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雨音──80.
ディアナの見開かれた瞳を数秒間見つめてから、トイは自分が仕出かしたことの重大さに気が付き、直ぐに口を離して後ずさった。
「……わぁ!!」
キスをされたのはディアナの方だと言うのに、トイの方が先に悲鳴をあげてしまった。ディアナはぽかんとしている。
「え、ト、トイ……」
「ご、ごめ、ごめん! ディアナ、あの、そのオレ、そ、そんなつもりじゃなくて!」
あたふたと意味のない言い訳をする。本当にそんなつもりじゃなかった。青い瞳に吸い込まれるようにキスをしてしまった。
触れた瞬間の柔らかさが唇に残っている気がして慌てて口を抑えてぶんぶんと首を振る。
突然友達にこんなことをしてしまうなんて。嫌な思いをさせてしまったに違いない。
呆けた様子のディアナの頬が次第に赤くなる。トイもつられて赤くなる。朱色に染まってしまったディアナの耳たぶは一週間前に見上げたソンリェンの赤らんだ耳と同じ色だった。
こんな時であっても、思い出してしまうのはソンリェンのことばかりなんて。
「あ、あの……ディアナ、ほんとごめん、突然その……おれ、オレ無意識で……!」
「う、ううん、あたしからしてよって、言ったこと、だし」
「わりい、嫌なことしちまって……!」
「そんなことない、そんなこと、ないよ!」
ディアナが気を使って首を振ってくれたが、あれが冗談だったということはトイにもわかっている。
トイは自分が嫌になった。ディアナのことを考えていたわけではない上に、無意識とはいえ女の子相手にキスをしてしまったのだ。穴があったら入りたい。
ディアナは髪を弄りながら、トイはぎゅっと袖を握りながら互いに沈黙した。ぴちちと鳥の囀りが響き二人で空を見上げるまで黙っていた。
空を横切る鳥の姿が見えなくなった所で、ディアナが肩を震わし始めた。
「ディ、アナ?」
「も、なにやってるんだろうねあたし達」
「う、うん。ごめん」
「いいよ」
くすくすとディアナは笑ってくれたが、許して貰えたのだろうか。いたたまれなくて顔を下げる。
「トイ、あのさ……あたしね」
「え?」
笑い終えたディアナが下を向いた。なんだかいつもと様子が違うように感じて顔を覗けば、ディアナは何度か口を開閉させた。
しかしそれがうまく言葉になることはなく、またきゅっと閉じられる。
再び顔を上げた時彼女は困ったように薄く笑いながら眉尻を下げていた。
「なんでもない……あのさ、また秘密の場所に二人で行って、遊ぼうね」
「ディアナ?」
秘密の場所、というのはトイが以前ディアナを連れて行った場所だ。もちろんだと頷く。
「あそこでまたふわ菓子、食べようね」
「あ、ええと」
あれはソンリェンに貰ったものであってトイが買ったわけじゃないから、今度ディアナと遊びに行く時に持っていけるかどうかわからない。
そもそもトイは、あのお菓子がどこに売っているかも知らないのだ。海外から輸入してきたものだから、きっと都心でしか売っていないはずだ。
「……だいじょーぶ。今度はあたしが買ってくるから」
「え?」
明るいはずのディアナの声色に何か、切なげな色が混じったような気がして首を捻る。
「ディ……」
「あらあら、二人ともお似合いね」
ディアナにもう一度声をかけようとした矢先、突然後ろからかけられた別の人の声にトイは飛び上がった。それはディアナも同様だったらしく二人揃って後ろを振り向く。
そこにいたのはもちろん、トイたちの親代わりの女性だった。
「しっ、シスター! いつからいたんだよ?」
「ん? ないしょよ」
もしかしてトイがディアナの頬にキスをしてしまったシーンを見られていたのだろうか。
「い、いるなら言ってくれよ!」
「だって、なんだか入れない雰囲気だったんだもの。ねえディアナ」
お茶目に笑ってみせたシスターに確信してしまう。
これは絶対に見られていた。恥ずかしすぎて耳まで赤くなる。
「シスターってば!」
口元を抑えてころころ笑うシスターに、ディアナが抱き着いた。
ふいに、ディアナの頭を優しく撫でる手のひらから目が離せなくなった。
自然と伸びた手で自分の髪を梳いてみる。なんの変哲もないぱさついた赤茶色の髪だ。ここ最近のソンリェンはよく、シスターと同じように柔らかくトイの髪に触れてくる。
あの節くれだった細い指で。
どうしてソンリェンは、トイの髪に触れたがるのだろうか。
そんなことばかり考えていたから、気が付くのが遅れた。
「──失礼、シスター」
「ああ、ああ、そうだったわ。申し訳ございません」
シスターを呼んだのは、トイでもディアナでも、ましてや他の子供達でもなかった。
トイの耳朶を打ったのは、聞き覚えのある独特な低い声だった。
「トイと、ディアナです。ここの育児院で、子どもたちをまとめあげてくれている二人なんですよ」
「……え?」
驚きのあまり、せわしなく動いていた鼓動が一瞬だけ止まった。
トイは軋む首を動かして、シスターの後ろにいる青年を見上げる。
見なくともそこにいる人間が誰なのかはわかっていたが、信じられなかった。
「トイ、この方はね、来月からこの育児院を支援してくださる方で」
シスターの台詞が右から左へ流れていく。凍り付いた首が目の前の青年で固定された。
視界に入ってきたのは、一週間前を最後にトイの自室を訪れなくなったその人だった。
「そ、そんりぇん……」
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