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第30話

「代わりに話を伺います。それで事故というのはどういうことなんですか? ええ。駅前の西片病院ですね、わかります」  篤郎は、源がちゃんとした言葉遣いをするのを初めて耳にした。それが日下のためだと思ったら、そんなことを感じている場合じゃないのに、胸の奥がズキズキと痛んだ。同時にそんな自分にうんざりする。  電話を終えた源が篤郎たちのいるテーブルへ戻ってきた。 「警察からの電話で、相手は脇見運転だそうだ。携帯を見ていて、こいつの甥がいるのに気づかなかったそうで」 「それで甥ごさんは無事なのかね?」 「意識はあるみたいだけど、これから手術で、できたらきてほしいって」 「そうですか、それは不幸中の幸いでしたね」 「というわけで、俺病院までこいつを送っていくから」 「ああ、そのほうがいいですね」  篤郎は嫌だ、と叫びたい気持ちを必死で堪えた。源が篤郎を見た。 「あつもごめんな」 謝られたけど、篤郎は何も答えられなかった。本当は源にいってほしくなかった。でも、そんなことは言えない。  いまが焼き餅を焼いている場面でないことはわかっていた。篤郎にとって日下は苦手な相手だけれど、彼がいまにも倒れそうなのは仮病なんかじゃない。事故に遭ったと甥というやつは、日下にとってはよほど大事な相手なのだろう。わかっている。でもーー。  ずきずきと胸が痛む。俺って、こんなに嫌なやつだっただろうかと、篤郎は吐きそうになった。  そこでようやく日下は我に返ったようだった。 「申し訳ありません。私事で騒がせてしまって……。もう大丈夫ですから、日高先生たちはどうか私には構わず……」 「アホか! こんなときまで相手に気遣ってどうするんだよ。お前、全然大丈夫そうに見えないんだよ」  源がぺちりと日下の頭をはたいた。日下は源にはたかれた額に手を当てながら、驚いた表情を浮かべている。それ以上ふたりを見ていられずに、篤郎は顔をそむけた。 「ごめんな。メシはまた今度」  髪をくしゃりとかき混ぜられる。  ごめんて何が? 約束を破ったこと? それとも、自分ではなくて日下を選んだこと?  泣きたい気持ちを堪えながら頭の上にあった手を払うと、源が困ったものでも相手にするように肩を竦めた。 「篤郎くん、ごめんね。せっかくの日高先生との約束を……」  むしろ自分のほうが倒れそうな顔をしているくせに、この場にいる誰よりも日下が篤郎の気持ちを理解していた。  ーーお前が言うな。  ここまできてまだそんなことを思っている自分に、篤郎は反吐が出そうになった。 「じゃあな、あつ。気をつけて帰れよ」  ふたりの気配が自分のそばから離れるのを、篤郎は俯いたまま、じっと堪えていた。

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