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玉ねぎのスープと林檎とサンドイッチ──112.

 会話らしい会話とは程遠いものだけれども、こうしてトイがつっかえずにソンリェンと話せるようになるなんて、1年前までは考えられなかった。  手持ち無沙汰なのか、ソンリェンが指を弄りながらそうか、と律儀にもう一度繰り返した。だが言葉はそれ以上続かず、やはりすぐに閉じられてしまう。  肝心なことを言わないのは、トイが聞きたくないとソンリェンを拒んだからなのかもしれない。 「ソンリェン」  声を掛ければ、ぴくりとソンリェンの肩が強張った。 「……なんだよ」 「なんで、オレがトマト嫌いって知ってたの」  ハイデンはソンリェンが厨房に指示を出したと言っていた。ち、と力のない舌打ちをしながら、ハイデンか、と腰に手を当てて俯く姿は全くもってソンリェンらしくない。 「……聞いたんだよ」 「誰から」 「お前の大好きな、シスターからな」  大好きなという部分に若干の棘を感じたが、ようやく合点がいった。  トイがロイズたちにされていたことを思い出したわけではなかったのか、なんだ……と少しだけ肩を落としかけて、落胆した自分自身に驚いた。 「それに」 「それに?」  これではまるでトイが、ソンリェンが昔の出来事を覚えていたことを喜んでいたみたいじゃないか。 「吐いただろ、お前」  トマトを食べて吐いたことは何度かある。床に舌を這わせた時はいつも吐いてしまっていた。 「いつの、話」 「2ヶ月前、お前の部屋で」 「……ああ」  言われるまで忘れていた。確かソンリェンに無理矢理朝食を口に入れろと脅されて、スープを吐いてしまったことがあった。あれにはトマトが入っていた。  トマトの入ったスープを持ってきた時点で、屋敷に監禁されていた時にトイがされていたことはさほど覚えてはいなかったのだろうが、少なくとも2ヶ月前のあの出来事をソンリェンは忘れていなかったらしい。 「林檎も?」  すりおろされた林檎はトイが食べたことがないくらい甘かった。 「シスターから聞いたの? それも、オレが好きだって」 「だったらなんだ」 「あと、サンドイッチも。ここで作って、持ってきてくれてたんだな」  ふわがしもそうだった。トイが美味しいと言えばソンリェンは何度でもそれを持ってきた。 「……ソンリェンが、スープに玉ねぎいれてって言ってたって、聞いた」  そうすることでしか、トイと関わる術がないとでも言うように。 「ありがとう、お陰で、食べれた」  トイが口を閉ざしたことで、会話は終わった。  ハイデンから聞いたソンリェンの身に起こった事実を、今更ながらに思い起こす。  今考えれば思う所は多々あった。同性との性行為をかなり毛嫌いしていた所や、トイの男性器には絶対触れようとしなかったことも。  高い鼻とつり上がった細く濃い眉、彫りの深い顔立ち。誰もが見惚れるような美しい顔をしていながら口や態度がとても悪く破壊的な所や、やけに潔癖だった所も。  他人から、こんな形でソンリェンの根幹となる部分を知らされてしまうことになるとは。  別にハイデンに対して怒ることじゃないとは言ったが、いっそあの時怒っていればよかった。  目を背けていたいことばかり知らされて、一つしか見えなかった道の横にどんどん新たな道が枝分かれしてしまう。どの道に一歩足を踏み出せばいいのか、迷ってしまう。  どの道を選べば、大好きだった広い空に近づくことが出来るのかがわからない。見ないふりをするのは、こんなにも疲れる。  ソンリェンがどんな思いで、俺を犯せなんて言葉を口にしたのかなんて考えたくもないのに。 「お前は、どうしてそうなんだ」  僅かにソンリェンの声が震えていた。  まるで、爆発しそうな気持ちを抑えているようかのようだ。激情を堪えるなんてソンリェンらしくない。  いっそのこと怒り散らしてくれたらいいのに。これまでのようにトイを乱暴に押さえつけて、ありったけの罵詈雑言を並べ立ててくれたのならトイも迷わないのに。  もうずっと、ソンリェンはソンリェンらしくない。  苦しい、くらいに。 「言いたいことがあるなら、言えよ」  ぎしりとベッドが唸る。ソンリェンが腰掛けたからではない。彼がトイの顔の横に両手をつきトイの身体を覆ってきたからだ。視界の隅で、ソンリェンの両腕が微かに震えていることが見て取れた。 「そんなふわふわしたことを、言いたいんじゃねえんだろ」  眩しい睫毛の中で、青い瞳が揺れている。 「死ね、って、言わねえのかよ」  それは、ソンリェンが望んでいることなのかもしれない。  消えろと叫ばれたぐらいでは彼は彼の感情の波を消化出来ないのだろう。トイに死ねと言われれば、彼は楽になるのだろうか。もしも本当にトイが死ねと言ったら、この人はどういう行動をとるのだろうか。  そういえば最初の頃はよくソンリェンに死ねと言われていた気がする。トイが本当に死んだらソンリェンはどんな顔をするかについては多少興味があった。  舌打ちを一つか二つして、あとは忘れてくれるだろうか。  できればそうであってほしい。 「俺が憎いんだろ、お前」  ソンリェンがぐいと眦を釣り上げた。怒りに満ちた顔をしているくせに、やけに蒼白なのが気になった。  その手がトイの頬を張ることも、胸ぐらを掴み上げてくることもない。それどころかトイの身体に触れないようにかシーツを強く握りしめている始末だ。  トイの許可なくトイにもう触らないと、彼自身がトイにした約束を守っているのだろう。 「恨みごとの一つでも言やあいいだろ。思い切りブン殴ればいいだろ、お前を玩具扱いしてた外道が目の前にいるんだぞ!」  そうだ、いる。トイがカップを投げつけてしまったせいで、口の端を痛々しく切らした青年が。 「怒らねえから……!」  ソンリェンが拳を握りしめ、項垂れるように俯いた。  ふわりと髪が鼻を掠めてくすぐったかった。  トイはソンリェンを冷めた目で見降ろした。  ソンリェンはトイに何を望んでいるのだろう。泣き喚きながら責め立てれば満足するのだろうか。

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