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第26話

 源が引っ越してきたばかりのとき、篤郎は八歳で、源の嫌いなガキだった。源は自分の後をついてまわる篤郎のことを疎ましく思うのを隠そうともしていなかったけれど、あるとき泣いている篤郎を黙らせようと、絵を描いてくれたことがある。それは、子どもが好むようなキャラクターなどの落書きではなく、庭に咲いている草花のスケッチだった。源の手が握る鉛筆がさらさらと紙の上を滑るたびに、風に揺れる可憐な花が見えるようだった。  ーーわあ……! もっと描いてもっと描いて!  泣いていたことも忘れて、その腕に夢中でしがみつく篤郎に、源はちらりと視線をやると、黙って鉛筆を走らせた。  それからも源の傍をまとわりついているうちに、篤郎は自分が見ている世界と源が描く世界には違いがあることに気がついた。例えば、目の前の木々にじっと目を凝らす。これまで篤郎は、緑には一色しかないと思っていた。それが源の手にかかると、実はさまざまな色を含んでいることがわかった。  薄い若葉色をした葉に葉脈が見える。影が落ちているところは、苔のような深い緑色だ。灰みがかった青緑色や、まるで空を写し取ったようなきれいな緑色……。源の手から迷いのない線が引かれるたびに、真っ白な紙の上で植物や生物が生き生きと動き出す。  幼かった篤郎の目の前で、キラキラしたものがぱちんと弾ける。それは顔の前で手を叩かれたような衝撃だった。目の前で繰り広げられるもの全部が、まるで手品か魔法のように思えた。  源の目に、この世界はいったいどんなふうに見えているのだろうーー。

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