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8.礼子姉ちゃんの見定めと、夏祭り
「ねー礼子姉ちゃん」
「あ? なによ?」
杉田くんが部活や合宿で忙しい夏休み。小動物めいた美少年である僕『水谷 栞』の姉で大学生の『礼子』姉ちゃんに、僕は既に両親のいない自宅。遅めの朝食の席で問うてみる。
「奥手な男の子を落とすテクニックってある?」
「……ぶほっ」
口に含んだご飯粒を、礼子姉ちゃんは行儀悪く吹き出した。正真正銘の男の子である僕が、いくら小悪魔めいているからといって、いくら昔から男の子にちょっかいをかけられていたからと言って、自分から男の子を『落とす』ことを考えているだなんて姉ちゃんは想像もしていなかったのだろう。ゲホ、と咳き込んでテーブルを拭きながら、姉ちゃんは僕に聞く。
「ナニあんた、好きな子できたの? それも男???」
「好きなのは前からだよ、初恋なんだ。男の子」
「はー。まあアンタ昔から、カマトトぶってるけど頭でっかちで、男の子たち誘惑して遊んでたものねぇ」
「人聞きの悪いこと言わないでよ。僕はあくまで純真無垢じゃないか」
「なにが純真無垢よ。まあそれは良いとして……どうなの? 相手はアンタのこと、」
「もうほとんど落ちてる。でも肝心の『好き』の言葉がまだないんだよね。杉田くん、恋に意気地ないとこあるから」
「『恋に』ってか『同性愛に』じゃないの?」
「まあそれはそうだけど」
「てか、杉田くんって言うんだ」
「そうだよ。野球部所属のバリバリな部活少年で、優しくて思いやりがあって責任感まであって格好良いんだ」
「ふーん、アンタと違って青春してるって感じ?」
「そう」
姉ちゃんは少し考える。それからカレンダーを見て、そろそろお盆が近づいていることを思う。この近所のお盆のスケジュールと言えば、
「じゃあアンタ、花火大会にでも杉田くんを誘いなさい。浴衣着付けてあげるから、出発前に杉田くんをウチに呼ぶこと」
「えっ、なんで僕の家に?」
「アタシが品定めして、合格だったらついでにその意気地無しの尻を叩くのよ」
「協力してくれるの!?」
「まーアンタの浴衣姿でムラムラこない思春期はいないでしょ、まかせとけ」
「やった! 姉ちゃんありがとっ、大好き!!」
「ふふ、大袈裟」
僕は僕の可愛さでもって姉ちゃんにまで可愛がられているのである。杉田くんって見た目もさわやかで格好いいし年上に礼儀正しいし、礼子姉ちゃんの御眼鏡にかなうに違いない。そうも思って僕は杉田くんに連絡する。
『お盆に縁日あるよね? 一緒に花火見にいこうよ』
『縁日か、一日目は野球部の皆で行く予定だけど……花火は二日目だよな? だったら空いてる』
『やった! だったら約束ね、久しぶりに会えるね?』
『夏休みは部活が忙しかったから、ごめんな。でも、楽しみにしてる』
『僕の家解かるよね、迎えに来るついでに寄っていってくれないかな』
『オーケー。んじゃあ午後七時頃に、迎えに行くよ』
今、スマホ内ではまるで、かの日の体育館倉庫での情事がなかったかのように友達のように接してくる杉田くんだけれど、しかし夏休み前の学校でのひとときには、僕のちょっとした仕草に何ていうかビクビクしては、僕を意識していたのである。大事な言葉をもらう前に夏休みに入ってしまったから残念だったけれど、礼子姉ちゃんに浴衣を着付けてもらってそれを見せればきっと、杉田くんもギンギン……失礼、メロメロになるだろう。今度こそ、杉田くんから『言わせる』のだ。僕の決心は固かった。
***
あっという間に花火大会当日 。それまでに漫研仲間から連絡があったり、夏休みコスプレ撮影会がメガネの自宅であったりしたけれどそれは余談である。因みに撮影会の時に漫研の皆に、優しい事に僕はアイスを奢ってあげた。杉田くんとの進展の手伝いの、ご褒美である。喜んでアイスに噛り付いていた漫研メンバーにも、縁日には誘われたのだ。でもそれには女装した浴衣姿で、という条件があって僕が『頭腐ってんのか』と返して終わった。コスプレは趣味のひとつだけど、女装は趣味ではない。そこには色々……なんていうか複雑な違いがあるのだ。越えられない壁が、そこにはある。それをあいつら、まだ分かっていなかったのだ。
「こっちがこうでー……うん、よっしゃ出来た! 鏡見てみ?」
「ホントだ出来てる! 今の浴衣って着付けも簡単なんだね」
一階の和室で姉ちゃんに、ボクサーパンツ一枚の上に直接綿製の浴衣を着付けてもらう。柄は白地に寒色系の繊細なストライプで、帯は姉ちゃんの選んできた藍色の兵児帯だ。後ろで結んだそれがリボンのようで、美少年の僕にぴったりな様相だったから鏡の前でニンマリする。
「ふふっ礼子姉ちゃんわかってるぅー」
「でしょ? 伊達に生まれてからずっと、アンタの面倒見てないわよ」
と、姉弟ふたりでニマニマしているところにインターホンが音を鳴らす。杉田くんだ。浴衣姿で走って玄関に向かおうとしたら姉ちゃんに止められて『まあまあ』と諫められる。
「まずはアタシが品定めすっから、ね? 不合格の場合、栞の浴衣姿を見る価値無しで追い出す」
「もー、杉田くんに限ってそんなことないって」
「そうじゃなくてもかわいい浴衣姿、もったいぶった方がお得じゃない?」
いってロングヘアーをかきあげて、自分はラフな私服姿の礼子姉ちゃんは玄関へと出て行った。和室からこっそり聞き耳を立てると、玄関を開けた二人の会話が聞こえる。
『ふーん、アンタが杉田くん』
『あっ、初めまして! 水谷のお姉さんですか? 今日は水谷と二人で花火に行く予定で、だから迎えにきました』
『へー』
『……? あの、水谷は?』
暫し、沈黙。姉ちゃんが、杉田くんを品定めしているのだろう。杉田くんには悪いけれど、僕をものにするには礼子姉ちゃんの洗礼を受けていただく必要がある。仕方ないのだ。
「まっ、及第点な爽やかくんね。栞の見る目も悪くないわ。おーい栞!!」
「はーい、今行く!」
結果は合格だった様子。僕は満面の笑みで小走りで、玄関へと出て行く。杉田くんは僕の浴衣姿を見ると『おう』と言いかけて固まって、青春少年らしくボッと顔を赤くしたが礼子姉ちゃんの前だ。誤魔化すように目を逸らしては、照れに照れる。
「お待たせ、杉田くん久しぶり」
「お、おう……水谷、浴衣着たんだな」
「うん、礼子姉ちゃんが着付けてくれたんだ! どお?」
「そりゃ、かわい……いや、その、良いんじゃないか」
「「良いんじゃないか?」」
横に立っていた礼子姉ちゃんと声が重なる。姉弟の阿吽である。礼子姉ちゃんは眉を曲げてしかし口元は笑っており、僕はというと少しだけ眉を上げる。でもまあ仕方ない。照れ屋さんの杉田くんなのだから。暫しその場に沈黙が流れて、それから『あっ』と僕は思い出す。
「ちょっと待ってて。巾着忘れてきたから取ってくるね」
「あ、うん」
それに、礼子姉ちゃんの前だ。同性の友人を『かわいい』と絶賛するのも如何なものかと思ったんだろう。まあいい。後で二人っきりになったら褒めに褒めてもらえば良いのだから。思って二人の花火大会を思って、上機嫌に和室に戻って巾着の準備をしていると、玄関の方からの会話が聞こえてきた。
『ねえ杉田くん? アタシの前だからって遠慮しなくても良いのよ』
『えっ!? いや、俺は別に……』
『アタシの弟、栞ってかわいいでしょ』
『……はい』
『あの子ってさ、ああ見えて処女だから』
『はっ!?』
杉田くんが声を裏返す。姉ちゃんは何を言ってるんだ。確かに僕はこう見えて誰にも身体を許したことはない。ファーストキスだってこの前の杉田くんとだ。全く……と思って思い直す。姉ちゃんは焚き付けてくれているのだ、きっと。巾着の中お財布の準備が終わったから玄関へ戻ると、姉ちゃんが杉田くんに何かを握らせているところだった。
「ま、せいぜい優しくするのよ。コレ使いなさい?」
「は、はあ……って、ぅえ!?」
「杉田くん、何もらったの?」
「うわぁっ!? みみみみ、水谷、何でもねーよ!!?」
「なにそれ、お菓子?」
「あー、そう、そうだよお菓子、お菓子だ!」
僕のカマトトぶりに姉ちゃんはクククと喉を鳴らしている。杉田くんはそれら……小袋のローションとコンドームを焦ってズボンのポケットに突っこんでいる。そうか、姉ちゃんのお許しだ。本日この水谷栞、杉田くんにこの処女を捧げることになるのかも知れない。とはいえ、それは杉田くんの意気地にかかっているが。やっぱり痛いのかな……自分で指で、弄ってみたことはあるけれど、アレほど太いものはさすがに入れたことがない(あの日見た杉田くんのブツを思いながら)。少し俯いていつもの大きな猫目をぎらっと光らせて、玄関の下駄を履いては杉田くんに可憐に笑いかける。
「ふーん、まあ良いや。花火楽しみだね、行こう?」
「おう、そうだな!」
いつも明るい杉田くんの、それでも不自然な明るさが可笑しくて僕はクスッと笑ってしまった。
***
花火大会開始に向けて長い夏の日が落ちてきて、花火は七時半からだからそれまで、と縁日を杉田くんと周る。僕の地元はそんなに大きな街ではないけれど、それでも縁日の会場は、どこからそんなに出てきたのかってくらいの人で溢れていた。それでも人目がある。杉田くんは僕の手を取ろうとして、それから気がついて止めてしまった。本当に、手を繋ぐのでさえ躊躇するこの人は、本当に僕を抱くことができるのだろうか。心配になりながらも、杉田くんとはぐれないように肩を寄せて歩く。
「杉田くん、チョコバナナ買ってくるね」
「おう、もうすぐ花火始まるから……それ買ったら穴場に行くか」
「穴場?」
「昨日、野球部の連中に教わったんだ。花火が良く見える良い穴場」
「へえ、良いね。じゃあ、ちょっと待ってて」
リンゴ飴を片手に持った杉田くんにそう言ってから、僕は地元住民の勇士がやっているチョコバナナ屋台へと足を向けた。
「すみませーん」「オッサン、チョコバナナひとつ」
はた、と気がついて、声が重なった横の三人組を見上げると、それは偶然にもいつか僕をトイレで襲ったクラスメートの三人組であった。あの時彼等は言っていた『こいつがいつも、俺達を挑発するような目で』と。確かにこいつら僕のことを意識してちょっかいをかけてくるから、杉田くんと良い感じになるまでは、日々誰にも内緒でからかって遊んでいたのだ。可愛らしい浴衣姿の僕を見ると、奴等はニヤァと笑ってからすぐさま僕の細腕を掴んでくる。
「ヨォ、水谷ちゃんじゃん? 浴衣なんか着て、気合入ってんなぁ」
「……こんばんは、君達もお祭りに来てたんだ」
「水谷ちゃん一人? いや……どうせ彼氏とデートだろ」
「彼氏?」
「杉田だよ。あん時は『友達』だとか白々しいこと言ってたけど、いまやお前らがデキてるって学校中で有名だぜ?」
「学校中にまで広がってるんだ、」
考えるように僕はひとつ俯く。外堀が埋まってきているようだ。本当ならば杉田くんに、迷惑をかけずに両想いになれればいいんだけれど、まあ僕が女子を嗾けたのだから仕方ない。女は恐いな、思って暴漢達にニコッと意味深な笑みを返すと、彼等は僕の細腕から手を離して少したじろぐ。
「何笑ってんだ。『それは違う』とかなんとか、反論しないで良いのかよ」
「うーんだって、」
「てかさ、水谷ちゃんその中直肌? 帯も女みたいだしなんかエッロ」
「今日はこの後杉田くんとズッコンバッコンですかー?」
「「「ギャハハw」」」
本当は僕に気があるくせに、杉田くんが恐くていつもは近づけない臆病者が何をイキっているんだか。思って呆れて、先にチョコバナナを買っては受け取って(屋台のおじさんが僕等のやり取りに困っている)、それからチロッと並んだ三人に唇を尖らせて、うるっと涙目を作ったときであった。
「何を言ってるのかはわからないけど、なんだか僕、馬鹿にされてる?」
「っっ!! ナニ今更かわいこぶってんだ、どうせ杉田とはヤリまくりなんだろーが!!」
「水谷? チョコバナナ買えたか?」
「「「げっ」」」
と、そこへ人ごみをかき分けて、爽やかな私服姿の杉田くんがやってくるから暴漢達はその目を白黒させる。杉田くんはそのクラスメート達を見ると『おう』と爽やかに声をあげて、しかしそれから僕が涙目なことを見るとスッと目を細める。
「お前らも来てたんだな。てか、まーた水谷にちょっかいかけてやがんのか?」
「そっ、そんなんじゃねーよ! かわいいクラスメートと、ちょっとお話してただけだっつの」
「ふーん、『かわいい』ね」
「杉田くん、僕等この後ズッコンバッコンなの?」
「はっ!!?」「「「げっ」」」
「この人たちが、そうやって言って僕のこと笑うんだ」
「っっ!! チッ、お前らぁ、水谷にナニ変な言葉吹き込んでやがる!!」
「アッハハ、ちょっとしたジョークじゃねーか! ま、ごゆっくりぃ? じゃあな!!」
「あっ、待ちやがれ!!」
と、そそくさとチョコバナナも受け取らないで、不良三人組は人ごみへと消えて行った(屋台のおじさんがやっぱり困っている)。それを追いかけかけた杉田くんのポロシャツの袖をつい、と摘まんで僕は小首を傾げる。
「杉田くん、放っておこう。それよりそろそろ、花火始まるよ?」
「おっと、そうだな、んじゃあ……さっき言ってたのって神社の裏の方なんだ」
「そうなんだ、行こう?」
「ああ、てか水谷、下駄大丈夫か?」
「礼子姉ちゃんが良いの選んでくれたから、大丈夫だよ」
「!! そ、そうか」
僕の『礼子姉ちゃん』と言う言葉に、ポケットに入ったコンドームとローションを思い出したのだろう。ほんのり明るい縁日の暗がりで、杉田くんが頬を染めたのに僕は、気がつかないフリをした。
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