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過去──64.

 ──どうにもならなかった。  今更、甘い言葉を吐くことなど出来ない。トイは望まない。そもそもソンリェンにそんな芸当はできない。プライドが高く自分勝手で、唯我独尊で短気で、頭に血がのぼると直ぐに手が出てしまうソンリェンには。  21年間そうして生きてきた。そうして生きても許される環境下にいた。  ソンリェンから他人を求めたこともない。いつも誰かが寄ってきていた。それを拒むか拒まないか、選択肢や主導権は常にソンリェンにあった。  常にソンリェンにとって世界とは、自分が中心となって回るものだと思っていた。  謝罪をするのは簡単だ。だが何に対してだ。1年と半年、若気の至りと言い捨てるにはあまりにも長い期間だ。  トイにしてきたことが多すぎて謝り切れない上、したところで許されるはずもない。  自分を激しく暴行して殺した、正確には殺しかけた男など受け入れられるはずがない。  ソンリェンがトイの立場であれば受け入れない。むしろ相手を殺すだろう。  そんなソンリェンだ。もしもトイに受け入れられないと突っぱねられたら、自分でも何を仕出かすかわからなかった。  トイはソンリェンの恐ろしさを知っているはずだ。そしてソンリェン自身も、己の恐ろしさを知っていた。  ソンリェンは、トイの身体しか知らない。まともに会話をしたことなども無いに等しい。どこをどう突けば、弄ればトイが感じるか、痛がるか、喘ぐか、苦しむか。  どういう言動を取ればトイが怯えて体を固くさせるか、強張る脚を開くか、抵抗しないか──受け入れるか。  そんなことしか知らない。知らないのだ。  皆で壊した時。助けてと、縋るように伸ばされた手を振り払ったのはソンリェンだ。  だから、ソンリェンがトイと関わるために選べる道は一つだった。 **** 「……こんなところに、か」  遠くからソンリェンを見つめるトイの顔は、蒼白だった。  ソンリェンと目が合っただけで、細い身体全体も小刻みに震え始めている。今にも脱兎のごとく逃げ出しそうだ。  その表情を見て確信した。やはりトイはソンリェンのものにはならない。ならないのであれば、力づくで奪うしかない。  寄りかかってくる女の手を乱雑に振り払う。ソンリェンが取りたいと思っている手はお前じゃない。あそこで突っ立っているあの子どもだ。  気持ちを静めるためにふかしていたが、まともに吸えてもいなかった煙草を落とし踏みつける。トイの身体がさらに強張った。  これでトイの身体から逃げようという選択肢は消えたはずだ。 「道理で見つからねえはずだな。どっかのスラム街の路上にでも転がってると思ってたが」  これまで通り冷めた瞳でトイを見下ろす。  一ヶ月間日を改めた。あれから時間の許す限り育児院へ赴き、育児院を取り仕切る女性と洗濯物をかけるトイや、子どもたちと遊ぶトイを遠くから見て来た。  時折、何かを思い出したかのようにふらりと傾ぐ身体。慌てて抱き寄せてなだめるトイが慕う女。  蒼白な顔はあの頃と同じだ。明るい笑みの下にはまだまだ癒えぬ恐怖がある。まだ──縛れている。  これが正しい方法だとは思ってはいないが、ソンリェンはこれしか選べない。 「トイ。おい、何突っ立ってやがる」  吐き捨てるように絶対的な命令を下す。怯えたトイは逆らえない。 「入るんだろ? 入れろ」  張り付いたように竦む足を引き剥がし、トイがゆっくりと近づいてきた。  ああ、トイだ。  トイの背後で広がる茜色の夕暮れは美しかった。  だがそれよりも、ソンリェンの目の前にあるトイの赤い瞳の方が、もっと強く輝いて見えた。 *トイの青空、これにて前編終了です。明日から後編に突入します。  全135話予定です。痛くて拙いお話ですがお気に入り等嬉しいです、有難うございます。

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