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第12話

 もうじき夜になる。このまま素直に屋敷に帰ればまた家族との晩餐だ。今日は義姉と子供たちがいるだろうが、きっと母はお構いなしにリュシアンに昨日と同じ話を繰り返すに違いない。それどころか今日は休暇だとわかっているのだから晩餐にご令嬢を呼んでいたとしてもおかしくはないだろう。あの母は穏やかな見た目をしているが行動力はあるのだ。  皆が寝静まる頃まで、どこかで時間を潰そう。そう決めてリュシアンは小さな酒場に向かった。愛馬を待たせて中に入る。中では仕事終わりなのであろう男たちが数人、赤ら顔で酒盛りをしていた。彼らの横を通り過ぎて、一番奥の端に独り座る。注文をすればすぐに店員の女がリュシアンのテーブルに酒と少々のつまみを置いた。  ゴクゴクと勢いよく流し込んだ安酒は喉を焼いていく。だがまろやかな最上のワインよりもよほどリュシアンの心を軽くしてくれた。つまみにはほとんど手を付けず、何度も何度も酒を呷った。  この酒場は多くの者が出入りするが、皆独りか仲間たちと楽しむ。知らぬ者に絡んだりもしない。小さな酒場に似つかわしくない上質な絹を纏っていたとしても、誰もリュシアンに声をかけることはない。騒がしさはあるが、その事実がリュシアンには殊の外心地よかった。  どれほど酒を呷っても喉を焼くばかりで決して酔いはしない。だがリュシアンはふわふわとどこか酔ったような気分になった。心地が良い。酒場であるのに、ふわりと先ほどまでいた緑の風を感じたような気がした。 〝リューと普通にゆっくりと話したい〟  ふいに、リオンの言葉が蘇る。真っ直ぐ見つめてきた、優しい茶の瞳。あの瞳はいつだって、変わらない。 (言い過ぎただろうか……)  あれほどまでに冷淡に接しなくてもよかったのではないか。今更ながらに後悔する。否、リオンと会う度に、リュシアンは後悔した。  リオンの中に何があるのか、リュシアンは知っている。彼は、リュシアンを放っておけないのだ。リュシアンを構うリオンが悪いのか? 否、彼の気遣いをわかっていながら冷たく突き放すリュシアンの方が、よほど悪いのではないだろうかとさえ思う。けれど、どうしても、突き放して、遠ざかりたい。 (わかってほしい。どうか、わかってほしい)  祈るように、瞼を閉じる。  独りでいたい。誰とも関わりたくない。仕事ならば仕方がないと我慢しよう。どこまでも仮面をつけて冷静に振舞おう。だがそれ以外ではどうか、誰とも関わらせないでほしい。独り静かにいたいのだ。誰かの側にいるだけで心が波立つ。喋らなければならないと思うほど唇が震える。何かを口にすればするほど、それは言葉にしてはいけないモノであったように思えて……。  ゴトン、と力の抜けた手でグラスを置く。気持ちの悪い何かを落ち着かせようとリュシアンは努めて深く息を吐いた。  時折胸をかすめる、ほんのわずかな言の葉。それを想う時、なぜだか幸せな気持ちになる。 (風になれる)  誰もその手に掴むことのできない、誰も見ない風に。  ふわりと笑みを浮かべて、リュシアンは再び酒を呷った。

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