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雨音──79.
「……ディアナ?」
「何よ、呆けた顔しちゃって」
「あ……」
「シスターから、トイがあたしに話があるって聞いたんだけど」
「あっ、そ、そう。そうなんだ」
過去の記憶を思い返していたせいですっかり当初の目的を忘れていた。
もう直ぐで子どもたちが昼寝から起きてしまうから、その前にこっそりと思ったのだ。ディアナばっかりずるいと他の子どもたちが泣いてしまわぬように。
「なに? どうしたの」
「あの、これさ」
小さな手提げカバンから取り出したものをディアナに差し出す。
シスターから包み方を教えて貰って、トイなりに丁寧にラッピングをしたのだがカバンに入れていたために少し皺になってしまった。
ディアナは手渡された青色の小袋を見、トイを見、そしてもう一度袋を見た。
「なに? これ」
「開けてみて」
ディアナがしゅるりと赤色のリボンを外している間、トイはドキドキしていた。かなり日数が空いてしまったのだが、喜んでくれるだろうか。
「あっ……!」
「ごめん、もっとはやく作って渡したかったんだけど、時間なくてさ」
ソンリェンが部屋に入り浸るため作る暇が全くなくて、この数日間で編んだミサンガだった。
育児院に編み方が乗っている本があったので、シスターに自宅に持ち帰っていいかを確認して部屋で仕上げた。
ディアナから貰ったそれとは作り方が違う。だから長くかかってしまった。
「ミサンガだ!」
「遅れてごめん、誕生日おめでとうディアナ」
「凄い! オシャレな模様! どうやって作ったの?」
「えーと、オレもよくわかってないんだけど、矢の羽? の模様なんだって」
「へ~!」
青と金と、そして赤の3色で編んだ。快活なディアナによく似合うと出来上がった昨日は仕上がりに意気揚々としていたのだが、実際手渡す時になってみると緊張した。
なにせ、友達の誕生日にプレゼントを贈ること自体が初めての経験なのだ。ちらちらとディアナを伺う。
ディアナは目を輝かせて取り出したミサンガを太陽にかざしたり、しげしげと眺めて編み方をじっくり確認したりしている。
喜んで貰えたようだ。ほころんだディアナの口元に安心した。
「あ、トイ、これ3色だ」
「うん、ディアナ金色好きって言ってただろ? だから金と、あとディアナの目の青色と、あと赤」
「赤は?」
「オレの目の色。綺麗って言ってくれたから」
「あはは、知ってる。ねえ、つけていい?」
「あ、うん」
器用に片手でつけようとしたディアナだったが、うまくいかないのか地面に落ちてしまった。
それを拾い砂を落とし、ディアナの腕に巻き付けて彼女に教わったやり方で結んでやる。
やはり、ディアナの白くて細い手首に3色のミサンガはとてもよく似合っていた。
「すごい、キラキラしてて綺麗……ありがとう! 嬉しい」
「ううん、オレもこれ、あんがとな」
さらりとディアナに貰った手首のミサンガを撫でる。本当に嬉しそうな顔で目を輝かせるディアナに、自然とトイの頬もほころんだ。
ディアナはトイの表情をちらりと見つめると、一瞬何かを考え、次の瞬間にはにんまりと笑った。
その笑みにちょっとだけ嫌な予感がする。
「で?」
「え?」
「トイ、これだけ?」
「こ、これだけって酷くねえ?」
「2週間も遅れたくせにい」
「だってディアナの誕生日知らなかったし」
あろうことか当日に知ったのだ。それを言うならもっと早めに自己申告してほしかった。
「なによう、ほっぺにキスするとかそういう甲斐性見せてくれたっていいじゃない」
「……は!?」
唐突な発言に一拍遅れで驚いたが、トイの顔を窺いながらにやにやしているディアナに直ぐにため息をつく。
ディアナはどうやらおふざけモードに入っているようだ。最初の頃にはよくからかわれて焦ったものだが最近は慣れて来たのでうまく躱せるようになっていた。
だから今回も、ふざけ合いながら流そうと思ったのだが。
ディアナの笑みが、残像のようにぶれる。
光に反射した彼女の青い瞳に、脳裏によぎった光景は近づいてくるソンリェンの顔だった。
まただ、ディアナとソンリェンが被る。ディアナの笑みに、なぜだかきゅっと心臓が痛くなる。
穏やかな空色の瞳が真っ直ぐにトイを映し出し、頬に熱いものが触れた。ソンリェンの唇だ。ただ触れるだけのキスだったはずなのに、何か特別な想いが込められているような気がした。
ソンリェンは気まぐれにトイを振り回す。ここ最近は特にそうだ。
優しい素振りを見せたと思ったら、不機嫌も露わに怒鳴りつけてくる。どうしたらいいのかわからず疲れる。
ソンリェンは怖い。トイのことなんて彼はなんとも思っていなかった。なのに彼はほぼ毎日トイの部屋を訪れる。
ソンリェンがトイの身体に執着する理由はなんだ。トイが稀有な身体だからだろうか。男の体は趣味じゃないと言いながらトイの陰茎を扱き、膨らみのない胸に執拗に触れてくる理由はなんだ。
キスをしてくる理由は、なんだ。
もしかしてソンリェンは、トイを女だと思っているのかもしれない。もしもトイがどこからどうみてもしっかりとした男の身体を持つ人間だったら、ソンリェンはトイに触れなかっただろう。
自分の性がどちらかなんて考えたこともなかった。生まれた時からどちらの性もあったから。
教えてくれたのは名も知らぬ老人だった。たまたま共に水浴びをしていた時、偶然すっころんだトイの身体に老人が気づいた。そしてトイの身体を検分すると哀れみを含ませた目で、小僧、それ誰にも言うなよと言われた。
厳しい目つきにトイは頷いた。今ならわかる、珍しい身体だと売り飛ばされるかもしれないと心配してくれたのだ。あの時出会ったのがあの老人でよかったと思う。
物心ついた頃には周囲の孤児たちに倣って自然と男言葉を使っていたし、13歳になったが体つきも女性らしくない。
それに一般的な女性が経験する「生理」というものが来ないので、自分は男としての性の方が強いのではと思っていた。
今はまだ中性的な身体だが、声変わりをしたのだからトイはきっと男として成長していくはずだ。
もしもそうなれば、ソンリェンはトイを手放してくれるかもしれない。
いや──突き放されるかもしれない。
「なーんてね……何よ、見つめてきちゃって」
男は、女と何が違うのだろう。
ディアナは女性だがトイは男なのだろうか。それとも女なのだろうか。
一般的に言えば、年頃の男は女に恋をし、女は男に恋をするらしい。
トイが男であるならば、今自分はディアナに恋をしているのだろうか。
ディアナのことはかわいいと思う。彼女の傍にいると安心する。ディアナのやわらかな手に触れると緊張する、固い自分とはまるで違うから。
ではトイが男でディアナが女であるならば、トイはディアナにキスをするのが普通なのだろうか。
そうすればわかるだろうか。ソンリェンが、トイにキスをしてくる理由が。
ディアナの青い瞳を見る度に、ソンリェンの瞳を思い出してしまう理由が。
ディアナの優し気な笑顔を、ずっと見ていたいと思う、理由が。
至近距離にディアナの驚いた顔があった。彼女との境界線がぼやける。
気が付いたらディアナの頬に口付けていた。
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