83 / 226
第91話 (11月) (3)
翌日…
疲れたのか、昼過ぎまで寝ていた紅葉は凪が仕事へ向かう直前に起きてきた。
バタバタと慌てて階段を駆け降りてくる紅葉。
「はよ。
どーした? そんなに慌てて(笑)
メシは置いてあるから…ちゃんと食べろよ?」
「おはよう!
ありがとう…!
あとすっごくごめんねっ!!」
「ん?
何、起きて早々…忙しいやつだな…(苦笑)」
凪は必死な様子の恋人を前に笑うと紅葉の頭をポン…っと撫でた。
顔色は良さそうで安心する。
思いっきり泣いたのが良かったのかもしれない。
「あの、昨夜…約束してたのに…!
その……!」
恋人らしい、キス以上のコトをしようと言われていたのにすっかり抜けてしまっていた紅葉。
「あー…(苦笑)
別にいいよ。紅葉、昨日はいろいろあったし。
数日…数週間……?
数ヶ月…伸びるのは、ちょっとキツイけど…(苦笑)
まぁ、それでも浮気とかねーし。
そーいえば、葵は3ヶ月禁欲するって言ってたな…ユキの手術あるから…。
俺だって紅葉の気持ちがちゃんと自分に向いてくれてればそんくらい待てるよ。」
「っ!!」
凪の優しさと愛情に紅葉は思わず彼に抱き着いた。
「…大好き…っ!!」
「俺も好きだよ。
紅葉、…頑張れよ。
コンクール…どうしても出たいんだろ?」
「うん…っ!
絶対、カッコいいとこ見せたいから…!」
両親に、だろうか。
今まで芸術性を求めることはあってもあまり競争心のなかった紅葉の決意は固かった。
イトコのみなには話したのだが、
紅葉は最後の舞台で一番になりたいのだ。
理由は…凪からプロポーズを受けて、彼と共に未来を歩む上で凪にとっても自分にとっても、そして家族にとっても、恥じることのない存在でありたいから。
作曲家や自分のためにだけでなく、心から相手を想うと音楽は無限の力を魅せる…。
両親の映像を見てそう学んだ紅葉は大切な人を想い、自分の音楽に乗せる大切さを改めて実感している。
まだまだコンクールの日まで練習が必要だけど……必ず形にしてみせると決心していた。
腕の中の恋人に顔を寄せた凪はフッと笑った。
「寝癖はヤバいけど、いい顔してんね。」
「ふふ…。そうかな?
たくさん寝たから…!
マッサージしてくれたから手も大丈夫だよ!」
「そっか。
じゃあ俺も頑張ってくるかなー。」
「うん…!
行ってらっしゃい!」
優しいキスを交わして、笑顔で凪を見送った。
2週間後…
紅葉のレッスン室に現れたのは特別課題を出した教授だった。
「とてもいい音になりましたね。
…2人の愛はしっかりと君に受け継がれていますよ。」
そう言って差し出してくれたのはコンクールへの推薦状だった。
まさか推薦状を貰えるとは思っていなかったし、特別課題の内容は個人で違うので、こんな結末になるとは全く知らなかった紅葉はすごく驚いた。
恐る恐る差し出された紙を手にする。
「彼女…君のお母さんが君とお兄さんを身籠って大学を辞めると聞いた時、私は反対しました。
とても才能のある生徒でしたし、彼女の家柄的にも…2人の結婚は許されるものではないと分かっていました。」
母の実家は旧家でとても厳しかったのだとは聞いていた。みなの話では大学を卒業後は家が決めた相手と結婚するのが当たり前だったそうだ。
「私なら家出する。
母たちと同じだね。」
彼女はそう言って笑っていた。
教授は話を続けた。
「…もちろんお父さんもとても優秀でしたよ。澄んだ音色を奏でるヴァイオリニストでした。
でも性格が優しすぎて競争心や野心というものがなかった。」
「僕と同じ……?」
「そうですね。
よく似ています。
でも君は…少し掴めてきたようですね。」
「…えっと…多分…。」
「まだ日はあります。頑張りなさい。
…それと…!
お母さんは私の忠告を聞いても迷いませんでしたよ。
“自分の持つ何を失っても、この子たちを諦める理由にはなりません”
笑顔でそう告げる彼女を今でも思い出します。」
母の愛に涙が溢れる紅葉。
幼き日の僅かな記憶の中でもとても愛されていたことは覚えている。
教授はこれを君に…と、葉書を差し出した。
「若い2人に渡航費用を少しばかり援助しました。落ち着いた頃手紙が届き、その後、我が家に届いた年賀状です。
毎年欠かさず…5年間…。」
5年で途切れたのは両親が亡くなったからだ。
一年毎に成長していく自分と珊瑚。
それを囲む両親、祖父母…
「とても幸せそうな2人と楽団の仕事を得たという報告に私もホッとしていたところでした。
本当に残念で…!
…でも今は君がこの大学で学んでいて私が教えている…。
これも縁ですね。」
紅葉は教授にたくさんのお礼を伝えて、珊瑚や家族の写真を見せたり、いろいろな思い出話をした。
教授はにこやかに微笑みながら話を聞いてくれた。
「年内で退職しますが、コンクールには顔を出します。期待していますよ。」
「はい。」
しっかりと握手を交わした。
ともだちにシェアしよう!