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トイの青空(終章)──130.

 青い瞳が水滴に揺れて、やっぱりディアナの目は綺麗だなと今更ながらに思った。ディアナとソンリェンの顔が被ることは、もうない。 「あの時、あたし……!」 「うん」 「トイのこと置いてっちゃった、から……!」 「この間はごめん、変なところ見せて。ソンリェンとちょっと喧嘩しててさ」  ディアナには、絶対にことの真相を話さないと決めていた。  これは、トイの男としての矜持だ。 「巻き込んでごめんな」 「あのメモは」  ぐずりと鼻を鳴らしたディアナは、困ったような顔で微笑んだ。 「ソンリェンさんからの、だったんだよね」  あのメモとは、ソンリェンがあの場所へ来るようにとトイからのだと偽ってハイデンに渡す用に命じたメモのことだろう。 「あー……うん、マジでソンリェンがごめん」 「嫉妬深いんだね……あの時、凄い顔でソンリェンさんに睨まれたもん」  トイの中にあの時の詳細な記憶はほとんどなかったのだが、ソンリェンがディアナに失せろとかなんとか吐き捨てたことは覚えている。 「ソンリェンさんは、トイのことが好きなのね」 「……大人げないだけだと思うぜ」  本人がいれば確実に言えないことをディアナの前では言ってしまった。  12歳の女の子に嫉妬してあんなことを仕出かすなんて、ソンリェンは本当に大人げない。 「恋人、なの?」 「──わかんね」  ディアナから手を離し、ポケットに手を突っ込んで肩を竦める。 「でも、傍にいてくれるって言ってたから。オレもソンリェンの傍に……いるよ」  ディアナが僅かに目を見開いて、少しだけ笑った。  トイの微妙な嘘に気づいているのかもしれないけれども、トイのことを考えてかそれ以上のことをディアナは聞いてこなかった。 「聞きたいこと、沢山あったの。でもシスターに聞いたら、トイなら大丈夫よって」 「うん、この通り大丈夫。ちょっとあの後体調崩しちまって、ソンリェン家で休んでたんだ」 「そっか」  ディアナがそろそろと離れた。曖昧に笑って見せる。ディアナが目を伏せた。 「今元気になったなら、それで、いいよ」 「うん……あんがとな」 「ごめん、ごめんねトイ。ごめん……お父さんと暮らすことになったってことも、もっと早く言いたかったの。でもトイにはずっと、言えなくて……っ」 「ディアナ、わかってるよ、わかってるから」  トイが孤児だと知ってから、ディアナの言葉の節々にはトイへの気使いがより一層見えるようになった。ディアナは悟らせないようにしていたけど、トイは気が付いていた。  シスターにディアナとトイは似ているところがあると言われたが、確かに合わせ鏡のようだったのかもしれない。まるで姉妹兄弟のように。  だからこそトイはディアナが大好きになったし、友達になれて嬉しかったのだ。 「お父さんが迎えに来てくれて嬉しいんだけど、まだみんなと一緒にいたかった。これも、本音なの」 「わかってる。ディアナ、また会えるよな」 「もちろん! 手紙書くし、落ち着いたら遊びにも来るから」  ディアナが父親と暮らし始める場所は、海の近くでここからかなり遠い所にらしい。 「オレも、いっぱい手紙書くな」 「うん」 「これからも、オレたち友達だよな」 「何いってるの、当たり前だよ」 「また遊ぼうな」 「うん、ふわ菓子買ってくるね」 「全員分な」 「そんなに買えないってば」  ぎゅっと頬を抓られ、小さな痛みを受け入れる。ディアナがやっと本当の笑顔を見せてくれた。えくぼが可愛らしい、いつものディアナの笑みだ。 「あ、あとな! ディアナ、ミサンガがさ」 「え?」  ディアナに手首を見せる。 「あれ? ミサンガは」 「千切れたんだ」 「え」  顔を上げたディアナに笑ってみせる。 「ディアナがくれたミサンガさ、オレのこと守ってくれたんだ」  あれがなければ、トイはきっとあそこから落ちていた。  生きることを、選べなかった。 「ありがとうな。ディアナのお陰でオレ、前に進めたんだ」  ディアナの茶色い前髪が、風にさらりと揺れた。光が差し込んで綺麗だ。やっぱりディアナの微笑みは温かな木漏れ日のようだ。  引き寄せられるようにこつんと額を重ね合わせ、互いの手をしっかり握りしめた。 「……ミサンガが切れたら、願いは叶うのよ。トイの願い事は、叶った?」  ソンリェンよりは色素が薄く、宝石のようにキラキラと輝くディアナの青い瞳に向かって、トイは満面の笑みで頷いた。 「──おう!」  **** 「トイ、お迎えにあがりました」 「あれ? ソンリェン、仕事は」  ディアナをみんなで見送ってから外に出るとそこには車が停められていた。  あと数日ばかりソンリェンの屋敷で療養することになっていたのでハイデンが迎えに来てくれることはわかっていたのだが、車の中にソンリェンの姿があって驚いた。  まだ昼間だ、ソンリェンは仕事に忙殺されている時間帯だろうに。 「……自分も迎えに来ると言ってきかないので」  ぼそりとトイにだけ聞こえるようにハイデンに耳打ちされる。 「おい、喋ってないでさっさと乗れ」  不機嫌丸出しのソンリェンに顎でしゃくられたので、ハイデンと目を合わせてから含み笑い、そっと車に乗り込んだ。 「ソンリェン」 「ああ」 「ディアナと、ちゃんとお別れしてきたよ」 「ふん、頬にキスでもかましたか」 「……してないってば」  ふん、とつまらなさそうな顔で足を組み直したソンリェンに呆れる。どうしてこの人は素直にそうか、とかよかったな、とか言えないのだろうか。  1週間前に、あのバルコニーでトイに熱烈な告白をかましてきた男と同一人物だとはとても思えない。  けれども、トイが椅子に座っても痛くならないように、柔らかなタオルを敷き直してくれる辺りソンリェンも成長はしているのだと思う。  8つも年上の青年に成長してるだなんて失礼なことを考えてしまった自分に、トイは内心で苦笑した。 「ソンリェンあのさ、今から時間ある?」 「……あ?」  ソンリェンの鋭い言い返しは彼の癖なのだ。深く線の刻まれた眉間に、もう恐ろしさは感じない。 「連れてって貰いたい場所、あるんだ」

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