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第34話

 源が飛び退くように下にいる男の身体から離れると、部屋の前で泣いている篤郎を抱き上げた。 「なんだ、お前なんで泣いている?」  珍しく焦ったような声を上げる源の腕の中で、篤郎は瞼を擦りながら、もうひとりの男がシャツを羽織るのを眺めた。シャツの裾からのぞく太股がやけに白くて艶めかしくて、見てはいけないものを目にしてしまった気がする。 「篤郎? おいどうした、篤郎?」  源に理由を訊ねられても、篤郎はどうして自分がこんなにショックを受けているのかわからなかった。ただぐずぐずと洟をすすり、源の胸元へと額を押しつける。 「ショックを受けさせちゃったのでしょうか?」  素早く身なりを整えた男が源に話しかける。それは、以前からときどき源の家ですれ違うことのある男だった。花園画廊の源の担当者ーー確か名前は日下という男だ。間近で見て初めて、篤郎は男がひどくきれいな顔をしていることに気がついた。邪魔をしたのは篤郎のほうなのに、日下は怒っているようには見えなかった。彼は篤郎を見て微笑むと、ごめんね、と囁いた。篤郎はふいっと反対側を向いた。そのくせ気になって、再度ちらっと日下を見た。  源が舌打ちをした。 「悪い、日下。きょうは……」 「ええ。失礼しますね」  男の長い睫毛がそっと伏せられる。肌理の細かい陶器のような肌に淡い影が落ちて、幼い篤郎の目にも美しく映った。  そのとき、男のすらりとした指が、篤郎を腕に抱く源の後頭部に触れた。引き寄せるようにそっと源に口づける。源はそれを避けるでもなく、男の好きにさせていた。  どくん、と篤郎の胸が鳴った。荒い波が立つように、ざわざわした不安が篤郎の胸を騒がせる。  源に触らないで。  なぜそんなことを思ったのか、そのときの篤郎にはわからない。すぐ近くにいるのに、源をどこか見知らぬ遠い場所へさらわれてしまうような気がした。篤郎は唇を噛みしめると、源の胸に顔を押し当てた。

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