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崩壊──07.

 自分は壊れてしまったのだと思っていた。  だって、壊されたから。  でも、優しい人たちに拾われたから。優しさに触れたから。  壊れた体を戻すことができるのかもしれないと、思っていたのに。  やっぱり壊れた人形は、いつまでたってもガラクタのままだった。  **** 「明日も来る」  嘔吐感も消えず、じくじくと膿む様な鈍痛に意識を取られていた頃、背後から静かな声が落とされた。  あれから何時間たったのだろうか。酷使された体はもう指一本も動かせず、トイは無造作に敷かれたタオルケットの上にただうつ伏せになって息をしていた。  少し腰を揺らしただけで、散々吐き出された所からはどろりとした体液が溢れて気持ち悪い。ソンリェンは他の3人に比べてそんなに性欲が強い方ではなかったはずなのにこれは誤算だった。  ぬめる体を拭きたくとも身体のあちこちが痺れて寝返りさえ打てない。徹底的に搾取された。あの地獄の日々を思い出させるかのように。 「アイツらには、まだ言ってねえが」  ふう、とソンリェンが煙草の煙を吐き出した。シーツに沈むトイには一瞥もくれず彼は足を組んで悠々と乱れた服装を整えていた。  もうシーツ、いやこの部屋全体にソンリェンの煙草の臭いが染み付いてしまったはずだ。  昨日までここはトイだけの家だったのに、たった一瞬でソンリェンに支配されてしまった。 「教えれば来るだろうな、ここに」  アイツらとは、ソンリェン以外のトイの元飼い主たちのことだろう。彼らがトイの居場所を知りたいと思っているとは到底思えなかった。  トイの生死すらどうでもいいに違いない。今更トイが生きていたとしてもへえ、の一言で終わりのはずだ。  飽きて捨てた玩具がどのゴミ捨て場で焼却処分されたのか知りたいと思う人間はいない。 「来ないとでも、思ってんのか?」  シーツを握りしめる。トイの心中は簡単に見透かされてしまった。 「だから馬鹿だっつーんだ、てめえは」  まさか彼らがトイのことを気にしているとでもいうつもりなのだろうか。ソンリェンを含めあの男たちが、一度捨てた玩具に執着するはずがない。 「新しい玩具にもそろそろ飽きてきてんだよ、俺もアイツらも」  目を見開く。新しい玩具──そうか。確かトイの代わりに彼らは新しい玩具を用意すると言っていた。  トイと同じように、どこかの路上で生活している小汚い子どもの中から面白そうなのを見繕って屋敷に閉じ込めているのだろうか。  今の今まで自分のことだけで精一杯でそんなこと考えたこともなかったが、トイと同じように今まさに絶望を味わっている人がいるのだ。  トイは1年と、半年くらいだった。どれほど悲惨な目に遭わされているのだろうか、想像するだけで身震いする。  できることなら助けてあげたい。トイのような思いをするのは一人だけで十分だ。  けれども助けることなんて今のトイにはできない。ちっぽけで、身寄りもない子ども一人に何が出来るだろうか。彼らには──正確には彼らの家には権力がある。簡単に握りつぶされてしまうだろう。  彼らの家の力はあの監禁生活で嫌というほど思い知った。逃げ出すことすら叶わなかったのだから。 「壊して捨てた玩具がまだ使えるってわかったら、どんな反応するだろうな」  此方を振り返ったソンリェンの顔は変わらぬ無表情だった。すました顔からは感情が読み取れない。  何を考えているのかわからないが、それがトイにとっていいことでないのだけは確かだ。 「どうしてほしい、また全員で輪姦されてえか」 「言わない、で」  ガラガラの声で懇願する。先ほどから恐怖を煽るようなことばかり言われている理由にトイは気づいていた。ソンリェンが望んでいる台詞はきっとこれなのだと。 「言わないで……頼む、から」 「それはお前次第だな」  ソンリェンの肩が愉快そうに震えた。トイの返答は正解だったのだろうか。 「お前の働いてるっつー育児院のガキ共玩具にされたくなきゃ、俺を拒むな」 「ぇ……」  一瞬耳を疑った。痛む体を鞭打ちのろのろと起き上がる。動く気配のなかったトイを動揺させたことに優越感でも覚えたのかソンリェンがくっと口角を吊り上げた。愉しそうな笑みだった。 「なん、で」 「しらねえとでも思ったか」  いや、考えればわかることだった。トイの居住地を知っているこの男がトイが働いている場所を知らないはずがない。一気に力が抜ける。  どこで働いているのかという質問という名の尋問に、それだけは話せないと必死になって口をつぐんでいた自分が惨めだった。  どんなに激しく犯されようとそれだけは言うものかと耐えたのに。 「だから馬鹿だっつーんだ。くたびれた育児院潰して、孤児のガキ共を欲求不満の変態共に配ることなんて簡単なんだよ」  小馬鹿にするように吐き捨てられて愕然とした。飲み下された体液が一気に逆流してきそうだった。ただの脅しと捉えるにはトイは彼を知りすぎている。ソンリェンにはそれをするだけの権力と財力があるのだ。 「なんで、だよ……」  怒りがふつふつと湧きあがる。たった一人で子どもたちの世話をしながら、子どもたちのために頭を下げ支援を求めて奔走するシスターの苦労もしらないで。  トイだけならまだいい、けれども関係のない他人まで巻き込まれるのは耐えられない。シーツを握る手に力がこもった。 「オレのこと捨てたの、ソンリェンたち、じゃん」  それでも心の中に渦巻く激情は抑えきれなかった。 「なのに、なんで……なんで……」  あれは、人生で一番恐ろしかった日だった。けれども救われた日でもあった。やっと解放されたのだと、降り注ぐ雨を見上げながらボロボロの腕で久方ぶりの濁った空に手を伸ばした。  その救いが死であっても構わないとも、思えるほどだったのに。  堪えきれず漏らしもした、垂れ流しもした。酷い有様だった。ソンリェンだって他の奴らだって、完全に壊れたトイに最後は興味も失せて、運び出されるトイを横目に次に遊ぶ玩具はどんなものがいいか語り合っていたじゃないか。トイにはそれだけの価値しかなかったじゃないか。 「放っておいてくれ、よ、言わないから……アンタ達にされたこと、誰にも言わない……言えない……こっそり、生きてく、トイは、ただ、」  ただ、自由になりたいだけなんだ。そこまで言う前に、がぁん、と激しい音に言葉を遮られて身が竦んだ。見れば椅子が倒されていた。こんなことをするのはこの部屋で一人しかいない。 「黙れ」  地を這うような声だった。激しい怒気をその身いっぱいにぶつけられて、膨れ上がっていた怒りが急速に萎えていく。

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