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第8話
近頃父母は何を考えているのか、隙あらばリュシアンに縁談を勧める。そんな屋敷にいるよりも近衛で仕事に忙殺されている方がどれほど心穏やかであろうか。だから、休暇などいらないのに。
振り返りもせずリュシアンは室を出た。すぐに執事が近づいてきて、一通の手紙を差し出す。
「リュシアン様、先ほどカルネス家のお屋敷からお使者が参られ、こちらをリュシアン様にと」
「カルネス?」
その名にピクリとリュシアンの眉が跳ねる。封書の署名を見れば予想に違わず〝リオン・カルネス〟とある。溢れそうになる盛大なため息をなんとか呑み込んだ。
「その使者はもう帰ったのか?」
凍てつくような視線を向けられて、長年ヴェルリエに仕えている執事も流石に冷や汗が流れる。それでも賢明に顔には出さず、はい、と答えた。それに再びため息を呑み込む。
「そうか。もう良い」
握り潰しそうになるのをなんとか耐えて、リュシアンは手紙を持ったまま自室に戻った。寝台に腰かけて乱雑に開封する。そこには見慣れた筆跡で明日の晩餐に招待する旨が書かれていた。やはりか、と今度こそ盛大なため息が零れ落ちる。
リオンは父親同士の仲が良いために幼い頃に知り合った。リュシアンは恐れ多くもアルフレッドと幼馴染のような関係だが、リオンとのそれはアルフレッドよりもなお長い。
ヴェルリエよりも上に位置する上流貴族カルネス家の嫡子。王妃となる前のシェリダンの同僚で、以降も変わらず宰相補佐として宰相ジェラルドの側でその頭脳を活かしている。
リュシアンよりも武官に見える体格の良さだが武骨さはなく、穏やかで貴族の優雅さも持ち合わせているが嫌味ではない。見目もよく、人当りもよく、前途洋々の大貴族の嫡子。誰もが放っておかないが、本人はのらりくらりと躱して未だ独り身だ。カルネス家は珍しく子供たちを自由にさせているためリオンには許嫁も婚約者もいない。リュシアンなどよりもずっと結婚を急かされそうなものなのに、本人はのんきに暇があればリュシアンを晩餐に誘っているのだから良い御身分だ。何をしようとリオンの勝手でリュシアンに口を挟む権利はないが、毎回毎回断るこちらの身にもなってほしい。
(とりあえず、明日……)
明日の朝に断りの手紙をしたためてカルネスの屋敷に送ろう。そう頭の中で予定を立てて、リュシアンはサイドチェストの引き出しから薬包を一つ取り出した。それを躊躇いなく口に流し込む。そして寝台に倒れるように横になった。
煩わしい。何もかもが煩わしい。
それが親心だとわかっていても諦めず縁談を迫る両親も、何が目的かはわからないが懲りずに何度も何度も晩餐に誘うリオンも、何もかもが煩わしい。心の底から放っておいてほしいのに、どうしてそれを許してくれないのだろう。
流し込んだ薬がリュシアンの意識を奥深くに引きずり込む。それに逆らわずリュシアンは瞼を閉じた。
ちゃんと枕に頭を乗せて真っすぐに眠らなければ身体を痛める。わかっているが、もう起き上がるのでさえ面倒だ。明日は休暇。だから、もう――。
疲れ切った身体に任せて、リュシアンは一つ息をついた。今日はもう誰も側にはこない。誰かと顔を合わせることも、話をすることもない。暗い室内に安堵して、深い眠りに身を任せた。
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