93 / 212

第101話 (2月) (1)

2月上旬 順調にコンクールの予選を進んだ紅葉はこの日、本選を迎えた。 凪にはタキシードを、イトコ夫婦(みなと光輝)には革靴を、誠一からは靴下とチーフをプレゼントしてもらい、伝統あるホールのステージに向かう。 もちろん、凪から貰った大事な指輪はチェーンに通して身に付けている。 紅葉は指輪を服の上からぎゅっと握り締めて呟いた。 「大丈夫…、1人じゃない…!」 大切な人たちを脳裏に浮かべながら出番を待った。 この1ヶ月、Linksのメンバーにはコンクールの練習や予選を優先するために仕事面でもかなり手助けしてもらった。 みんなそれぞれ忙しいのに、体調を気遣ってくれたり、スケジュールが合えば練習場所まで送迎をしてくれたり…「今日の練習キツかったー!」と話を聞いて貰えるだけでも有り難かった。 愛犬の平九郎と梅の存在も大きい。 疲れて寝に帰るだけの日々で、次第に高まる緊張感に押し潰されそうになっても彼らが癒してくれたから笑顔を忘れずにいられた。 みなは本選が決まってからピアノの伴奏を弾いて何時間も練習に付き合ってくれた。 もちろん、凪のサポートは計り知れない。 練習に没頭する余りあまり記憶にないのだが、身の回りの世話を全てしてくれていたと思う。 凪自身が仕事でいない日も、美味しいご飯を毎日用意してくれていた。 『ちゃんと温めてから食べろよ』とか『おかわりは冷蔵庫にあるから』とかちょっと落ち込んでいると『これ食べたら元気出る!』など…手書きの一言メモまでつけてくれていて本当に嬉しかったのだ。 紅葉はその全てをスケッチブックにファイルして持ち歩いている。 亡くなった両親の写真と、年始に凪の実家で撮ってもらった家族写真も一緒だ。 名前が呼ばれた。 紅葉はスケッチブックを一撫でして胸に抱き締めると椅子に置いて、ヴァイオリンを手にステージに歩き出した。 「紅葉ー! “笑顔”な?」 家を出る前に凪に言われた“笑顔”を意識してお辞儀をする。 会場には凪の両親も、池波氏とユキも来てくれているはずだ。 凪は仕事が終わり次第駆け付けてくれると言っていた。どこにいても…きっとこの音楽が届くはずだと信じている。 「紅葉の笑顔が好きだ」と言ってくれたから…笑顔で奏でようと決めていた。 大切な人を想い、一音一音に気持ちを込めて奏でる。 出だしは優雅な優しい旋律で凪の両親や池波氏、ユキや大学の友達たちの顔、次にドイツの家族の顔が浮かんだ。 それからファンのみんなの笑顔も。 紅葉は自然に笑顔で弾いていた。 次第に変化していく曲。 難易度の高いフレーズを弾きながら、紅葉はふと、自分の音楽で何を一番に伝えたいのかと考えていた。 …頭に浮かんだのは両親の顔だった。 “もう僕は大丈夫だよ。 今、とっても幸せだよ。” もし、もう一度逢えたのならそう伝えたい…そんな想いで弦を引く…。 遠い記憶の中にある2人の笑顔が見えた気がした。彼らの後ろには祖母も微笑んでいる。 魂を込めた紅葉の演奏はクライマックスを迎える。 力強い旋律は未来への決意の現れで、Linksのメンバーの顔が浮かんだ。 この5人なら…1人では出来ない世界を創っていける。そう確信している。 超絶技巧が続き一瞬、指が縺れそうになり、身体もふらつく紅葉… そんな自分を後ろから優しく支えてくれたのは凪だった。 いつもすぐ近くで紅葉を支えてくれる最愛の人だ…。 “落ち着いて。 大丈夫。 フォローするから” LIVEでミスをして焦っている紅葉に、いつも練習中はすごく厳しいのに、こういう時はすごく優しい目でそう言ってくれるのだ。 安心して、頷くと前を向く紅葉。 “大丈夫…!” 彼に出逢わなければ、バンドをやることもなかったし、こんなにもヴァイオリンと向き合うこともないったのだろう… 感謝と愛を胸に全身全霊でヴァイオリンを奏でる。 “やりきれた…っ!” 心からそう想えた紅葉は笑顔で演奏を終えた。 力を出しきったせいか左手のヴァイオリンも右手の弦でさえもすごく重く感じる。 額に汗をかいていることに気付き驚く紅葉。 お辞儀をして顔を上げるとステージの照明が暑くて眩しいのだとようやく実感した。 次に耳にしたのが大きな拍手だった。 なかなか鳴り止まずに驚く紅葉。 「え…?」 集中し過ぎていて何も聞こえていなかったようだ。 あわあわしつつ、もう一度お辞儀をしてステージから下がった。 「すごかったね!」 「めちゃくちゃ良かったよ!」 声をかけてくれる他の出演者にお礼を言いつつ、紅葉は倒れ込むように椅子に座った。 「震えてる…っ!」 膝も肩も全身が震えていた。 「よく頑張りましたね。 素晴らしかったですよ。」 「先生…っ!」 恩師の労いに小さく頷くと涙を溜めてハグを交わした。

ともだちにシェアしよう!