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第69話 (9月) (3)

それから… 凪と紅葉はLinksのスタジオ練習やミーティング以外…つまりプライベートではわりとすれ違いの多い生活になっていた。 凪はLiT Jのレコーディングも始まり、スタジオに籠っているし、Linksのスタジオには新しいドラムセットを入れたので、その調整にも忙しい…。 必然的にスタジオに隣接されているみなと光輝の家にも顔を出しているので、作業の合間に愛樹の面倒もみているようだ。 紅葉的には愛樹に会えて羨ましい気持ちと“僕にはあまり構うなと言ったのに…!”という気持ちが入り乱れて少しモヤモヤしていた。 紅葉の方はコンクールの練習が大詰めで気持ちに余裕がない…。 予選までもう日がないのになかなか思うように曲がまとまらないのだ。 父も大学時代に同じ課題曲に取り組んだことがあるそうで、当時を知る教授に話を聞いたが、実力の差に落ち込む結果になった…。 「巧くなったつもりでいたけど、お父さんと比べたらまだまだなんだなぁ…。 曲も同じ、ヴァイオリンも同じなのに…!」 そしてある朝… いろいろとモヤモヤした気持ちを晴らすように、そして忙しい凪に喜んでもらいたくて早起きした紅葉は少し豪勢なブランチを1人で頑張って作り、コーヒーメーカーをセットしていた。 間もなくバタバタと階段を駆け降りてくる凪。 「わぁータイミングバッチリ!」 しかし凪は珍しく既にジャケットと鞄を手にしている。 いつもは出掛ける前に部屋に取りに行くのに… 紅葉はもしかしてと思いつつ、明るく挨拶をした。 「おはよう、凪くん!」 「ごめん、紅葉! 一件人と会う約束できたから支度してすぐに出る。」 「えっ?! あ…そうなんだ…!」 内心やっぱりな、と残念に思いながらも出来上がった2人分のコーヒーを見つめた。 まぁ、コーヒーくらい飲む時間はあるかもしれない。 洗面所へ向かう凪はダイニングテーブルの料理を見るとさすがにバツが悪そうな顔をした。 「せっかく作ってくれたのにごめんな…。 帰ったら食べるから冷蔵庫入れておいて?」 どうやら本当にすぐ出掛けるようだ。 「でも…今夜は会食でしょ?」 スケジュールは共有していて、確かイベンターさんとの会食が入っていたはずだ。 紅葉が指摘すると、凪はしまった!という顔をした。 寝起きだからか、珍しく余裕がない感じがいつもの彼らしくなくて驚く紅葉。 「あ…! そうだった…! じゃあ明日の朝食べるし!」 「…いいよ、僕のお昼にする…。 時間大丈夫? 送って行く?」 「ギリ大丈夫。」 「気をつけてね。」 「紅葉も練習頑張れよ。 …今度埋め合わせするから…。」 おでこにキスを1つ落として出掛けていく凪。 その背中を見送りながら寂しさを感じる紅葉…。埋め合わせをするという約束もこれが初めてではない。 仕事のことは一番に理解しているつもりだが、紅葉だってこうして自分の時間を調整しているのだから朝ごはんくらいは一緒に食べたかった。 凪のことはもちろん大好きだが、小さな不満は積もる…。 「凪くんいないし…、ご飯食べたら愛樹ちゃんに会いに行っちゃおうっと! ずっとじゃなくて顔見るくらいならいいよねー。息抜き、息抜き! 平ちゃんと梅ちゃんも一緒に行くー?」 「「わんっ!」」 「よーし、たくさん食べるぞーっ!」 紅葉はアプリのレシピを見ながら作ったオムレツを頬張った。 「美味しいっ! 絶対出来立てが一番美味しいんだからっ!」 少し怒りながら2人分を平らげる紅葉だった…。 数日後… 「…今なんて言った?」 完全に不機嫌モードの凪を前に緊張する紅葉。何気ない会話をしていたはずなのにどうしてこうなってしまったのか…… 「……えっと、“愛樹ちゃんカワイイ”?」 話の流れで先日また会いに行ったことを自らバラしてしまった紅葉…。 しかし凪の怒りの内容はそこではないようだ。 「そのあと…」 「“僕も欲しくなっちゃうなぁ”?」 「うん。で? 俺“それはだいぶハードル高いよ?”って言ったよな?」 「うん。 日本は養子文化もまだまだだし、審査とかも厳しくて、同性カップルで認められるのは本当にほんの一握りなんだよね?」 「あぁ。 “僕は無理だけど、凪くんなら自分のこども望めるよね”って…さ。 何? 俺のタネで代理母さんに頼みたいってこと? …違うよな? 他所でこども作って来いってこと…だよな? お前それがどういうことか分かってる?? 女との浮気公認ってこと?」 「違…っ! ごめんなさい…! あの、そこまで考えてなくて…! つい…口から出てしまいました…!」 「……さすがに…それはさー。 いい加減にして?」 「っ! 凪くん…! ごめんなさいっ!」 「…ダメだ。 ごめん、このままだとスゲー酷いこと言いそうだからちょっと外出て頭冷やしてくる。」 「あ…っ!!」 夜遅くまで凪の帰りを待っていたが、ソファーで寝てしまった紅葉。 いつもなら凪は寝室に運んでくれるのだが、そのままソファーで目覚めた。 毛布だけかかっていて彼の優しさを感じたが、凪本人は寝室ではなく、客室のベッドで寝ていた。 飲んで帰ってきたようだが、まさか本当に浮気してたら…と思うと紅葉は胸が締め付けられるような思いになった。 翌朝、改めて謝罪し表面上は仲直り出来たが、謝るだけじゃ今回の溝は埋まらなくて、なんとなく凪と紅葉の間には距離が出来てしまった。

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