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第216話(3月)(10)

そんな2人を見て、めぐみは鞄から出した物を紅葉に差し出した。 「……これ……、歩夢の楽譜…! ちょっと汚れちゃってるけど、中は無事だから…」 差し出されたファイルを受け取る紅葉。 少し歪んでいて、土や血を拭き取った痕の残るファイルは事故の悲惨さを感じた。 でも綺麗にファイリングされた楽譜にはたくさんの書き込みがされていて、几帳面で真面目な彼の性格がよく分かる楽譜だった。 「歩夢くんの字だ…っ!」 楽譜の中に確かに彼の音楽があったのだ。 彼の生きた証に触れ、紅葉はまた胸が苦しくなった。 「私のスマホに歩夢の練習してる動画も残ってる…。行こう…っ!」 「うん…っ!」 「あ…っ!」 「……俺が責任持って送りますんで…。」 まだ戸惑っている歩夢の両親に凪はそう告げて頭を下げると2人を追い、練習スタジオまで送り届けた。 それから3日… 紅葉は朝から晩までスタジオに籠ってヴァイオリンを引き続けた。 自身のヴァイオリンとの違いに戸惑った2日間…同じヴァイオリンなのにこうも違うものかと苦しみながらもなんとかコツを掴み乗り切ると今日はもう完全に歩夢のヴァイオリン弾きこなし、音楽の世界に入り込んでいる紅葉。 今朝、葬儀の前に凪と共にお線香をあげさせてもらった。有名人がいると騒がれたり彼の家族に迷惑をかけたくなかったし、正直…まだ彼の死と向き合う勇気がもてなかったのだ。 紅葉は力なく準備中の祭壇を見つめていた。 凪は早苗がこっそりと用意してくれた御霊前を渡し、歩夢の家族にオーディションを受けられることになったと報告をし、後日ヴァイオリンの返却と挨拶に伺うと約束した。 そのままスタジオではなく、凪の実家へと戻ると、紅葉は広い裏庭へ出てヴァイオリンを奏で続けている。 まだ気温の低い3月…指先がかじかんでくるがどうしても空を見上げていたかった。 荼毘にふされる友を偲びながら奏でる精一杯のレクイエム……きっと歩夢にも届いているはずだ…。 心身共に紅葉のサポートをしていた凪も東京での仕事のためどうしても側を離れなければいけなくなった。 心配だが、家族に紅葉を託す。 「悪いけど頼むね…。 何回も言うけど…今の紅葉、ヴァイオリン弾く以外出来ないから。あー…別人っていうか…生まれたての仔犬だと思って? 最低限の世話として飯食わせて、水飲ませて、5時間は寝かせて欲しい。」 一心不乱にヴァイオリンに向き合う紅葉を目の当たりにして、少し戸惑う早苗たちだったが、「これが紅葉の本気だ。」と凪が告げると納得し、精一杯のサポートを約束してくれた。 「分かったわ。 スタジオにはお父さんか義くんが送り迎えするし、大丈夫…、なるべく誰かが見守るようにして…夜も紅葉くんと一緒に寝るから!」 「……いやそれは…、あー、うん…。 …平九郎、梅…、頼むな?」 少し過保護なのは血筋なのだろうか…。 愛犬たちを紅葉の側に残し、凪は時間ギリギリで新幹線へ乗り込み仕事へと向かった。 「凪ぃ……っ!」 クゥン… 愛犬の散歩中…ふと凪がいない寂しさと、歩夢を思い出し悲しい気持ちが溢れた紅葉…立ち止まり平九郎と梅を抱き締める。 思っていた以上にメンタルがボロボロで、オーディションのプレッシャーにもやられてあるようだ。 「…あったかい…!」 溢れる涙を舐めてくれる優しい愛犬にほんの少しだけ笑うことが出来た。 家に戻ると小麦と仔犬たちが転びながら走ってきて出迎えてくれたし、 義は「ずっとヴァイオリン弾いて肩とか腕が疲れたでしょう?温泉入っておいで。温まるよー!」と貸し切り風呂を用意してくれる。 正はあまり食欲がない紅葉のためにフルーツやジュース、アイスなど紅葉が好きな物をたくさん用意してくれる。食べたい時にすぐ摘まめるようにと個包装のお菓子もいろんな場所に置いてくれた。 そして早苗は練習スタジオへ籠る紅葉のためにお弁当を作ってくれている。 「今日の卵焼きはハート型を作ってみたのよ。」 明るく話す彼女は、本当に気遣いの人だ。 眠れない紅葉の隣へくると「もうすぐおばあさまの命日ね…」と、祖母のために生けた花を見せてくれた。 そういえば…毎年母の日に紅葉が送っているカーネーションもお礼のメッセージと共に「紅葉くんのお母さんの分!」と綺麗に花を分けてアレンジメントした写真を送ってくれる…。 家族の優しさと深い愛情に紅葉の心はあたたかな気持ちを取り戻していた。 「…ごめんなさい。 みんな、大切な人を亡くしてるのに…! 僕がこんな風に落ち込んでたら思い出しちゃうよね…。」 忙しくてみんなが揃うのは朝食時くらいだ。 紅葉は手を止めると思いきって謝罪した。 「…謝らなくていいのよ。」 「俺たちは大丈夫だからそんな風に気にしないで!」 「紅葉くんは一人じゃないからね。」 「…っ! うん…!」 みんなの言葉に頷き、再び前を向いた紅葉は落ち着きを取り戻し、ヴァイオリンに集中することが出来た。

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