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第119話(6月②)(1)

『○○駅東口の大きな本屋さんだよ。』 凪にLINEを送った紅葉はスマホをしまうと本棚へと視線を戻した。 梅雨の合間の晴れの日、オフの紅葉は書店を訪れていた。 外は蒸し暑いが店内は適度な冷房で過ごしやすく、平日の夕方でも割りとお客さんが入っているようだ。 紅葉が選んでいるのは絵本や児童書、こども向けのドリルだ。幼児音楽の仕事用とドイツの弟妹たちへ送る分も選んでいるので本を抱える腕がだんだん重くなってきた。 「あ…! この本も面白そう! んー、ふりがなあるけど内容難しいかなー? わぁ…、こっちは絵が繊細! 何これー、すっごいキレイー! どうしよう、僕が欲しい…(苦笑)」 何でもネットで買える時代だが、こうした発見はやはり本屋ならではだし、贈る相手を想いながら選ぶ作業は好きなので紅葉もわくわくしながら次々と本を手に取る。 「あとでレニちゃんに頼まれたやつも探さないと…!」 医学部を目指している妹に頼まれたおまけがメインのような女性誌も忘れないようにとスマホにメモをした。 ついでにLINEの通知が出ていたので確認しようとしていると… 「あ…、すみません…。」 どうも先ほどから他のお客さんの邪魔になっていたようで、時折肩や手がぶつかっていた。 左手に抱えた絵本の山を胸元に寄せながら軽く謝罪するとそっと場所を空ける紅葉。 そのままスマホ画面を見ていると、上質な香水の匂いと背後に気配を感じ、ゆっくりと頭を上げた。 「…?」 「…俺の連れに何か?」 低めの落ち着いた声が聞こえたのと同時に逞しい腕の中に囲われて驚く紅葉。 「っ!」 顔は見えなくてもすぐにわかった。 状況に関わらずつい彼の匂いを嗅いでしまうのは紅葉の癖だ。 「あ…っ! いえ……!」 紅葉の隣にいた男はあたふたしている。 「……、近いんだけど?」 「ひ…っ!すみませんっ、!」 その一言で男は逃げるように書店を出ていった。 「…? 凪くんっ! どーしたの? 早かったね!」 「どーしたじゃねーよ…。 頼むから少しは見られてる意識持とう…?」 「えっ?見られてるのは凪くんだよ? はぁ…、こんな角度から見てもカッコいいね…っ!」 真上に凪を見上げながらそんなことを呟く紅葉。大好き、という視線を真っ直ぐに凪に向けている。 「……。」 何の変装もなしに都会の書店をうろつく紅葉はトップミュージシャンとしては無防備過ぎる。 凪は自分のキャップをパートナーのキレイな髪色に被せると、彼の腕にある本を受け取った。 「へへ…!ありがとうー! ついでにあの本を取って欲しいよー!」 「…これ?」 背の高い凪に上段にあった本を取ってもらい、ご機嫌の紅葉。 「うん! あと雑誌で終わりだよー。」 「…まだ買うの?…重いって(笑) 車じゃねーのに…」 「あ、そっかー…。 大丈夫!雨降ってないし!僕持てるから!」 凪から本を受け取ろうとする紅葉。 「いーから。 ほら、早く選んで。 店、予約してるよ。」 「えっ?ほんと? どこー?」 「…いつもんとこ。 試作品の試食して欲しいから早く来いって。」 「!わーいっ!」 馴染みのドイツ料理店だと悟った紅葉は更にご機嫌だ。 凪もあの店の味は気に入っていて、久しぶりにドイツビールやワインも飲みたくなり珍しく車を置いての外出だ。 本当は新婚旅行で紅葉の実家に帰省したかったのだが、全然スケジュールの都合がつかないのだ。連休もないし、2つのバンドを掛け持つ凪は丸1日休みの日もほとんどない…。 寂しがる紅葉を見てせめて代わりにと家族への贈り物を提案してくれた凪。 服や靴、本や文房具、お菓子を贈る予定だ。

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