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~プロローグ (2)~

Linksは去年、紅葉が20才の誕生日を迎えた約2ヶ月後の去年1月に無事にメジャーデビューをした。 デビューが決まって、まず最初に行ったのが光輝とみなの結婚式で…光輝の執念に苦笑しつつ、メンバーとカナ、ごく親しい友人たちに囲まれて2人は小さな式を挙げた。 翌日からはもう一気に…ものすごく忙しくなり、関わるスタッフの人数も仕事の量も幅も桁違いに増えていった。 元よりバンド活動の全てをセルフプロデュースしていたLinksには慣れないことも多く、リリースやツアーの業績は順調だったが、慣れないことの連続と過密スケジュールにストレスを抱えることが増えた。 一番体力のある凪ですらこれはヤバイと思える忙しさで… 特にリーダーでギターの光輝は全てを把握していないと気が済まない真面目な性格で、多忙に加えてメンバーや昔からのスタッフとメジャーレーベルとの板挟みになり胃薬が欠かせなくなっていたし、 リードギターで大学院生の誠一も多忙過ぎて全く家に帰れず大学の近くに学生用のアパートを新たに借りて寝泊まりしているうちに栄養失調で倒れるし、 紅葉も無理をして喘息の発作を起こして数日間入院したり…、その知らせを受けた凪の両親は大パニックを起こして新幹線で駆け付けるし…(これも後日詳しく話そう…) 過酷スケジュールでのLIVEが続き、ついにはみなもステージ後に過呼吸になった。 もともと期間限定(半年間、リリース3本)のお試し契約だったが、リーダーの光輝がついにストップをかけて、彼の右腕である誠一も違約金が発生してもいいからインディーズに戻らせてくれと交渉した。 リリースはこなして、先方は契約更新を粘ってきたが、Linksを守るために光輝は頭を下げ続けてくれた。 幸いだったのは、メンバーの絆はもちろん、凪と紅葉の恋人関係も光輝とみなの夫婦関係も変わらなかったこと。 そして自主レーベルをそのまま残していたこと。 何よりもカナを始め、メンバーが信頼しているスタッフがすぐに力を貸してくれたこと。 多くの人に恵まれてLinksは夏から再始動を始めた。 のだが、実は今は活動休止中。 後処理や事務的な手続きがゴタゴタしていることや、紅葉の実習が始まったことも理由の1つだが、一番はみなの妊娠が分かったからだ。 これから再始動なのに…と彼女は気にしていたが、光輝がずっと子どもを望んでいたことをみんな知っていたし、この時期だからこそ、授かった赤ちゃんはLinksみんなの希望だと体調の悪い彼女を休ませることに全員異論はなかった。 この件はまた詳しく話すとして… 活動休止中でも凪は多忙である。 それは…この春からLiT Jのドラムを兼務することになったからだ。 翔が3月をもってLiT J脱退(卒業)し、凪がそのあとを引き継いだ。 LinksからのLiT Jへの移籍ではなく、兼務というとても珍しいスタイルだ。 Linksの方が多忙でしかもゴタゴタしていて、打ち合わせや音合わせ以外、なかなかLiT Jの活動に参加出来ていなかったのだが、インディーズに戻るタイミングでLIVE参加をスタートさせて、活動休止を受けて新曲作りにも本格的に加わるようになった。 因みに凪が兼務することになり、ずっと自主でやっていたLiT JもLinksの事務所に所属することになったのだ。 社長である光輝は先輩を使うことにまだ慣れていないが、仕事となればガンガン指示を出していくのできっとそのうち遠慮もなくなるだろう…。 因みに後輩のバンドも2組ほど所属することになり、その指導やプロデュースもLinksのメンバーが担っている。 そんなこんなで…元からLIVE活動がメインのLiT Jの仕事で忙しい凪と実習をこなす紅葉はすれ違いの生活ではあるが、お互いを想い合って支え合い、協力しながら日々を過ごしている。 他からみたら所帯染みただけかもしれないが、2人はこの日常が掛け替えのないものだと理解している。 時間を合わせて音合わせをしたり、愛犬の散歩をしたり、一緒にお風呂に入ったり…小さな幸せを大事にすることが未来に繋がっていくのだ。 「あいつ…また柔軟剤の量間違えてるな…(苦笑)」 シャワーを終えて、紅葉が洗濯してくれたお揃いの部屋着に袖を通した凪は思わずそう呟いた。 もちろん、こんなことで怒るわけではなく、その顔は幸せそうに緩んでいた。 End

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