、連れてってるよ」
「----ぇ?」
呻くみたいな声が、口から零れて。
その声にまた、司の視線がオレに向く。
「そんなん……決まってんじゃん。好きな人と一緒にいたいなんて。そんなん、誰でも思うよ」
「……たきがわ?」
「一緒に。連れてけたら、どんなにいいだろって。……『しょうご』だって、きっとそう思ってるよ」
「……」
「でもさ……同じくらいに、連れてけないよ、きっと」
「……ど、して?」
「オレだって独りじゃ嫌だよ。連れていきたい。……だけど、同じくらい----生きてて欲しい。自分が無事かどうかなんて、二の次で……----大事な人に、とにかく無事でいて欲しいって、思うよ」
司の手に、触れていた手で。
ぎゅっと、司の手を握った。
「死んじゃうつもりなんて、なかったに決まってる」
「っ……」
「司と、絶対----生きていきたいって、思ってたに決まってる」
「……うん」
「司を助けて、自分も助かるつもりだったに決まってるよ?」
「……うん……」
「置いてった訳じゃないよ。……連れて行きたくても、連れて行けないよ。……だって司は、----ちゃんと、生きてんだから。……それなら、ちゃんと、生きてて欲しいって、思うに決まってるよ」
「たきがわ……」
息が、苦しい。
何かが目の前を邪魔して、よく見えない。
司の手を握ったままの指先が、痺れてる。
「----ごめん」
泣きそうに歪んだ顔で謝った司が、オレの頬に手を伸ばして。
「ありがと」
ふわりと笑った後で、オレの頬を拭う。
あぁ、オレ泣いてたんだ、なんて。その時に初めて気付いて。
慌てて服の袖で顔をごしごし拭いてたら。
ぽむ、と。
何かに----司の、手のひらに。
ぎこちなく----でも、優しく頭を撫でられて。
呆気にとられて顔を拭いてた手を下ろしたら、困った顔した司が、オレをさらに撫でてくれる。
「泣かないで、瀧川」
「……ッ」
「ありがと」
「……」
「…………ありがと」
泣き濡れた目のままはにかんだ笑顔に、うん、と。
もう一度頷いて、やっと照れ臭く笑い返した。
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