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第90話 (11月) (2)

2日後… 緊張した面持ちで“特別課題”とやらに挑みに行った紅葉。 この日凪は休みで、自宅でドラムの練習やPCでの仕事をしたあとはジムへ行き、筋トレとキックボクシングでみっちりと汗を流した。 それから食材や日用品の買い物をして、愛犬たちを散歩に連れ出し、少し手の込んだ夕食を作り紅葉の帰りを待っていた。 まさか帰宅した紅葉が号泣していて驚くを通り越してテンパることになるとは思っていなかったが……! 「な、何っ?! どーした?」 「えっ、ぐ、うぇーんっ!!」 子どものようにわんわん泣く紅葉を前に凪は玄関で固まった。 平九郎と梅も心配そうに駆け寄る。 よほど特別課題の出来が悪かったのかと悟った凪は、一先ず紅葉を落ち着かせようと抱き締めて震える背中を撫でた。 ブランド物のシャツが涙と鼻水で濡れていくが、気にしている場合ではなかった。 今日の日の為に紅葉が努力してきたことは分かっていたし、この課題をクリア出来たらどうしても出場したいと言っていた学生生活最後のコンクールにも出られることになっていたので相当プレッシャーもあったのだろう… 直近のコンクールでは体調不良で途中棄権した紅葉…。 特別課題の成績が振るわずコンクールに出られないのか、単位を貰えなくて留年なのか、詳しいことはよく分からないがとにかく「大丈夫だから…」と伝え続けた。 紅葉をソファーに座らせて、手を握り、ずっと寄り添う凪。 平九郎と梅が紅葉の手や顔を舐めて慰めている。 しばらくしてしゃくり上げながらもなんとか落ち着いた紅葉…。 凪が水を飲ませると紅葉は数口飲み込み、大きく深呼吸した。 「急に泣いてごめんね…!」 「…誰かに何かされたとか、怪我したとかじゃないよな?」 「違うよ…。 あの、課題が…! これ……!」 紅葉が差し出したのは1枚のDVDだった。 「何? 課題曲?」 「…お父さんとお母さん…!」 「…?」 父親と母親の生前の映像だと紅葉は告げた。 「先生が…! 今度退職されるんだけど…、お家で資料の整理してたら出てきたって。 2人の…、練習してるとこ…!」 「スゴいな…! 見つかって良かったな!」 凪の言葉にうんうんと頷く紅葉。 「…“両親と向き合いなさい”って。 …それが課題って言われて…! 映像見てね、涙が止まらなくてよく見えなかったんだけど…! でも…すごくて。 2人とも…! 巧くて、優しくて…! 2人だけの世界だった。 …それから、お母さんがその時に使ったチェロも…すごく高い楽器なんだけど…、どうやってか借りてきてくれて、見せてくれて…! チェロを見てたらお母さんのこといろいろ想い出して……!」 たどたどしくも説明してくれる紅葉に凪は手を握って話を聞き続けた。 「ずっと…一日中…レッスン室で映像見ながら…お母さんがコンクールで使ったチェロと、僕のこの…お父さんのヴァイオリンを眺めてた…。」 「そっか…。」 若き日の両親を見た紅葉は2人に会いたくて、寂しくて堪らなくなってしまったらしい。 凪は優しく紅葉の髪を撫でた。 「向き合うって…難しいけど、でも…俺もさ…」 と、亡くなった父親の話をしてくれた。 凪の話を聞きながら紅葉は少しずつ気持ちが落ち着いてきた。 それから、2人で紅葉の両親の演奏映像を見た。 そこには唯一無二の世界観が広がっていて、演奏技術や相性だけでなく、優しい愛が音楽から溢れていた。 「すごい…。 素敵な2人だな。 これは…うん、結婚するよ…(笑) 楽器は違うけど…… 俺たちも2人みたいになれるといいな?」 「…! うん…っ!」 凪のこの言葉が紅葉の中で前へ進むエネルギーへと変わった。 いろいろあって泣き過ぎたせいか、珍しく少食だった紅葉。 凪お手製の炊き込みご飯も「すごく美味しいし、お腹は空いてるのに…胸がいっぱいで入らない…」と謝罪した。 凪は「明日でも食べれるから気にするな。」と今日はゆっくり休むように言ったのだが、紅葉は夕食後、防音部屋に籠って練習を続けた。 驚くことに2時間、3時間経ち…深夜になっても練習は終わらなかった。 凪は少し心配になったが紅葉にとっては今でないとダメなのかもしれないと、無理だけはしないように伝えるとより集中出来るように先に寝室へ向かった。 大丈夫、躓いても紅葉は必ず立ち上がる。 必ず何かを得て。 きっとまた巧くなる、と凪は信じていた。 寝室で音楽を聴いたり、友人とLINEをしたり適当に時間を潰していた凪… 本を読んでいるうちにウトウトしてしまい…ちょうどその時、紅葉が寝室に入ってきた。 眠りかけで恋人を抱き寄せた凪は、お風呂上がりでまだ少し湿っている紅葉の髪を撫でた。 「おいで…。 ちゃんと布団かけないと風邪ひくぞ。」 「うん…。」 「納得出来るとこまで練習出来た? 疲れただろ?」 そう言うと酷使されただろう紅葉の手、特に左手を丁寧にマッサージする凪…。 彼の優しさに手も心も癒されて紅葉は目蓋を閉じた。 「うん…何かを掴めそう…。」 「そっか。 …もう寝な? おやすみ、紅葉…。」 「…おやすみなさい…。」

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