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第33話(2月) (1)
いつもラブラブの凪と紅葉
公私共にパートナーである2人はバンド内恋愛での交際も3年を越えると、その絆を疑うようなことはないが
時には仕事上で意見がぶつかり合ったり、プライベートでも他愛のない喧嘩をすることもある。
だいたいいつもすぐに仲直りするのだが、多忙の中で疲れやすれ違いが重なってそのタイミングを逃すことも…。
…この日も、学校のスケジュールが急に変わったのにバタバタしていて連絡が漏れてしまい、その結果かなり凪を待たせてしまった紅葉。
すぐに謝罪したのだが、疲れた様子の凪から「また? 勘弁して…」の一言に紅葉も張り詰めていた何かが崩れた。
このところ体調を崩しやすいユキに代わって隣に住む池波氏と妊娠中のイトコの通院と家事手伝いで、紅葉も自分で気付かないうちにいっぱいいっぱいになっていたらしい。
「僕だって一生懸命やってるんだよっ!
凪くんみたいに何でもスムーズに出来ないけど、でも…!」
「人の手伝いしたい気持ちも分かるけど、キャパオーバーになって、結果これじゃん?
許容範囲把握しないと…。
俺を待たせるだけならいーよ?
そのうち仕事に穴開けたらどーすんの?」
凪の冷静な指摘にカァっと顔が熱くなる紅葉。
「…あ、ヤベ。
もう次の仕事行かねーと…。
…紅葉も打ち合わせあるんだろ?
遅れるなよ?」
凪は口早くそう伝えると、行ってきますの挨拶もキスもなく出ていってしまった。
紅葉はシュン…と、落ち込みその場で膝を抱えた。
心配した愛犬たちが回りをくるくると歩き、顔を舐めてくれる。
「喧嘩、しちゃった…。」
やっぱり自分が悪かったのだと、謝りたいけど、池波とみなのことは放っておけないし、どうしたらいいのかと考えながら紅葉は学校へ来ていた。
ヴァイオリンのレッスンだったが、いつもとは違い、演奏はボロボロ…
教師も友人たちも怒る前に心配してくれた。
「音が泣いてるね。何かあったかい?」
初老の講師は優しくそう聞いてくれた。
「彼氏と喧嘩して…!
どーしよう…!嫌われちゃったかも…。」
彼氏という単語に驚きつつ、今にも泣き出しそうな紅葉を前に皆オロオロするばかりだった。
紅葉の音楽には凪という安定剤が不可欠らしい。
その後はなんとか気持ちを切り替えてLinksの事務所でスポンサー企業と打ち合わせを終えた。
電車で帰宅中の紅葉は、気分転換のために一杯だけドイツビールを飲んで帰ろうと思い立ち途中下車した。
「お腹すいたな…。
凪くん…ご飯どうするのかな…。
もしかしたら作ってくれてるかも…?」
それなら早く帰らないと…と、先ほど検索した店の近くまできた紅葉はふと足を止めた。
「あれ?
鞄がないっ!!
え? どーして?
どこやったっけ?」
落としたのかと焦る紅葉。
記憶を辿ると、多分事務所に置いたまま帰ってしまったのだと気付いて溜め息をついた。
「もー! 取りに行かなきゃ…!」
コートにスマホを入れ、ヴァイオリンだけ持って、鞄を置いてくるなんて信じられなかった。
よっぽど頭の中が凪のことでいっぱいだったようだ。
財布もないのでビールを飲むことも出来ない。店に入る前に気付いて良かったと紅葉は胸を撫で下ろした。
「あ、カナちゃんからLINEだ。
…良かった。やっぱり事務所に鞄あった!
えー、今から取りに戻ります…と。えっと、Suicaの残高まだあったかな?」
紅葉がスマホを操作しているとバッテリーの警告が出た。
「あ…、充電が…!
しかも残高55円…?
チャージしても電車降りるまで持つかな?」
悪いことがここまで重なるのかと疑いたくなるような状況だった。
1人で、財布なし、充電なし…
「どーしよ!
歩くしかない? 日本は親切な国だから…タクシー拾って事務所のとこで待っててもらってお財布持ってくれば大丈夫かな?」
しばらくの間必死に考える紅葉。
「よし!コンビニでポータブル充電器を探してPayPayで買おう!えっとコンビニは…」
スマホのMAPでコンビニを探す紅葉。
まさに現代っ子である。
どんどん充電が減り焦っていると、迷ってしまい柄の悪い男が2人近付いてきた。
「こんばんはー!
一人? 良かったら飲みに行かない?」
スマホに夢中だった紅葉は突然現れた男たちに驚きつつ、断りをいれた。
「え? あの…今ちょっと無理なんで…!」
「お友達と待ち合わせか何か?
じゃあその子が来るまで話そ?
で、友達も誘って一緒に飲もうよ。」
男たちは慣れた様子で言葉巧みに誘ってくる。
紅葉がやんわり断っても気にしていないようだ。
「えっと…!僕、今お金持ってなくて…!」
「そーなの? 大丈夫だよー!」
「ってか…あのバンドの子だよね?
何だっけ? …Links! だよね?」
「あー!そうだっ!
やっぱね。 どうりでキレイな子だと思った!」
「俺けっこう曲知ってるんだよ!
あ!カラオケ行こっ!」
「いーねっ!
せっかく会えたし、ちょっとだけ行こうよ!」
「え? あ…っ!ちょっと! 手…!痛い、です。」
以前ストーカー気質の男に絡まれた時には怖くて思わず置いて逃げてしまったヴァイオリン…
最愛の恋人である凪が取り返してくれた父親の形見を落とさないように胸に抱えた紅葉は、突然男たちに手を捕まれ、その強引さと力の強さに驚いた。
なんとか笑顔を作って「NO」を伝えるが、背後から押されるように密着され、怖くて固まる紅葉。
「いーじゃん。ちょっとくらい相手してよ?」
「そうだよ。いつもカレシとイイコトしてるんでしょ? まさかこんなとこにいるなんて思わなくてラッキー!」
「えっ?!」
紅葉は気付いていなかったようだが、実は道を間違えていて、ここの辺りはゲイの界隈では有名な地区らしい。
紅葉は一気に青ざめた。
「や、だ…っ! 離して…!」
怖くて心の中で何度も凪に助けを求めた。
そこへ…
「ちょっと! あなたたち何野蛮なことしてるのよ! 離しなさいよ!」
後ろから低めのオネェ声が聞こえて、振り返ると、紅葉を取り囲む男たちにタックルしてくれたようだ。
「痛ぇーな!」
「痛ぇーなじゃないわよ! まったく!
…遅くなってごめんなさいー!
買い忘れがあって!さあ、行きましょっ!」
「えっと…、あの…!」
見ず知らずのお姉さん(?)の言葉に困惑する紅葉。話を合わせるように言われて、とりあえず男たちと距離を取ることに成功した。
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