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第217話(3月)(11)

「ふぅ…。 さむー…。 あ……!そっか、…もう閉店時間…?」 オーディション前夜、練習を終えた紅葉は、先日歩夢と出会ったあのたこ焼き屋の前を通りかかった。 出来立てのたこ焼きを頬張り、屈託のない笑顔で笑う彼を今でも鮮明に覚えている。 叶うならあの時に戻りたいと何度願ったことか…。 「…頑張る、からね…!」 友に誓い、歩き出す紅葉。 明日は朝が早いので利便性の良い街のホテルに泊まることにしたのだ。 「夜ご飯どーしよう…。 お腹すいたけど…一人だし…。 ルームサービスでいっか…。 うー…、眠れるかなぁ…。」 幼い頃からたくさんの兄弟に囲まれて育った紅葉。実は一人が家にいることが苦手だ。 日本の音大へ通うと決めて、付属の高校へ留学する時も寮に入るつもりだったが、留学生は一人部屋だと聞いて入寮を諦めたくらいだ。(その後、従姉妹のみなに泣きついて同居させてもらった。) 庶民派の紅葉はルームサービスは値段をみてからだなぁと考えながら歩き、凪が予約してくれたホテルに着くと、チェックイン時に荷物を渡された。 早苗が夜ご飯のお弁当と明日のためにジャケットを含めた服を用意してくれたようだ。 部屋に入り確かめると… 「しっかり食べてゆっくり休んでね。」と、手紙と共に義がわざわざ買ってきてくれたというお守りも入っていた。 義父の正からはリラックス出来るようにと大量のわんこたちの写真と動画。 「もう…、おとーさん送り過ぎ!(笑) 義くんも忙しいのに…買いに行ってくれたんだ…。 わぁ…お弁当…こんなに…?! 食べきれるかなぁ…。」 紅葉は既に胸がいっぱいで思わずそう呟いた。 オーディションの課題曲の練習は…多分もう大丈夫。落ち着いて弾ける自信もある。 あと足りないのは… 「なぎ……っ!」 どうしても寂しくて思わず名前を呼んだ。 その時… 紅葉のスマホが震えた。 「…?電話? あ…っ! もしもしっ!凪っ?」 慌てて通話をスライドする紅葉。 偶然にも相手は凪だった。 『良かった。まだ起きてた?』 「うん。 凪は…外?まだお仕事?」 電話越しに街の音が混じるのが聞こえ、紅葉はそう尋ねた。 『いや、終わって… 待って、今着く。』 「…?お家着くとこ?歩きなの? まだ起きてるから掛け直すよ…!」 車は実家に置いたままなのでその可能性もあるかと、歩きスマホは危ないと紅葉は凪を気遣った。 しかし… コンコン… と、このタイミングでノックが鳴ったのはホテルの部屋のドアだった。 「え…っ?!うそっ?!」 まさかと思ってスマホを耳に当てたままドアまで走る紅葉。 冷静に、ロックをかけたままドアを少し開けて確かめた。 「なぎ…っ!」 「お、偉い。ちゃんとロックしてるな。」 電話の音声と目の前の声がリンクした。 「っ!待ってね!」 一度ドアを閉めてロックを外し、すぐに開けた紅葉は凪に抱き付いた。 「…ただいま。」 「っ!お帰りなさい…っ! どーして?」 「新幹線、最終間に合ったから…」 それでは凪はほとんど休めていないだろう。 心配だったが、紅葉は嬉しくて何度も凪を抱き締めた。 泣きそうになるのを堪えながら逢いたかったと全身で伝える。 「もぉ…!ビックリした! 連絡してよー!」 「帰れるか微妙だったからさ。 ツインとっておいて良かった(笑) …ん。元気そうだな。 あー、…腹減った…。なんかある?」

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