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7. はじまりの予感
あの日、瀧川が泣きながら教えてくれた章悟の気持ちが、少しずつオレに、前を向く勇気と前に進む力をくれた。
ずっと自分のことしか考えてなかったオレに、去ることしか出来なかった章悟の苦しさと悔しさを教えてくれた。
オレはオレのことしか見えてなかったんだと、随分遠回りしてようやく気付いて。
見上げた空は、いつもよりも高くて、眩しくて。真っ青に透き通って、輝いていた。
「…………--------あぁ……空って、こんな高かったんだ……」
どうりで届かないはずだよ、なんて。やっと気付いたみたいに、呆然と呟いたオレの。
目から勝手に零れた涙を。
何も言わずに拭ってくれた瀧川は、力なく下ろしたオレの手をそっと取った後に力強く握ってくれた。
「ごめんね、司」
「何が?」
「オレ、待つって言ったり、待てないって言ったり……」
格好悪い、なんて吐き捨てて落ち込んだ瀧川は。
それでもオレを、真っ直ぐに見つめてくれた。
「待てないのも、本当なんだけど……でも、やっぱり、ちゃんと待てるから。……そんで----オレは、ちゃんと、ここにいるから」
「ここ、に?」
「司の、傍に」
「ぁ……」
「どこにも行かない。----少なくとも、司が。独りで淋しがってる間は、今みたいにちゃんと、ここにいるから」
そっと笑った瀧川が、なかなか止まらなかったオレの涙をもう一度拭ってくれて。
「だから、司」
「うん?」
「もう、独りで泣かないで。いつでも、オレのこと呼んで」
「呼ぶ……?」
「そう。オレのこと、呼んでくれたら、飛んでくるから。……いっぱい泣いていいから。我慢なんてしないで、ちゃんと泣いて。----だけど、独りではもう、泣かないで」
「……どして?」
「心配だから」
キッパリとそう言った瀧川が。
くしゃっと笑って、なでなで、なんて。効果音付きでオレの手を握ってるのと逆の手で、オレの頭を撫でてくれる。
「泣いていいんだよ、司。オレがちゃんと、傍にいるから」
「ぁ……」
「司が今まで泣けなかったのは、きっと、誰も傍にいなかったからだよ」
「……そば、に……」
「独りで泣くのは、しんどいもんね」
よしよし、とオレの頭を撫でた瀧川が、ちっちゃい子供に言い聞かせるみたいな柔らかい口調で、もう大丈夫だよ、なんて笑ってくれた。
「…………瀧川って、ホント……」
「お母さんみたいだって?」
「お人好しだね」
「…………そうかもね」
優しすぎて困る、なんて泣きながら笑って見せたら。
照れ臭そうな顔した瀧川が、にこりと笑って。
「オレが、司の傍にいたいと思ってるだけだよ。…………オレは、どうしたって、司のことが好きだから」
忘れないでね、と付け足した瀧川が、ぽふぽふとオレの頭を撫でるみたいに軽く叩いてくれた。
*****
もう待てないと思ったのに、意外と辛抱強かったオレの。理性はまだ、なんとか保たれていて。
司の、強ばって固くなった殻がゆっくりと解けていくのを傍で見つめながら、自分の我慢強さを誰にともなく誇る。
そんな風に自分を褒めでもしなければ、今にも司に詰め寄ってしまいそうで、いつでも不安と隣り合わせの毎日だった。
独りで泣かずにオレを呼んでと。告げた後すぐの頃は、本当に空を見上げては泣いていた司も、最近では随分落ち着いている。
淋しそうに公園内を彷徨っていた瞳にも、笑顔が浮かぶようになってきた。
すっかり癒えた訳では、ないのだろうけれど。
それでも、初めて出逢ったときのような切実すぎる危うさは、今はもうどこにもない。
時々は惚気にも似た思い出話をして、泣き笑うこともある。
なかなかに苦痛を強いられる時間ではあるものの、お蔭で司のことに随分と詳しくなれた気がすると、ヤケクソなポジティブさで司の丸ごとを受け止めながら。オレの傍で安心して泣いたり笑ったりしてくれる司をどうしても愛しいと思うのだから、自分も大概お人好しだ。
それでも、そんな司に付き合うことで、オレ自身も気付いたことがあった。
司と出逢う前に、女の子と付き合うたびにフラれていた自分は。
彼女達と向き合っていたつもりで、実は全く何も見ていなかったのだと思う。
彼女達の好みそうなものや食事や映画は、ただ「女の子」という括りで縛っただけの、大雑把な枠でしか考えていなかったし。
何より。
こんな風に真剣に。
傍で笑っていて欲しい、と。
思ったことがないなんて、致命的だ。きっと彼女達は、そんな自分に早々と気付いて去っていったんだろう。
(やっぱオレのせいか……)
優しいから勘違いすると、みんな言っていた。
興味があってもなくても優しく出来るなんて器用な真似は、自分には出来ないと思っていたけれど。
むしろ興味がないから、雑誌で見かけるような当たり障りのない単純な優しさしか彼女達に返せなかったのだろう。
ぼんやりと考え込んでいたら。
じゃり、と砂を強く踏みしめる音が聞こえて。
「--------ぁ」
その音の立て方から、司じゃないなと思いながら訝しむ視線を向けたら。
あの日、司に迫っていた晃太がそこに立っていた。
「……」
「……----えーと……晃太って、言ったっけ?」
仁王立ちでオレを睨み付けたまま、何も言わない晃太にそう声をかける。
こっくりと強ばった顔で頷く晃太に、司ならまだ来てないよ、と付け足したら。
晃太は、緩く首を振った。
「……今日は……あんたに……会いに、きた」
「…………オレ?」
キョトンと見つめた先で、晃太が苦虫を100匹くらい噛み潰したみたいな顰めっ面をする。
それでもまだ自分からは口を開こうとしない晃太に苦笑して、仕方ないなと水を向けてやる。
「……何? オレに用事?」
「……司くんが……最近……なんか、明るくなったって、聞いて」
「あぁ…………何、明るくなって、なんか問題ある?」
「ッ」
あの時、司に迫っていた姿を見ているせいか、やけに尖った声が出て自分でも驚いたけれど。
オレの言葉にぐっと詰まった晃太の顔には、見覚えがあった。
オレに初めて笑いかけてくれた司を、受け止めきれずに嫉妬にまみれたあの日のオレと、同じ表情だ。
悔しそうに唇を噛んだ晃太がオレを睨み付けるその感情は、覚えがあるだけに茶化すことさえ出来ない。
「……晃太はさ。司のこと、好きなんだよな」
「っ……な、に」
「オレも好きだからさ、よく解るよ」
「何がッ」
「違うよ、晃太」
「だ、っから、何がッ!」
追い詰められたみたいな目で悲鳴じみた声を出す晃太に、穏やかに笑ってみせる。
「オレは別に、司と付き合ってる訳じゃないから」
「----っ、けど!」
「……司はさ……ずっと、淋しかったんだよ」
「……さみし、かった……?」
「独りで。章悟のこと、誰にも話せないで……。一番大事な章悟が自分のせいでいなくなって……いや、まぁ実際司のせいなんかじゃないんだけどさ。……とにかく、ずっと……なんにも誰にも言えなくて、自分の中に溜め込むしか出来なくて。……吐き出す先がなくて、意識して頑張らないと『普通』でいられなかったから、全部閉じ込めたんだよ。涙も、笑顔も」
「とじ、こめた……」
「淋しいとか、苦しいとか、そういうの。誰にも言えなくて、ずっと……独りで耐えてたんだよ。そしたらもう……閉じ込めるしかないでしょ。普通に生活するので精一杯っていうかさ----独りじゃなんのキッカケもないから、笑ったり泣いたり、できないでしょ」
痛そうな顔して黙り込んだ晃太が、オレの言葉を反芻するみたいにして更に辛そうな顔をする。
----そう。本当なら晃太が一番、その役目に近かったはずなのだ。二人が付き合っていたことを、唯一知っていたのだから。
だけど晃太は、事が起きた時には既に司から離れてしまっていた。
「…………オレ……」
「だから、ただ単に、今。オレが傍にいて、色んなこと吐き出してやっと、整理し始めたとこなんだよ。明るくなったのとは、ちょっと違くて……自分の中の苦しくて暗いとこ、ちょっとずつ吐き出せるようになったから、やっと『普通』の感覚に近づいてきただけなんだよ」
「……」
まだまだだよ、と笑って見せたら。
困り顔で黙っていた晃太が、オレを----悔しそうに睨み付けてくる。
「オレのせいだって、言いたいのかよ」
「……そんなこと言ってな」
「言ってるのと同じだよッ」
悲鳴みたいな声だった。
たぶん、晃太も。司と同じように、苦しく思い詰めていたんだろう。
悲痛な声と哀しげな顔が、その痛みをありありと映していて。オレなんかの嫉妬と同じにしたら、申し訳ないような気さえした。
「誰も悪くないよ」
「っ、けど!」
「----それだけ。章悟が、みんなとちゃんと、向き合ってたってことだよ」
「っ……」
オレと違って、と声には出さずに呟いて、皮肉な笑みを唇に刻む。
「すごいよ、章悟は。あの警戒心むき出しの、野良猫みたいな司のこと、まるっと受け入れて。これ以上ないくらい、大事にしてたんだから」
「……」
羨む心が声に滲んで、ほんの少しふて腐れたみたいな声になる。
だけど晃太は、そんなオレを嗤ったりはしなかった。
「…………オレずっと……司くんのこと好きで……でも、司くんは章悟くんのことが好きなんだって、気付いちゃって……。ホントはその時にちゃんと、オレも好きだって、言えば良かったのに。……章悟くん相手じゃ敵わないって、勝手に諦めて……。応援するよって口では言ったけど、ずっと、後悔してた。……オレだって、ずっと……章悟くんなんかより、ずっと長く、司くんのことが好きだったのにって……ずっと、苦しくて悔しかった」
「……」
突然そんな風に、苦しそうに声を絞り出した晃太は、オレを見て苦く笑った。
「章悟くんと司くんが付き合い始めた頃……二人のこと見てるのが辛くて、もうやめようって……もう忘れようって思って、司くんから離れたんだ。----なのに、章悟くんが……」
いなくなっちゃうから、と。
苦しいよりも哀しい声で呟いた晃太が、そっと震える息を吐く。
章悟のことを知っている分、オレなんかよりも複雑な想いを胸に抱えていたであろう晃太は、やるせなく首を振った。
「……司くんのとこに、行かなきゃって……思ったんだけど。…………オレ、全然……全然、諦められてなくて……。……今、会いに行ったら、訳分かんない内に、司くんにめちゃくちゃしそうだって、思ったら……恐くて、会いに行けなくなっちゃって……」
「……そう」
「……そしたら----あんたなんかと、会ってるって、知って……」
「……むかついた?」
「そんなんじゃ足りないよ」
からかうみたいに投げた台詞に、晃太は苛ついた顔を見せながらも。
妙に穏やかな声で笑って。
「もうホントに……ぶっ飛ばしてやろうって、思ったよ。なんでみんな、オレの邪魔ばっかすんの、って……」
「……」
「…………でもさ……ホントに、最近。司くん……元気になったって……みんなから、聞くから」
「……うん」
「----------------ありがと」
「…………へ?」
いかにも渋々呟かれた台詞が、意外すぎてポカンと晃太を見つめたら。
晃太は照れ臭そうに笑いながら、ぶっきらぼうな声を出した。
「あんたの、おかげだと、思うから」
「……いや……ぇと……」
「オレは、何も出来なかった。……恐くて、逃げてた。……たぶん、章悟くんのことからも、ずっと、逃げてた。敵いっこないって、勝手に…………ううん、たぶん、司くんからも、ずっと、逃げてた。好きって……言ったら全部、壊れる気がして。ずっと、逃げてたんだ」
「……」
「だから……司くんを、助けてくれて、ありがとう」
「こうた……」
呆然と呟いたオレに、変な顔、と暴言を吐いて笑った晃太は、オレが何か言うよりも早く背中を向けて。
「司くんのこと、よろしくね」
じゃーね、と。
オレに背を向けたまま手を振って、公園を出て行った。
*****
いつも通りに歩いてきた公園は、相変わらず人気もなく静まり返っている。
今日はまだ瀧川も来ていない公園は、なんだか殺風景にも思えて。
前まではこの風景が当たり前だったのになと苦笑しながら、いつものようにベンチに腰掛ける。
いつも通りなはずなのに、なんだか物足りないような気がして、空を仰ぎ見ながら溜め息を一つ零した。
いつまでもこんな風に、瀧川に甘えていていいのだろうか。
決着をつけるから待っていてと、告げたはずのオレは。
なのに、いつまで経っても『決着』のつけ方が分からなくて。
以前感じた瀧川への想いすら、今はそれが『愛情』なのかどうか分からなくなってきている。
あの時に芽生えたはずの想いが流されたものではないと、誰かが言い切ってくれたら自信も持てるのに。
瀧川に触れたいと思ったことも、『好き』だと思ったことも、『独り』の淋しさに操られていただけなんじゃないか、なんて。
自分が一番自分を信じられなくて、惑う。
その上、瀧川との今の距離が近すぎて。
『傍』を、当たり前のように思ってしまっているのも事実で。
そのせいで、余計に迷うのかもしれない。
近すぎて、逆に見えなくなっているのかもしれないけれど。
自分で自分が分からなくて、情けなさに唇を噛む。
こんなオレに、いつまでもずっと瀧川を付き合わせていていいのだろうか。
そんな風に悩んでいたら、ざりざりと砂を踏む音が聞こえて。
音のする方に顔を向けたら、まさにその瀧川が、こっちを向いて、嬉しそうな顔をして歩いてくる。
歩み寄ってくる姿を見つけて、ホッとするのはどうしてなんだろうと。
深く考え込むより先に、瀧川は当たり前の顔でオレの隣に座るから。
----だから、いつも解らなくなる。
好きだからホッとするのか。
独りじゃなくなったことにホッとするのか。
自分はなんでこんなにも、瀧川の傍で安心出来るのか。
好きだからだよと、誰かが言い切ってくれたらいいのにと思いながら、やっと傍にいてくれる人が出来て依存してるだけなんじゃないかなんて、疑い始めるとキリがなくて。
人見知りの激しい自分にとって、こんな風に深く関わってくれる人はなかなかいないせいもあって、関係性がよく分からずに。自分の気持ちを、正直なところ持て余していた。
「司? どした?」
「ぇっ?」
「難しい顔して……なんかあった?」
「…………ううん」
心配そうな顔に覗き込まれてドキリとしたのは、好きだからなのか、驚いたからなのか、どっちなんだろう。
そんなことすら分からなくて、溜め息を一つ。
そしたら瀧川は、やっぱり心配そうな顔でオレを見つめて。
「ホントに大丈夫?」
心配してくれる声が優しくて、どうしたらいいのか分からずに混乱したままの心が。
「----いいのかな」
「へ?」
頭の中を整理しきらないままに、そんな風に呟いてしまう。
キョトンとした瀧川は、オレの言葉を待っているようで。
何度も躊躇った後に、それでも辛抱強く待っていてくれる瀧川を見つめる。
「…………瀧川は、いいの?」
「何が?」
「……ずっと、こんな……オレの……。……オレなんかと、一緒にいて、いいの?」
混乱したままの心でそう聞いたら、瀧川は----心底傷ついたみたいな顔をした。
「…………迷惑?」
「ちがっ……」
そうじゃなくて、と首を緩く振りながら声を絞り出したら、ふっと笑った瀧川が、司、とオレを優しく呼んでくれる。
「忘れてるかもしれないから、もう一回言っとくけど。オレは、司が好きだから、司の傍にいるんだよ」
「……」
「勿論、恋愛的な意味でも好きだけど----友達としても、司のこと好きだから。……大事な人が、独りで淋しがってるんだから、傍にいるのなんて当たり前だよ」
優しく笑う顔に、ドギマギして。
そっか、とだけ呟いたら、なんだかいたたまれなくなってそっと視線を逸らした。
こんなにも真っ直ぐに好きだなんて言われたら、自分が相手をどう想ってるかなんて関係なしに照れるに決まってる。
そう思うくらい本当に真っ直ぐにオレを見つめてそう言った瀧川の、愛しさを隠さない優しい目が、オレの心臓の動きを速くする。
「焦ったり、急いだりしなくていいよ。今までずっと、色んなこと独りで我慢してきたんだから。ちょっとゆっくりしたらいいんだよ。オレのこと考えるのなんて、その後で大丈夫」
にこりと笑ってくれる瀧川の。
その言葉が嬉しいような、じれったいような複雑な気分になって。
うん、と曖昧に頷きながらも、「じれったい」だなんて思った理由に、本当は自分も気付いているのに見ないフリしてるみたいな、罪悪感。
どうしたらいいんだろうと、どうしたいんだろうの間で揺れながら。
今はまだ、その優しさに甘えていたいような気もして。
情けなさが少しだけ、悔しい気がした。
*****
(----今日はオレが先か)
いつものベンチに見当たらない司の姿に少しだけがっかりしながら、ベンチに座って欠伸を一つ。
大学の長い夏休みの間に染みついてしまった怠惰な生活の名残が、いつまで経っても抜けなくて。
しょぼつく目を擦って、欠伸をもう一つ。
気を抜くと寝てしまいそうだからと携帯を手にしてなんとなくネットの海を漂いながら、司が来るのを待つことにした。
(----ぁ、瀧川)
学校帰りに立ち寄った公園のいつものベンチに、今日は瀧川が先に座っていた。
だけど瀧川は、携帯を手に持ったままの姿勢で眠っているようで。
ふ、と思わず笑ってから、起こさないようにそっとその隣に腰掛ける。
いつもは優しくオレを見つめる目が閉じられているだけで、すっきりと整った顔はイケメン度が上がっているような気がする。
そんな風に思ってまじまじと見つめていたせいか、瀧川がぱちりと目を開けて。
「----っ」
驚いて、慌てて顔を逸らしたのに。
「……あぁ、司だ」
いつもの頼りになる声とは違う寝起きのふにゃふにゃとした頼りない声に、嬉しそうに呼ばれて。
----胸が。
ぎゅっと鷲掴まれたみたいに、切なく痛くなった。
ギシギシと音を立てそうなくらいにぎこちなく顔を向けたら、ふにゃっとした柔らかくて幸せそうな顔した瀧川が眠たそうに笑った後。
こてん、と。
オレの肩に頭を乗せて、また気持ちよさそうに寝息を立て始める。
その、無防備な姿を。
----隠しようもない程に愛しいと思った。
穏やかな寝顔が、柔らかな声が。
愛しくて胸が痛くて。
苦しくて仕方なくて。
衝動を抑えきれないままに、震える手で瀧川の頬に触れたら。
瀧川はぱちりと目を開けて、ハタと我に返ったみたいに慌てて背筋を伸ばした。
「ごめっ、オレ、いつの間に寝てっ……って、司?」
「ぇ?」
「……なんで、泣いてんの?」
「ない、て?」
キョトンとしたオレの頬に手を伸ばす瀧川が、痛そうな顔で呟く。
「章悟のこと、思い出してたの?」
「ちがっ」
ぶんぶんと首を振りながら続かない言葉に焦れて、優しく頬を拭ってくれる瀧川の手をぎゅっと握る。
「司?」
「----すき」
「へ?」
「瀧川のこと……オレ……やっぱり、ちゃんと、好き」
「つかさ……」
驚きに目を見張る瀧川の顔が涙で滲んでいたけれど、構わずに瀧川をじっと見つめた。
「訳分かんないし、……ホントに……決着とか……ついたのかどうか、分かんないけど……でも……もう……分かんないくらい、好き」
「つか」
「瀧川のこと、好き」
ぱたぱたと。
零れる涙が止まらないのは、どうしてなんだろう。
目の前で驚く瀧川が愛しくて。
胸を満たすその愛しさが、涙になって溢れているのかもしれない。
「…………ホン、トに……?」
「……うん」
「後悔とか、しない?」
「うん」
「ホントに?」
戸惑って震える声に、もう一度しっかり頷いてみせて。
「ホントに。瀧川のこと、好き」
「つかさ」
戸惑っていた瀧川の顔に、喜びが弾けて。
飼い主にじゃれつく大型犬みたいに、無邪気で純粋で真っ直ぐにオレに飛びついてくる瀧川を、よろめきながら受け止めて。
「大好きだよ、瀧川」
笑って紡いだ台詞に、無邪気に頷いて。
見たことないくらいに幸せそうに笑う瀧川の顔を、やっぱり愛しいと思った。
本当はずっと、気付いていたんだと思う。
瀧川に触れたいと思ったことだって、前から何度もあったし。
何よりも、瀧川の隣は穏やかで居心地が良くて安心出来た。
心からくつろいだ気持ちになったのなんて、どのくらいぶりだろう。
罪悪感のような、後ろめたさのような----そういう気持ちが、完全になくなった訳ではないような気もするけれど。
それを拭い去るほどに強い愛しさが、この胸に確かにあるから。
あの時みたいに流されて沸き上がったのとは違う、ゆっくりと心を満たしていく「好き」の気持ちを、大事に大切にしたいと心から思う。
柔らかく自分を包んでくれるこの幸せを、同じだけの優しさで包みたいと思うから。
無邪気に照れ笑う瀧川の頬に電光石火のキスを贈って、驚きにぴたりと固まる瀧川に、きっと恥ずかしさで真っ赤になっているであろう顔のまま、笑って見せた。
「大好きだよ、瀧川」
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