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過去──61.

 深夜に屋敷に帰り、暗いトイの部屋を訪れて、寝ている玩具を叩き起こし性欲を発散させた。先程まで会っていたその晩の遊び相手が思っていたよりも微妙で消化不良だったのだ。  思う存分吐き出せたので、ベッドに寝そべり汗だくのまま荒い呼吸を繰り返すトイを置いていつも通りさっさと部屋に戻ろうと思っていたのだが、気になるものを見つけて足を止めた。  一つだけこの部屋に用意されていた小さなデスクの上に、白い紙切れが置かれていた。目に留まったものはその紙ではなく、そこに滲んだ黒だった。 『文字』  意外にも綺麗な文章、しかしここにいる誰の筆跡でもない。  内容は、本から書き写した詩などのようだ。ここの使用人達の仕業でもあるまい。残る犯人は、ベッドの上で震える子ども一人しかいなかった。 『書けんのか、お前』  孤児というのは、文字を書けないものだと思っていた。学ぶ術がないからだ。  しかもトイは学校にも通ったことのない生粋の浮浪児だった。そんなトイが文字を書けるという事実に驚いた。  珍しく話しかけられた会話らしい会話に、トイは目に見えて震えた。おそるおそる此方を見上げた瞳は酷く狼狽え、不安げに彩られていた。 『あの……その』 『ちゃっちゃと答えろ、また犯されてえか』 『べ、べんきょ……したん、だ』 『あ? 勉強?』  トイはそれ以上は黙っていたいのか口を閉ざしてしまったが、質問の答えを全て受け取っていないソンリェンは苛立った。  そんなソンリェンの機嫌の降下を感じ取ったのか、トイが焦りながらある場所を指差した。  トイを閉じ込めている部屋なんぞに興味はなかったが、なんとなく指差す方向へ向かい戸棚を開く。そこには本が敷き詰められていた。 『……本?』  なぜこんな部屋にこれが、とトイを伺えば、慌てたように首を振られた。 『さ、最初から、あって』  嘘ではないだろうが、知らなかった。きっと3人も知らないだろう。  この屋敷は、ここにいる4人の男たちの親世代が同じように学生時代に集っていた場所だ。  親が親であれば子も子だ。権力と財ある人間ほど歪みが激しい人間もいない。あらゆる手を使ってのし上がり、そろそろ事業からの引退を考えている父親に好きに使えと屋敷の部屋の鍵をそれぞれ渡されたのだ。若いうちは遊べ、と。  深くは聞いていないが、代々ここを取り仕切っているらしい壮年の使用人がソンリェンたちのやる事なす事に顔色一つ変えないことや、地下に使われた形跡のある独房や懲罰室が設けられていたことから、だいたい似通ったことを仕出かしていたのだろうということは想像がついていた。 『それで、勉強、した……』  この部屋も最初からおかしかった。他の部屋に比べては狭く窓もない。それなのにトイレや狭いシャワー室はついている。客人の部屋とも言い難い。  倉庫を改造した部屋なのかとも思っていたが、棚の中に突っ込まれていたのは黄ばんだ古い本たちだ。詩集や、小難しい参考書や、子ども向けの本も何冊か。  ここに閉じ込めていた玩具たちのためにだろうか。  そうであれば、犯し弄ぶこと以外に使う予定のない玩具にこうした娯楽も与えずに部屋に押し込めているソンリェンたちの方が、前の世代よりも酷いということだ。  面白くもないのに失笑してしまう。 『あの、そんりぇ、ん』  おずおずと話しかけられて視線だけを向ける。  トイが酷く動揺していた理由が次の台詞でわかった。体が冷たかった理由や、デスクの上に置かれた紙を発見され、狼狽えていた理由も。 『本、は……』  深夜に、誰も部屋を訪れない時間を見計らって、小さな灯りだけを付けこうして文字の練習をしていたのだろう。  ソンリェンが階段を上がってくる音が聞こえて、紙を隠す余裕もなく慌ててベッドへ潜り込み、今までも寝ていたのだと誤魔化したのだ。 『取らねえよ、お前が字を覚えようが覚えまいがどうでもいい』  適当に吐き捨てた。実際どうでもよかった。トイが文字を覚えた所で誰かに助けを求めることなどできないのだから。  隙を見て誰かの部屋の窓の外から紙でも投げようものなら、控えている庭師が気づき、報告してくるはずだ。  トイは怒られなかったという事実に虚をつかれたように目を見開き、次の瞬間唇を緩めてほっ…と息を吐いた。 『あり、がと……』  その表情があまりにも安堵しきった穏やかな顔で。ソンリェンの前では強張った顔や怯えた顔しか浮かべなかったトイの初めて見る表情に目を細めてしまった。  それほど印象的だったのだ。  それに、子ども向けの絵本や文字書きの本も多少はあれど、ほとんどが大人が読むような古い書物や古い参考書だ。それでここまで綺麗な字を書き、なおかつ少ない時間を縫って独学で字を覚えることができたというトイの力に純粋に驚いた。  元々の知能は高いのかもしれない、勉強をする機会がなかっただけでと、その時思った。  だが、明日の休日トイはソンリェンたちに壊される。  別に何とも思わないし、止めようとも思わない。ロイズが死ぬまで壊そうと提案したのならそうなるだろうし、自分も混ざるだろう。  死なないまでも遊びつくしてどこかに捨てるのであれば、壊れた子どもを欲しがる好色な金持ちがいれば交渉の道具として譲るのも一つの道だろう。  どちらにせよ、トイは文字を覚えたようだが使う道はもう来ない。この1年と数ヶ月の間の子どもなりの学びは全くの無意味だったというわけだ。  アホらしい独り相撲をよくもまあ続けてきたものだ。  ぽとりと、固まった煙草の灰を灰皿に落とす。 「くだんねえな」  レオがだろう? と肩を寄せてきたが全く聞いていなかった。くだらないと思ったのはトイに対してだ。壊されるだけの運命だったと言うのに無駄な時間過ごしたなと。  窓の外は夜だった。が、月の光は差し込んで来ない。  雲行きがあやしい、明日は雨になるかも知れないと思った。  この時、なぜ一度目のトイの逃亡劇にここまで腹が立ったのか。  初めて輪姦した時、トイの真っ赤な瞳に身体の奥が疼いたのか。  怪我だらけのトイに、気色悪いと思いつつ触れることを止めなかったのか。  牢の中から自分だけを求めるトイの姿に興奮したのか。  トイのほっとした表情から目が離せなかったのか。  今、文字を覚えたトイのことを考えたのか。  これらの理由に気がついていればよかったのかも知れない。  基本的に女性の体にしか性欲を覚えないソンリェンが、トイが声変わりしようとも飽きなかったのはどうでもよかったからなのではなく。  そんなもの気にもならなかったからなのだと気づいたのは、トイをなんの躊躇もなく壊して捨てた後になってからだった。

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