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第24話

 篤郎にとって、日下は天敵ともいえる相手だ。初めて会ったときから、猫が苦手な相手に対して逆毛を立てるように、篤郎はあの男を警戒していた。もちろん日下が何も悪くないことはわかっている。単なる篤郎の一方的な八つ当たりだ。それでも、あの男は一度も篤郎を責めない。それどころかそんな篤郎に対して、気遣いさえ見せるありさまだ。  さすがに源の恩師の前で、知り合いと思われる相手の悪口を言うのは躊躇われた。けれど、苦手じゃないとも言えない。なんて答えようか篤郎が考えていると、コーヒーでも飲みませんかと喫茶スペースに誘われた。 「きみ、私にはコーヒーを。彼にはーー」  門倉は若い男のスタッフに声をかけると、篤郎の好みを訊ねた。ここはウィンナーコーヒーがお勧めだよと言われ、篤郎は頷く。  ガラス張りの壁面で自然光を多く取り入れた喫茶スペースは明るかった。日下のことで何か苦言を言われるのかドキドキしている篤郎の前で、門倉はコーヒーにミルクを入れると、銀のティースプーンでぐるりとかき混ぜた。 「きょうは私の絵だけではなくて、いままでに関わりのある人たちの作品も多く展示しているのですよ。日高くんの絵もね、一点花園画廊さんからお借りしていましてね」 「えっ! マジで!? それってどの絵ですか?」  まさかきょうこの会場で源の絵が見られるとは思わなかった。花園画廊所有のものということは篤郎が知っている作品だろうか、それともまだ見ぬ新作だろうか。敬語も忘れ、素で食いついた篤郎に、門倉は目を丸くした。 「日高くんの絵が好きですか?」 「だって、源の絵、すごくないですか?」 「すごいってどんなところが?」  どんなところ?  問われて、篤郎は考える。  源のすごいところはたくさんある。まずは構図の力強さ。それから、色彩の美しさ、豊かさ。でもそれだけじゃない、源の絵のよさはもっと別のところにある。  初めて源の描いた絵を見たときの衝撃はいまでも忘れられない。源の絵は篤郎の心の一番深い場所を揺り動かし、するりと中に入ってしまった。  ーー日高源の絵は、他者を拒絶している。それは彼が愛を知らないからだろうね。もう少し彼が他人を受け入れるようになれば、彼の作品はもっとよくなるだろうに。  あるとき、テレビで源のアンチ批評家がしたり顔で話をしていたことがある。篤郎はそれを偶然目にしてしまった。  ーーでもまあ、母親があんなかたちで死んだら、他人を信じられなくなっても仕方ないか。心を壊して、無理心中を謀ったんだろう? 結局自分だけ死んじまって。それってさ、結局は子どもを捨てたってことだよな。  ーー長谷川先生、それ以上は……。 番組の司会者が慌てたように止めるのを、篤郎は怒りのあまり頭の血管が焼け切れそうになりながら眺めていた。

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