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繋がれた手──115.

「まさかこの部屋にいるとは思わなかったよ、ここ確かソンリェンの部屋だよね。勝手に入っちゃダメじゃん。それとも、ここで匿われてたの?」 「な、んで……何しに」 「何しに? んー」  唇に指を当てて小首を傾げる行動も1年前と変わらない。  トイに今度はどんな遊びをしようかと、悩んでいる時と同じ仕草だった。 「トイとお話しに、ね」  にこ、と屈託なく細められた目にぞわりと背筋が粟立った。緩慢な動作で一歩後ずさる。  この嫌な空気感は、もう何度も経験している。 「どうしても会いたかったんだよ。ソンリェン今日は不在って聞いたからさあ、ちょっとタイミング見て忍び込んじゃった」  かつん、とエミーが近づいてくる。逃げ出したいのに足が、震えて動かない。 「よかった生きてて、心配してたんだよ? ソンリェン、トイの居場所も教えてくれないし、会わせてくれもしないしさ」  嘘だ。エミーがトイを心配などするはずがない。  冷や汗を掻きながら視線のみで辺りを見回す。逃げ出す算段を懸命に考えた。  ハイデンはまだだろうか、それともハイデンがエミーを招き入れたのか。  わからない、トイはこの屋敷の人間ではないため、トイがここの人達にどう思われているかなんて判断がつかないのだ。 「トイがいなくなってからもっとトイと一緒にいられたらよかったなーって俺思ってさ。ごめんね、俺ってばダメな主人だよなあ、気づくのが遅れちゃって」  へたりと子犬のように眉を下げたエミーがどんどん近づいてくる。  4人の中では背は一番低い方だが、もちろん平均的には低いわけでもなくそしてトイよりは高い。  自然と、目の前に立ったエミーを見上げる格好になる。  笑みを浮かべてはいるが、トイを見下してきた瞳には冷たいものが見え隠れしていた。 「会いたかったよトイ。可哀想に、ソンリェンにこんなにボロボロにされて。怖かっただろ?」  伸びてきた腕に捕らえられ、ぎゅうと抱きしめられて震えがピークに達した。  エミーの服は女性受けがいいように常に甘い匂いがする。コロンという香りを常に振りかけているらしい。  けれども、ソンリェンの煙草臭い身体より嗅ぎやすい匂いのはずなのにこれっぽっちもいい香りだとは思えなかった。  それどころか恐怖心は増すばかりだ。 「っ、はな、はなせ」 「っと、ちょっとどうしたの」 「離せ……ッ」 「おわ」  力の入らない手でエミーを振り払い彼の身体を横切ろうとするも、ぱしりと腕を捕らえられ引き寄せられてしまう。 「どこいくの? トイ」  ぎり、と握られた手首が痛い。ソンリェンも強くトイの手首を掴み上げてくるがあれはトイを逃がさぬように躍起になっているからだ。  それに比べてエミーは、トイの細い手首のことなんて一切考慮していない。その辺にいる虫を適当に捕まえるのと同じレベルなはずだ。 「誰も出ていけなんて命令してないけど?」 「離せって言ってるだろ!!」 「うわ、びっくりした。トイってそんな大声出せたんだ」  何が楽しいのかエミーがからからと笑った。  腕の力は緩まない。突然動き出した壊れかけのオモチャを物珍し気に見ている。 「こーら、逆らっちゃダメ。いつのまにそんな聞き分けの無い子になったの? 悪い子は嫌いだ、ぞ」  腕を捕らえられたまま引きずられる。向かう先はベッドの上だった。 「ぁっ」  勢いよく突き飛ばされる。だがエミーは圧し掛かっては来なかった。 「そんなに怖がらなくていいよ、今日はトイに話があってきたんだって言っただろ?」  エミーがコートの中から丸められた紙を取り出し、さっと広げてトイの目の前に突き出してきた。 「これなーんだ」  びっしりと字が埋められたそれを確認する前に、エミーが直ぐにそれをサイドテーブルの上に置いたので文字は読めなかった。 「何」 「契、約、書、だよ」  一文字一文字区切るように囁き、エミーは唇を釣り上げてみせた。  契約書、の意味はトイでもわかる。約束事を、正式に決めるための紙だ。だがなぜそんなものを見せられるのかがわからない。 「正式書類作ったんだ。トイさあ、俺の愛人にならない?」 「……アイジン?」 「そ、愛人」  アイジン、は、よく孤児の仲間たちが憧れていたものだ。  孤児として一生を終えるよりも金持ちのアイジンになりたい。そう言ってあの手この手で金持ちに見初められて去っていったあの子やあの子は今どうしているのだろうか。  アイジンとは娼婦と似たようなものだと聞いたことがある。金持ちたちの相手をする代わりに衣食住を提供して貰うのだ。  1年前のトイとは違う。  トイは同意の上ではなかった上、彼らにとってアイジンにも満たない玩具だった。 「俺のところに来なよ、一緒に暮らそう? ここよりもっと綺麗で広い部屋も用意してあげる。俺ん家、ソンリェン家より金持ってるんだよ?」 「……なんで、エミーのアイジンなんかにならなきゃならないんだ」 「え? そりゃあ……トイのことが大好きだから俺の愛人になってほしいんだよ、決まってるじゃん」  そんな白々しすぎる嘘を、トイが本当に信じると思っているのなら大バカだ。 「嫌だ」  短く吐き捨てる。 「アンタのアイジンになんか、ならない」 「……ソンリェンとのセックスって痛いだろ?」  ぐいっと胸ぐらを掴まれて顔を寄せられる。  気丈でいたいのに、エミーの開き切った瞳孔に勝手に首が竦んでしまう。  機嫌のいい時はまだましだったが、こんな顔をしているエミーにはいつも酷い目にあわされた。 「あいつトイの身体にしか興味ないって言ってたんだよね。具合がよかったからトイのこと探して見つけたんだって。だから今は気に入られてても、どうせ直ぐに壊されてまた捨てられちゃうよ。それに比べて俺はトイのこと本当に好きだからソンリェンみたいに酷いことなんてしないし。ほら、よく恋人ごっこってしてただろ? 実はトイのこと好きだったからああいうことしてたんだよねえ。あんな感じで毎日気持ちいいセックスしてあげるよ」  よくもまあ、心にもないことをペラペラと。  長い間相手をさせられていたからわかる。今のエミーはとても機嫌が悪い。あの頃と違うのはそれをトイに見せないようにしていることだ。  まるで、甘い蜜を用意し手ぐすね引いて獲物が落ちてくるのを待っているみたいだ。  落ちたらどうせ、あとはただの餌でしかない虫を餌置き場にでも放り投げて食らうのだ。

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