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亀裂──77.
「うるせえな、離せ」
「傷つけるなって、なんだよ! 傷つけてたのはソンリェンだろ!? 玩具だったじゃん、穴だったじゃん!それ以上でもそれ以下でも、なかったじゃん! ソンリェンだって、そう言ってたじゃん!」
「わかってんだよ」
「わかってない!」
「わかってんだよ!」
「なんで今更! ずっと興味ないって顔してたくせに!」
「黙れ!!」
激しく怒鳴ったソンリェンが、がんと近くの壁に拳を叩きつけた。
擦れ、じわりと滲む血の色に勢いが伝わって来た。至近距離で睨み合う二人の荒い息が広い客間に響く。ロイズは何に動揺しているのか、そんな二人の仲裁に入るでもなく椅子に座ったままだ。
「遅かったんだよ、気づくのが」
やっと吐き出されたソンリェンの声は掠れていて、聞けたものではなかった。乱暴にエミーを押しのけたのは手が震えているのを隠すためだろうか。
「俺にも、トイにももうかまうな、もう、お前らとつるむ気もねえよ」
「な、なんでだよ! ソンリェンは……俺らの、仲間だっただろ……!?」
エミーの悲痛な叫び声にぴたりとソンリェンの足が止まった。
そう、仲間だった。互いに歪んだ性格を持っていた。おぞましく、異常な価値観を自覚していながらも異を唱えることもせず互いに共有していた。それが心地よかった。
親の紹介の元、金と権力で繋がっていた4人だったが。確かに仲間だった。4人であればどんな残酷なことも平気でできた。これからもできると思っていた。
「なん、なんだよ、今さら」
天井でぐるぐると気流になっていた煙が勢いよく乱れた。
ソンリェンが開けた扉から入り込んだ、空気のせいだった。
「ど、どうしようもないクズで、外道のくせに、俺と、俺らと同じ」
「……否定はしねえが」
淡々とした声は、暴れまわる感情の波を抑えているようにも聞こえた。
「俺は抜ける。てめえは気のすむまでそこにいろ」
レオは煙草をぐしゃり握りと潰し火を消した。
ソンリェンは壊す気なのだ。平行線を保ち続けていた4人の関係を。
成り行きを見守っていたレオの中にも確かな苛立ちはあった。この中でも一番他人に対して興味が薄かった男が、こんなにも変わってしまったことに。
だから一石を投じた。先に石を投げて来たのはソンリェンの方だ。
「ソンリェン」
これまでずっと黙っていたレオが口を開いたことで、ソンリェンの意識が此方に向かった。
煙草を吸わない二人とは違いソンリェンもレオも暇さえあれば吸っていた。ベランダで、部屋で、客間で、そして二人でトイをいたぶりながら。
よく二穴挿しをして遊んだが、あれが一番最高だった。
「一つだけ俺も忠告しておくぜ。お前にとっちゃ可哀想な話」
対等に狂った、悪友とも呼べる関係だった。少なくともレオはそう思っていた。家の事業に精を入れるソンリェンを心配もしていたのに、その仕打ちがこれだ。
レオたちを置いて一人だけまともになろうだなんて、虫が良すぎるとは思わないのだろうか。
「お前の可愛い可愛いトイちゃんさ、女と歩いてたぜ」
「……女? 」
肩越しに振り返り喰いついたソンリェンに両手を上げひらひらと振る。変わったとしてもそれは上辺だけで、培ってきた根底は変わらないはずだ。
所詮は同じ穴の貉なのだから。
「ただの女じゃねえよ。可愛い茶髪を三つ編みした女の子だったぜ。歳は同じくらいで、二人で手え繋いでデートしてた。初々しいカップルっつー感じ。微笑ましいよな」
ソンリェンの表情は見えない。ただ彼をまとう空気の温度が少し下がったことはわかった。
先ほど見かけたソンリェンとトイの関係は、決して対等と呼べるものではなかった。少なくともトイはソンリェンに従順ではあったが恐怖を抱いているように見えた。
ソンリェンのことだ、馬鹿正直に想いを伝えているわけはない。歪み切った初恋とやらに足掻いているのが現状だろう。
そんな男にとって初めての嫉妬という感情がどのような事態を生み出すのか。わからないレオではない。
「信じらんねーっつーなら確認してみろ」
せいぜい足掻けばいい。レオたちを置いて行こうとした罰だ。
「確か名前はディ……ディーナ? とか言ってたな。お前さ、入る隙間ねえぞたぶん」
ソンリェンは一瞬だけ顔を伏せ、そして何も言わずに勢いよく扉を閉めた。
余裕がなかったのか、それとも別の理由だったのか。
閉ざされた扉の前でエミーは地団駄のように足を踏み鳴らしながら「ふざけんなよ」と吐き捨てていた。
レオは手に持っていた煙草に視線を移した。煙草の尾の部分が歪に潰れていた。握りつぶした時に小指だけに力を入れてしまったのだろう。完全に無意識だった。
そんなところまでちゃんと見ている癖に。
閉じられた扉には躊躇も未練もないだなんて薄情な奴め。
「……あーあ」
吐き捨てた吐息は、苦かった。
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