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お出かけ──22.

   少なからず驚いたらしいソンリェンは、トイから視線を逸らさずに僅かに口角を上げた。 「なんだしてえのか」 「ち、違えよ!」  慌てて否定する。自分で言ってしまったことだが、そんなつもりは決してなかった。  ただここ2日間ともソンリェンが部屋に来た時はほとんど会話をすること無く有無を言わさず組み敷かれていたため、抱く素振りをなかなか見せないソンリェンにどういった態度を取ればいいのかわからない。  トイもテーブルに座り彼と向き合って無駄話でもすればいいのだろうか。いや無理だ。  屋敷にいた頃のように朝勃ちを処理するためならトイが寝ている時であっても構わず突っ込んで来ていただろうに、起きたトイへの第一声は朝飯を食え、だ。本当に何が目的なのかがわからない。  犯してこないのであれば、なぜ今彼はここにいるのか。 「オレ、仕事、行かなきゃなんないんだ……今日は屋根の掃除、したり、その」  どうせ挿れるならさっさとして事が終わったら帰ってほしいというのが本音だった。今日は育児院には行かずとも一人で外に出て所要を終わらせる日と決めている。  トイが見つけた秘密の場所に行って、景色を眺めて心を休めたいとも思っていた。会話もなく、ソンリェンと同じ空間で二人きりの時間を過ごすという一日なんて考えられなかった。想像するだけで苦行だ。 「仕事、ねえ」  一つ大きく煙草の煙を吐いたソンリェンが、青い瞳を細めた。 「今日は、あの汚ねえ育児院には行かねえ日だと思っていたが」  ぎくりと身体を強張らせ、流し台の縁を握りしめる。 「なんで」  バレているのか。言葉尻を取られハメられたのだろうか、いや違う。今はまだ朝も早いしいつも育児院に行く時間帯と同じだ。  トイの態度で目星をつけたのかとも一瞬思ったが、ソンリェンはなにやら確信めいた瞳をしていた。もともと知っていたに違いない。 「お前は週一で、同じ曜日に買い物やらなんやらをしてただろう。育児院には行かないで」  見透かすような視線にぎゅっと服の袖を握りしめる。やはり知られていたのだ。 「図星か」  さらりと、抜けるような金色の前髪からソンリェンの細い瞳がざわめいた。そこにいつもの残酷な色が混じったような気がしてトイは後ずさる。  しかし後ろは流し台でこれ以上は逃げられなかった。 「俺を騙すとはいい度胸じゃねえかてめぇ」 「っごめ、んなさい……知らないと、思ってて」 「理由になるかよバカが」  勢いをつけて立ち上がったソンリェンがつかつかと歩み寄ってきて、どん、と流し台のタイルに両手を突かれ腕の中に囲われる。  身長差があるため、食らいつくように顔を覗かれ肩が縮こまった。ソンリェンの顔が見れなくて咄嗟に視線を床に移す。綺麗に磨かれた靴が目に入った。トイの使い古されたそれとは大違いだ。 「なんで、知って……」 「知らねえことなんてねえんだよ、てめえのことなんざ」 「……そんり、は、い、いつから、オレがここにいるって」 「いつだっていいだろ、関係あるか? 玩具に」  そんなことを言われてしまえばもう何も言えない。ソンリェンが知る必要がないと判断するのであればそれがトイの真実になる。  トイの疑問や意思など彼らにとっては道端に転がっている石ころのようなものなのだろう。 「それより嘘をついた罰だ。躾けなおさねえとな? トイ」  たらりと背中に汗が滲む。仕事がないことがバレていて、しかもソンリェンの機嫌を損ねてしまった。  今から一日中いたぶられるのかもしれない。奥歯をぎゅっと噛みしめる。  しかしトイの身体は、ソンリェンにベッドに叩きつけられることはなかった。それどころかソンリェンの圧力が目の前から消えた。 「連れてけ」 「え?」  ぱっと顔を上げる。ソンリェンは既に背を向けていた。 「なにぼさっとしてんだ、連れてけ」  玄関へと向かったソンリェンに嫌な予感がして、震える声で問う。 「どこ、に」 「てめえが行くところにだよ」  ああ、やっぱりそうなんだ。  深く深くため息をつく。先程からソンリェンの行動は不可解なものばかりだ。戸惑うトイを横目に、ソンリェンはさっさと玄関の扉を開けた。優しい朝の光が、小窓以外からトイの部屋を淡く映し出す。 「……何度も同じこと言わせんな、てめえの今日の外出に付き合ってやるって言ってんだよ」  ソンリェンの流し目に、トイはごくりと唾を飲み込んだ。  それは、最悪の一日の始まりだった。  ****  天気は快晴だ、けれどもトイの心はとても曇っていた。  いつもは優しい朝の日差しすら恨めしくなってしまうくらいだ。雨でも降っていれば雨音にかき消されてくれたのかもしれないのに。  それか今が昼間であればよかった、まだ外に並ぶ店も開店したばかりで人が疎らなのもいけない。  沈黙が続くこの重い空気感に、トイはもう耐えきれそうになかった。 「はいよ、一個おまけしとくね」 「おばちゃん、あんがとな」 「あら、後ろの人は見かけない顔だね。トイの知り合いかい?」 「あー……、まーな」  なんと答えればいいかわからずへらりと笑ってごまかすのも、もう慣れつつあった。 「あらそう、いい男じゃないかい! もひとつおまけしとくかい?」 「あ、大丈夫だよ。もう十分もらったから。また来るな」  見知った顔の果物売りの女性が深追いして来ない人でよかった。ただでさえソンリェンは愛想笑いなどをする男ではない上、店員に受け答えをするわけでもなく、トイの少し後ろでじっと煙草を燻らせているのだから。  非合法の物品も売られている治安がいいとも言えないこの場所に、時折一人で買い物に来る子どもが、圧倒的な存在感を放つ小奇麗な顔をした美青年と並んで歩いているのだ。  目立つどころではない、好奇の目に晒されている。  ソンリェンのような男がこんな場所を訪れることなどほとんどない。どう見てもかなり浮いていた。  できることなら今すぐにでもこの場を去ってしまいたかったのだが、住処に戻ってしまえば体を開かれるか、ソンリェンの興が乗らなければ何をするでもなく部屋に居座られてしまうかもしれない。  犯されることは苦痛だが、ソンリェンとただ二人きりでいるというのも苦痛だ。ただでさえ何もしゃべらないソンリェンと黙々と歩いているだけでこんなにも胃が痛むのに。  だからこそ無駄に、買わなくていい食材も買ってしまった。少しでもソンリェン以外の他人と会話をしたくて。  今購入した林檎もその一つだ。まだ部屋に残ってるし、この量はいつもよりも多い。余らないように明日育児院にでも持っていこうかとため息をつき、ちらりとソンリェンを見上げる。相変わらず何を考えているのかわからない顔で煙草を吸っていた。  ソンリェンと一緒に、二人並んで買い物をするだなんて1年前じゃあり得ない光景だった。  果物を売る屋台を離れて再び歩き始める。ソンリェンも自然と隣に並ぶ。  身体を重ねること以外で彼との接し方がわからない。会話らしい会話など、今までしたこともないのだ。それに何より、どんな発言がソンリェンの機嫌を損ねてしまうのかがわからない。  別の人間相手であれば何かしらの話題も出ようものなのに、ソンリェン相手だと空模様の話題を振ることですら難しい。ソンリェンに今日はいい天気だねなんて話しかける自分というのも想像できないし、それに受け答えをするソンリェンも想像できなかった。それにその後会話が続く保証もない。そうであれば話しかけるだけ虚しいだけだ。  そんなことをつらつらと考えているとやはり声を掛けることもできず口を噤んでしまうのだ。その繰り返しで、トイはとても疲れきってしまっていた。  そしてさらに困ることに、そこまで長くもない並んだ屋台の端がついに切れてしまった。両手はいつも以上の買い物袋で塞がってしまっている。これ以上何かを手に取ることも難しいしお金もない。あと残されている選択肢は一択だけだ。  自室へ帰る、それだけ。  ソンリェンも彼の屋敷に帰ってくれるだろうか。それとも共にトイの部屋に戻り、今まで通りトイの身体で遊ぶのだろうか。

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