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「いけません旦那様」  狭い廊下をふさぐように下男が立ちはだかる。 「お部屋をお出の際は必ずリュシアンさまに付き添っていただくようにと、きつく仰せつかっております」 「うるさい」  肩がぶつかるのもかまわずその横を通り過ぎ、突き当たりにある食堂へ続く扉を開けた。  侍女やら給仕やら、狭い食堂で忙しなく昼食の用意をしていた者たちが突然開いた扉に注目して手を止める。  ざっと目を走らせ探す姿がないのをたしかめると、続けろ、と彼らに手振りで示してふたたび廊下に出た。下男もぴたりと私のあとに続く。 「いったいどこにいる……?」  「リュシアンさまは、ただいまお客さまのお相手をなさっておいでです」 「場所は」 「私は玄関でお出迎えをさせていただいただけです」 「相手は陛下か」 「とんでもございません。本日はダルマン公が」 「……ド・アルマン? 国王の次は大公家か。呪われた一族もずいぶんと出世したものだ」  公爵、それも代々王族と浅からぬ縁故を結ぶ大貴族が相手とは。  それもダルマン公とくれば現在の当主だ。 「彼の方は私とそれほど歳が変わらなかったと記憶しているが」 「え……ええ、そのようでございます」 「結婚は」 「公爵閣下、でございますか? ……そうですね、つい昨年、奥方さまと離縁なされたばかりと記憶しております」 まさか原因がリュシアンにあるなどとは言わないだろうな――私が訊ねると、まだ年若い下男は悲鳴のような高く掠れた声で、まさか、と答えた。 「リュシアンさまには何も関わり合いのないことでございます」 「……それならいい。あの男のことだ。私の知らぬところで男を誑かし、良からぬ事態を招かないともかぎらないからな」 「そのようなこと――」 「どうだか」  昨夜は〝男を知らぬ身〟だとかなんとか言っていたが、あの媚びるような視線はとても信じられたものではない。  それをたしかめるためにも、私はリュシアン・ヴァローという人間をもっと深く知らなければならないのだ。  ――そう。必要なら、無理やりこじ開けてでも。 「リュシアン!」  あちらこちらで扉が開き、使用人たちが「何ごとか」と顔を出す。そのひとりひとりに私の恋人の行方を訊ねていると、中庭に出たところで若い庭師の男が駆け寄ってきた。  私を引き留めようとしていた下男はついに諦めたのか、いつの間にかどこかへ消えている。  あるいは私より先にリュシアンの元へ向かい、私を止めるよう直接説得に向かったか。 「どうかなさいましたか、旦那様」  庭師は首にかけた布きれで手を拭うと深々と腰を折った。口調の気安さのわりに、その所作には洗練されたものがある。 「おまえはたしか……ヨハン、だったか。リュシアンの甥の」 「はい。血は繋がってないですけど」  リュシアンさまはご養子としてヴァロー(うち)へいらしたのでと、日焼けした目尻に歳に似つかわしくない働きものの皺をつくった。 「それで、あの方がどうかなさったんですか? まさかまた家出とか?」 「……〝また〟? 以前にも、あの男が行方をくらましたことがあるのか」 「えっ。ああっ、しまった。旦那様はご記憶がないんでしたっけ」  なにやらブツブツと呟くヨハンに昨日の侍女の姿が重なった。 「どうやらおまえもなにか隠しているようだが――そんなことはどうでもいい。リュシアンを探している」 「探してるって……そこにいらっしゃいますよ。ダルマンさまとご一緒に」  俺は朝からここで花の世話してますけど、まだ出てこられてないはずですよ、と背後の庭園を指さす。  迷路のように複雑に入り組んだ生け垣と、中央には客人を招いての茶会を開けるテーブルとベンチとが設置されている。  なるほど主人に内緒の逢い引きにはちょうどいい場所だと、いくら――いまの〝私〟には、だが――慣れない住まいだとはいえ、そこに思い至らなかった自分の迂闊さに腹が立った。 「行って、呼んできましょうか」 「いやいい。自分で行く」  心配そうな顔のヨハンに庭から遠ざかるよう言いつけて、私は庭園へ足を踏み入れた。  先の見えない通路をもっとも新しいと思われる足跡を頼りに進んでいく。しばらくすると人の声が聞こえてきて、私は足音と息とを潜めた。 「――しかしリュシアン殿。いい加減〝記憶がない〟ではすまされない。幸いにも、思考する力が損なわれているというわけではないのでしょう? いまはとくに信頼できる人材、そして……これはあくまで陛下のお言葉だが……優秀な人材を陛下は必要となさっておいでなのですよ。貴方の一存でクレール伯が戻られるのなら、ぜひともそうしていただきたい」 「……何度も言うように、事はそう簡単ではないのです」  男と、リュシアンの声だ。  私のことについて話しているらしい。 「あの方があの方として戻れるかどうかは〝いま〟にかかっている。ここで間違えるわけにはいきません」  凜としたリュシアンの声に盛大な溜息が被さった。 「貴方には酷な話かもしれませんが、それでも伯が伯であることに変わりはないのでしょう? 話を聞いてみれば、おふたりは以前同様お互いに深く思い合ってらっしゃる。記憶が戻る戻らないは別として、これまでどおりの生活を送りつつ、気長に様子を見てみるのはいかがか?」  男――ダルマン公と親しく言葉を交わした記憶はないが、おそらく私とは馬が合わなかったにちがいない。  そして程度の差はあれリュシアンも同様のはずだ。生け垣ひとつ隔てた向こうで、ぴり、と空気が張り詰めるのを感じた。 「……とにかく、もう少しだけ時間をください。調印式までには私も心を決めます」 「期待していますよ。これ以上、陛下のお手を煩わさないでいただきたい」  ダルマン公が立ち去る気配がする。一応は身を隠してみたが、どうやら反対の入り口から王宮へ直接戻ったらしかった。

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