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初めての友達──29.
「トイ!」
「おわっアンナ、どうした?」
「あのね、あのね、ディアナが、作ってくれたの」
アンナは突進する勢いでトイに抱きつき、嬉しそうに目の前でくるりと回ってみせた。
髪には色とりどりの花で複雑に編まれた可愛い花飾りがついている、ディアナが作ってやったのだろう。
2週間前に育児院に新しくやってきたディアナという少女は、育児院の子どもたちと直ぐに打ち解けた。そして彼女は手先がとても器用だった。
「そっか、よかったなアンナ。すっげえ綺麗だよ」
せっかくの花飾りを崩さぬよう頭を撫でる。それはお世辞でもなく本心だった。アンナは頬がふっくらとしていて、草花生い茂る草原を走り回ってそうな女の子だ。誰よりも花が似合う。
それにピンク色の花びらはアンナの頬と同じ色で可愛らしかった。
トイに褒められたアンナはえへへ、とはにかむように笑うとスカートを翻してたーっと駆け出した。暫くは頭に乗せられた花の飾りを崩さぬようお淑やかに遊ぶだろうが、鬼ごっこなどを始めたらすっかり忘れてしまうのだろう。
アンナはちょっと忘れっぽい。壊れちゃったとぐずりながらトイに抱き着いてくる今後の展開を想像して、つい苦笑してしまう。
「トイって罪な男ね」
「わ、ディアナ」
ひょいっと後ろから声をかけられてびっくりした。長い髪を三つ編みにしたディアナだった。どうやらアンナとトイのやり取りをこっそり覗かれていたらしい。
そしてトイはディアナのほつれた髪に目を見張り、ぷっと吹き出してしまった。
「ディアナ、髪凄いことになってるぞ?」
「みんなにやられちゃったの。でも可愛いからいいもん」
解けて崩れた三つ編みに、色々な花が差し込まれている。
きっとディアナのことだから、子どもたち全員に花飾りを作ってやってそのお返しにと花を挿されたのだろう。のどかな光景が目に浮かぶ。
きっと笑って逃げながら、子どもたちの相手をしていたに違いない。
「でもさすがに土っぽくなっちゃって、逃げてきたの」
「ディアナはすげえよな、アンナってあんまり人に懐かないのに」
アンナは明るく元気な子だが、人見知りも激しい。打ち解けた人に対してはスキンシップも激しくなるが、そこに至るまでが少々長めの子だった。
実際トイだってアンナと仲良くなるまで2カ月はかかった。しかしディアナはそれを1週間ほどでやってのけたのだ。もうディアナは、アンナや他の子どもたちのお姉さんに見えた。
「え、そうなの? アンナって誰とも仲良くなれる子だと思ってた」
「え、オレ仲良くなるまで2カ月かかったんだけど……最初は話しかけても逃げちまうし、大変でさ」
「うーん、それはまた別の理由なんじゃない?」
「別って?」
にま、と意味ありげな笑みを浮かべたディアナに手招きされる。辺りを窺うようにこっそりとディアナに歩み寄ると、彼女の茶色い髪に差し込まれた花の香りがふわりと強くなった。
「さっきも言ったでしょ、罪な男ねトイって」
「あ、そうそう。さっきのってどういう意味だ?」
「アンナね、大きくなったらトイのお嫁さんになるんだって」
「へえ……は!?」
こそっと囁かれて素っ頓狂な声を上げてしまった。寝耳に水とはこのことだ。目に見えて驚きを露わにしたトイにディアナはからからと笑った。
「顔真っ赤よ、トイ」
「だっ、そっ、うっ」
「だってそれは嘘だろう?」
口の中でこもってしまった台詞を簡単に言い当てられたことはさて置き、トイは本当に驚いたのだ。
まさかアンナがそんなことを思っていただなんて。小さな女の子のなんてことない戯言かもしれないが、恥ずかしさと嬉しさでむずむずと胸が温かくなってしまう。
これからアンナとどう接すればいいのかと意味のないことすら考えてしまう始末だ、相手はあんなに小さな女の子だというのに。わたわたと慌てるトイにディアナは吹きだした。
「トイってば気づかなかったの? アンナにほっぺにちゅうして? とかお願いされて普通にしてたのに」
「それは小さい子のあれっていうかさ……」
「ずるい! あたしはアンナにほっぺにちゅうして? とか言われないのにトイばっかり!」
「どこに嫉妬してるんだよ!」
ディアナに頬を抓られそうになって逃げる。
ディアナは不思議な子だ。少しお茶目で明るくて、一緒にいる人の心を簡単に溶かしてしまう。まだ知り合って2週間しか経っていないのに、彼女の笑顔以外の表情をトイは見たことがなかった。
どんな事情でここにやってきたのかについても、聞いたことはなかった。
「あら、二人ともこそこそ何やってるの?」
「あ、シスター」
結局ディアナに捕まりディアナが髪から抜き取った花びらを服の中に入れられた。くすぐったさに身を捩っている間に今度はシスターに見つかった。
「子どもたちがあなた達のこと探してたわよ」
「はーい、戻るね! じゃあトイ、またあとで。あたしのパジャマ綺麗に干しといてね~!」
最後にトイの髪に一つだけ綺麗な花を挿して、ディアナは軽やかに子どもたちの前に戻って行った。再び始まる鬼ごっこに皆が笑顔だった。
「あらトイ、可愛いことになってるわね」
「あっディアナのやつ、こんなところにも」
襟首にも花びらが散っていて、トイはそれを軽く払った。服に着いた小さな草はシスターが取り除いてくれたが、髪に挿された花は可愛いからというくすぐったくなる様な理由で取ってくれなかった。
「ねえトイ」
「ん? なに」
「ディアナと、仲良くしてくれてありがとう」
「え」
シスターを仰ぎ見る。シスターの目尻が、慈しみ深く細められていた。
「あの子、やっぱりここに来た時は心細かったと思うの。でも貴方が、ディアナによく話しかけてくれたから」
そうだっただろうか。どちらかというとトイが話し掛けていたというより、自然と二人で話すようになったと言う方が正しい。
初めて知り合った同年代の子だというのに、ディアナには気まずさなんてものも感じなかった。
ディアナといると優しい気持ちになれる。
他の子どもたちはやはりトイが面倒を見る側だ。けれどもディアナとトイは対等だった。
一緒に皿を洗い、子どもたちを起こし、子どもたちに絵本を読み聞かせ、子どもたちと外で遊ぶ。
やはりトイも一人しかいないので、一度に十数人の子どもたち全員の相手をするのは難しいところもあったのだが、ディアナのお陰で交代しながら子どもたちをまとめることが出来るようになった。
まだまだ互いのことはわからない部分も多いけど、ディアナが来てくれたおかげで育児院がもっともっと明るくなったような気がする。
「そんなことないよ。むしろディアナの方がオレと仲良くしてくれるっていうか、さ」
あまりにもディアナが明るすぎて、こんなトイが隣にいていいのかと不安になるくらいだ。
──穢れた身体を持つトイなんかが。
「ディアナはなんか……不思議なんだ」
それでも一緒にいると、トイの心の奥深くの暗がりにぽっと灯が燈るような気持ちになれるのだ。
「あったかく、なるんだ」
「トイ……」
誰にも話したことがないことをいざ口にしてみたら、シスターの視線がさらに柔らかくなったような気がしてとても気恥ずかしくなった。
「ディアナとトイは、なんだか似てるわね」
「え? 似てる?」
「ええ、優しいところが──あなたたちとってもお似合いよ?」
顔を覗き込まれて、トイのお嫁さんになりたいというアンナの言葉をディアナから伝えられた時と同じようなむず痒さがじわじわと湧きあがってくる。
「な、なに言ってんだよシスターってば! 洗濯物、はやく干そうぜ!」
「ええ、そうね」
くすくすと微笑んでいるシスターからぱっと籠を奪いとって、赤くなってしまった頬を隠すようにトイは仕事を再開するため駆け出した。
割り振られている何人かの子どもたちと一緒に洗った服やシーツを干していく。
洗濯日和な空だった。
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