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勇敢な子豚──13.

「おはよ、シスター」 「あらトイおはよう。早いのね」 「あーうん、ちょっとな」  誤魔化すようにへへと頭をかいたが、シスターの目には心配の色が映っていた。隠し事が下手だという自覚はあるが、シスターには今の状況を把握させるわけにはいかないので何でもないように伸びをしてみせた。ずきりと痛んだ臀部からは意識を逸らした。 「眠れていないの? クマができてるわよ」 「月がキレイでさ、よるに散歩したら目が覚めたんだ」 「あら、それ絵本のことじゃない」  ふふ、と笑ったシスターに笑い返す。それは今トイが子どもたちに読んであげている本の内容だった。月明かりに誘われ皆が寝静まった頃に夜の探検に出かける子豚の話だ。  トイは孤児であったが字が読めた。  屋敷に監禁されていた時、屋敷の端にトイが割り当てられた狭い部屋があった。トイレやシャワーは完備されていたが窓はなく、トイが初めて男たちに輪姦された忌まわしい部屋だ。  ただ、なぜかその部屋には本があった。壁の端にある少し大きめの開閉式の本棚に、子ども向けの絵本や文字の読み方の教材、そして小説等がある程度揃えられていた。  部屋に運ばれてきた食事を食べ、男たちに玩具にされること以外何もすることがなかった1年と半年間、時間がある時はそれらを読みふけっていた。そこで字を覚えたのだ。  それに、トイが眠れなくて早く育児院に来るのはよくあることだ。シスターもそれを察してか嫌な顔一つせずトイを迎え入れてくれる。だからトイもここの人たちの優しさに甘えてしまっている。 「じゃあトイ、そろそろ子どもたちを起こしにいってくれる?お寝坊さんが多いの」 「うん」  廊下を歩いていく。  ここは教会に認められた正式な育児院でない。平等を謳う教会でも見捨てる地域は見捨てる。孤児の多さを見かねたシスターが一人で廃れた街の端に育児院を建てたのだ。  個人で経営している所なので部屋数も少なく居住している人数もそこまで多くない。  もちろん一人一人割り当てられた部屋はなく、廊下の奥の方に子供たちの寝室があった。大きな部屋で全員がそこで寝ている。  そっと扉をあけると、数人は起きて同じベッドの上でなにやら楽し気な話をしていた。アンナの姿もある。 「……あれ? とい?」 「トイだ」 「といだ、おはよー!」 「おはよ、みんな。すごいなアンソニー、一人で起きたのか?」 「うん」  数人の子どもが、ぴょんっとベッドから飛び降りてトイの腰に抱き着いてきた。柔らかな体を抱きとめる。 「どうして? 朝だよ」  痛む体を悟らせないようにそっと二人の子どもの肩を抱く。柔らかなお日様の匂いがした。鼻の奥に残っていた煙草の臭いなんて一瞬だけでも忘れてしまうぐらいの。トイにとっての太陽がここにはあった。 「今日は早く来たんだ、だから皆を起こしに来たんだよ」 「じゃあトイ、朝ごはん! いっしょに食べよ!」 「おう」  がっしりと服の袖を掴まれて苦笑してしまう。子どもの力は弱くて強い。  少し寝ぼけたままで離れない4歳のアンソニーを一瞬の躊躇の後抱き上げて、まだベッドの上でごろごろしている子どもたちの元へ向かう。  何人は既に目が覚めたようで、トイにバレないように笑いながら布団を深く被っている。にんまりと笑って、勢いをつけて布団をがばりと捲る。 「おーい、お寝坊さんは誰だ!」 「きゃー!」 「まだねるー」  トイの襲来にきゃっきゃと笑う子どもたちに、トイも自然と笑顔になる。腕の中のアンソニーもぐるぐると回されることが楽しいのかさらにトイにしがみついてきた。  少しだけ体を引いてしまったのは、今朝散々体を擦り洗ってきたがまだ何か情事の名残がこの子についてしまったらどうしようと思ったのだ。  だがアンソニーの様子はいつもとなんら変わりない。素直にトイに懐いてくれている。ほっとした。 「トッド、朝だぞ、起きない子は……」  アンソニーをベッドの傍に降ろして、ちらちらと此方を覗きながらトイからのいたずらを待っているトッドの上にがばりと覆いかぶさってわさわさと手を動かす。 「こしょこしょの刑だ!」 「わー! くすぐったあい!」 「ねートイ、メアリーにも、メアリーにもやって!」  いつもの朝の光景だった。  全員を起こして、年少の子たちはパジャマから私服に着替えさせてあげて、タオルを用意させて顔を洗いにいく。  それが終わったら皆で食堂に向かって、手を合わせて食膳の感謝をする。今朝のトイの右隣を選んだのはアンナで、左隣はアンソニーだった。  昨夜の狂乱が嘘みたいに、穏やかな朝の時間はこうして始まった。  忘れもしない。  あれはいつものように駅前の近くでの靴磨きを終えて、わずかばかりのお金で夕飯のパンとスープを買ってトタン屋根の下で食べようかと考えながら、灯の少ない廃れた路地裏を歩いていた夕方だった。  トイの近くで車が停まった。黒塗りのそれは、一発で富裕層の車だとわかる外装だった。  富裕層の人達は怖い。気まぐれ以外で孤児に何かを恵もうなんて考える人はいない。酔狂な壮年の金持ちが、気に入った孤児の女の子をアイジンというやつにするために僅かな金で誘い自宅に連れて行くという噂もたくさんある。  あたたかい部屋が与えられ、お腹いっぱいご飯が食べられるのならアイジンになりたい、と言っている仲間は大勢いるし、自ら高級そうな車が通る場所へ自分を売りに行く子供たちもいた。  だがアイジンとやらは自由がないらしい。相手の機嫌を損ねないために自分を殺して生活をしなければならない。  トイは生活は辛いし冬は夜通し火を焚いていなければ凍えるくらい寒いけれども、自由があったほうがいいなと思っていた。  だからそういう人たちが通る道は極力避けていたのに、なぜかその日は見慣れぬ車が停まった。  関わらないようにしようと最初は思った。トイの孤児生活は長い。地理はだいたい把握してるし、細っこい体だが小さい故に小回りも効いた。  いつもであれば危険を感じればすぐに逃げることができたのだが、車から降りてきた男に後ろから肩を掴まれ「こんばんは」と声をかけられた時、柔らかい物腰と柔らかな微笑みがあまりにも優しそうに見えて、一瞬だけ判断が遅れた。  道に迷ってしまって、という嘘に、道を把握している自分ならば助けてあげられるのではと耳を傾けてしまった。他に2人の男が控えていたなんて気づきもしないで。  後悔してもしきれない、車に近づけば口を押さえ込まれて車内に放り込まれた。  暗かった上その時のトイの髪は長かった。その方が冬は暖かいからだ。でもそのせいで女だと思い込まれ連れ込まれたらしい。  3人がかりで手足を縛られて服を脱がされ体を検分された。そこで、二つの性を持っていることを気づかれた。  なんだ男かよ、と拗ねていた男は、トイの体を面白そうだと称した。  一人だけ他の二人より背が低い男は、この子がいいなぁと無邪気に笑った。  トイに一番初めに声をかけた男は、この子にしましょうかと頷いた。  一体何をされるのか、どこに連れていかれるのかもわからないままトイは屋敷に誘拐され、君は今から僕たちの玩具になるんですよと告げられた。  そこから、恐ろしい地獄が始まった。途中でもう一人青年も加わり、4人の男達に暴行された。  その日から、監禁と陵辱の日々が始まった。  文字通り、男達はトイを物のように扱った。孤児の子一人がスラムから消えたところで誰かが動くわけでもない。彼らはそういう子どもを選び、トイがたまたま選ばれたのだ。面白そうな身体だという理由で。  全員性格も容姿も違うが、全員が恐ろしい男だった。トイは彼らの奴隷だった。最初は抵抗していたが抗えば抗うほど責め苦が増していく日々に、いつしか心までも支配された。  まだ屋敷に監禁されて数か月も過ぎていない頃に脱走を試みたこともあったが、なんなく捕まって、その日から懲罰室での拷問も始まった。  人は、一度箍が外れるとどこまでも残酷になれるのだと、あの時知った。 「とい、大丈夫?」 「……え?」  心細げな、幼い声にぱっと意識が浮上する。三人の子どもが、口を止めてしまったトイを心配そうに見上げていた。 「おきてる? おねんねしてる?」 「あ……ああ、わり! ちょっとボーっとしちゃってたな。えと、どこまで読んだっけ」 「ここー!」  まるっとした指先が、トイが読み聞かせていた絵本のページを指さした。

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