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玩具の人形──92.

「深入りするなと言ったが、聞こえていなかったか」 「感想を述べたまでですよ。昔はサーカスの見世物小屋にいましたなぁ」  なんともえげつない台詞だが、見ての通りトイは両性体だ。だからこそ金で繋がりのある医者を呼ぶしかないのだ。どんなサーカスとやらなのかは詳しく聞かなくともわかる。ろくなものではなかったはずだ。  手袋をつけた医者はやはり表情一つ変えずに、トイの臀部、膣内、陰茎を診察し、身体の傷を消毒し塗り薬をまぶしガーゼを貼った。治療が終わった頃には、トイのそれはまた勃ち上がっていた。 「まずは、軽く栄養失調気味ですね」  トイの身体は細い、細すぎた。それなのに食事をあまり取れない。精神的な心の傷がトイの食欲を減退させているのだ。ソンリェンに犯された後も一人で吐き戻していたのかもしれない。 「あと、意識混濁が始まっています。今夜と明日は発汗と発熱が凄いでしょうが、それを越えてしまばあとは徐々に落ち着いていくかと。この飲み薬を一日3回飲ませてください。女性器の裂傷が酷いのでこれは一日5回ほど塗っても大丈夫です、そのつど中に入れるガーゼも替えるように……あっ塗り薬はここに置いておきます。身体の傷も酷いですが、それ以上に飲ませた薬が薬なのでね。完全に抜けきるまで幻聴や幻覚に苛まれてパニックになる時もあるでしょうが、どうしようもないのでなだめるでもなんでもしてください」  淡々と、述べられる事実を噛みしめる。 「ああそれと、廃人にしたくなければ勃起してもなるべく放置で。射精しすぎると余計悪化します。もちろん女性器への刺激も与えないように。薬が抜けきった時が大変ですので。自分で擦らないよう手足も縛っておきますか」 「いい、俺がやる」  医者の手を制する。 「……死なねえだろうな」 「さあ」  ぎろりと睨めば、医者は真っすぐにソンリェンを見返した。  自分自身の浅ましい部分を見透かされたようで目を逸らしたくなったがそれはプライドが許さない。 「医者としての見立てでは、死にはしませんね。これぐらいのことでは」  だが、次の言葉でソンリェンはやはり目を逸らしてしまった。腕の中に囲ったトイを見下ろす。 「ただ、この子どもにとってこれがどのくらいのことかは存じ上げません、そういうことです」  医者はどこまでも医者らしかった。多少の事では動じず、事実のみを述べる。  では私はこれで、と席を立った男にいつもより多くチップを渡す。これにも医者は驚いたようで、年期の入った皺交じりの眦をくいと上げてから丁寧な所作で部屋を後にした。 「……トイ」  治療も終わった。あとは休ませるだけだというのに息をつくことが出来ない。  胸の中に抱きしめたトイをベッドに寝かせなければならないというのに、トイを離すことが出来ない。ソンリェンの中でのトイの存在はこんなにも大きいのに、現実のトイはこのまま消えてしまいそうな儚さだった。 「トイ……」  自分が触れることでトイが汚れていく気がする。もう一度声をかけてもトイは顔すら上げなかった。震え強張る指でぐっとソンリェンの服を握っている。  顔を覗き込めば、焦点の合わない瞳が虚ろに揺れていた。  その目は、ソンリェンを見てはいない。薄い唇が動いている。何か、喋っている。聞き取ることは出来ないが、誰の名を呼んでいるのかだけはわかる。  忌々しい名だと、愚かな嫉妬をしている場合ではない。 「……おい、ハイデン」 「なんでしょうか」  医者を見送り、部屋の中へと戻ってきたハイデンに向き直る。 「テレアスター育児院のシスター、連れてこい」 「実はもう来ております」 「……あ?」  あまりにもさらりと返されたので一瞬嘘をつかれたのかと思ったが、この使用人がそんな嘘をつくはずがない。確認するためにハイデンを訝し気に見上げれば、彼は真面目な顔を崩さずに頷いた。 「医者をお連れする途中で、走っているのをお見掛けしたので拾いました。ここに来ようとしていたようです。客間に控えさせておりますが部屋に通しますか」  いまの説明で大方わかった。あのディアナとかいう女にでも泣きつかれて血相変えてソンリェンの屋敷に来ようとしていたのだろう。  自分で連れてこいと言ったには言ったが、いざ下の階にトイの求める人物がいると思うと逡巡した。  だが、トイのか細い腕にぎゅっと力が入ったのが見えてハイデンに苦く告げる。背に腹は代えられない。 「──通せ」 「わかりました」  一礼してから部屋を去り戻ってきたハイデンが連れて来た女は、蒼白な顔をしていた。 「ソンリェン様、お連れしました」  ハイデンのノックと共に、勢いよく部屋に足を踏み入れてきた女は酷い有様だった。髪に千切れた葉が付いているのはディアナに言われて森の中へトイを探しに来たからだろうか。靴もスカートの袖も乾いた泥で汚れていた。昼間までは丁寧にまとめられていた髪もぼさぼさだ。随分と汗をかいたのだろう、髪が濡れ、頬も赤らんでいた。この姿では走っている時にさぞ人目を引いただろう。 「──トイ!!」  部屋が割れんばかりの大声に反射的にうるさいと怒鳴りつけそうになったが、口を閉ざす。  部屋の中にトイを見つけ、壁に寄りかかるソンリェンなど目にも入っていないのか駆け寄ってきたシスターに、それまで他人に対してまともな反応を示さなかったトイがぴくりと震えほんの僅かに顔を動かした。  その虚ろな瞳は、自分の元へ駆け寄るシスターの姿をぼうっと捉えていた。 「──……ぁ」 「トイ、トイ……!」 「し、すた、ぁ……?」 「トイ……!」  穴が空くほどにトイを見つめているソンリェンの姿に、トイもシスターも気づかない。 「どう、どうしたの、こんなに怪我を……なんて、なんてこと」 「しす、た……」  シスターがトイの肩を掴んだ。その途端「ぁ……ッ」と甘く鳴きながら艶やかに跳ねたトイの姿に、シスターは一瞬愕然とした。嘘だろう、と目を見開きながらトイの身体から手をそっと離し、ゆっくりと壁に背を預けるソンリェンに鋭い視線を投げつけてきた。  穏やかで終始笑みを崩さなかった女がこんな顔をするのかと思ってしまうほど、それは厳しい視線だった。明確な殺意と怒りが、シスターの瞳には満ち溢れていた。  彼女は、今の一瞬でトイが何をされたのかを察したようだ。 「し……たぁ」  だがトイに声をかけられ、シスターはわなわなと震えていた唇をきゅっと引き結びトイに向き直った。そこには先ほどの動揺はもうない。むしろ普段以上に穏やかな顔でトイの傍へと膝をつく。トイのために、膨れ上がった激情を彼女は意図的に隠したらしい。 「……ええ、傍にいるわ、だいじょうぶよ」  なるべく刺激を与えぬよう、トイの指先にそっと手を添えた女の表情は慈愛に満ちていた。 「……ぁ」 「トイ、だいじょうぶよ。もう怖くないのよ」 「しす、た……ぁ、お、れ」 「ええ」 「お、おれ……こわれ、ちゃ」 「壊れてなんかないわ」  トイの言葉を明確に遮り、シスターはトイの顔を覗き込んだ。  しっかりとトイと目線を合わせるように。 「また……おれ、こわれ」 「壊れてない、壊れてないのよ」 「オレ……もどった、のに……しすたぁ、に」 「大丈夫よ、トイ。ああ……トイ」  二人だけの世界がそこにはあった。ソンリェンが決して入ることの出来ない世界だった。

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