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黒髪
帰りたくない。
放課後、立ち上がりながらどうしようもなくそう思う。
出かけるとしても、いつもなら一度部屋に寄ってカバンを置いて、着替えてから出る。
でも、今日はそうしたくなかった。
トイレの前を通り抜ける時、鏡を見る。大嫌いな顔がオレを見返す。生意気そうな目、まっすぐな鼻筋、薄情そうな薄い唇。くせのない黒い髪。前髪が半ば目を隠している。
あいつとそっくりな顔。オレより大人なその顔には、傲慢で冷酷そうな笑みが貼りついていた。
鏡を叩き割りたい衝動を堪えながら髪をかきあげる。
あいつも黒髪だった。
───髪を切りに行こう。
衝動的に思いついた。
学校の外に出ると、寮に電話をかけて、飯には間に合わないかもしれないので、飯は外で食べると言っておく。これで門限まで帰らなくて済む。
電話を切るとメールが来た。
月村先輩だ。
『いまどこ?』
無視しようと思ったが、いつものオレは、忠犬よろしく先輩のメールには即レスだったから、仕方なくメールする。
『ちょっと外出して来ます』
すぐに返信が来る。
『部屋に寄る?』
『もう出てるので』
戻れない距離ではないが、戻るつもりはない。先輩が部屋にいるなら尚更だ。
メールはもう来なかった。
コンビニで金をおろして、携帯で評判のよさそうな美容院を探す。
隣の駅の近くにある美容院に決めて電話した。
カットだけ頼んだら、『担当のご指名はありますか?』と聞かれた。
人気スタイリストに出ていた人の名前を言ってみる。
『……空いてます。では、お待ちしております。』
三〇分後に約束したから、急いで駅に向かう。
携帯で場所は調べてあったから、ギリギリで間に合った。
携帯をマナーにしてカバンに入れて店員さんに渡すと、ロッカーに入れて鍵を渡してくれる。
「今晩は、田村です。指名ありがとうございます」
いかにも美容師っぽい細身の身体。明るいくせのある赤髪の男の人が近づいて来た。
爽やかににっこり微笑みながら、店員から伝票を受け取ると目を落とす。
そして、伝票を見ていた目線をあげて、オレの制服を見て、ビックリした顔をする。
「え?高校生?」
「はい」
「うち、初めてなんだよね?高校生で初めてで指名とか初めてかも」
「生意気でしたか?」
オレは苦笑いした。
「いや、全然。指名されてナンボの世界だからさ。あ、タメ口まずいよね」
「いいですよ」
オレは微笑んだ。年上の人と話すのは先輩以外じゃ久しぶりだ。
「指名したのはなんか理由あるの?」
オレの髪をつまんだり、指を通したりしながら聞かれる。
オレは少し迷って、それから正直に話すことにした。
「評判よさげなとこ探して、ここが出てきて。そこに、写真が出てたから……
指名したら丁寧にやってくれるかなって。今日……ちょっと帰りづらくて」
「時間潰ししたい?それで制服なんだ」
「そういうことです」
話が早くて助かる。ちょっと考えて田村さんが言う。
「じゃあさ、よかったらカットモデルとかしない? 今日、店ヒマだしさ。髪形は選んでくれていいし、後輩が切るけど、最後はおれが整えるから。
途中とか最後に写真撮るけど、資料用だから、外には出さないし。料金もいらない」
「いいですよ。門限に間に合うなら」
門限を告げると田村さんは頷いた。
「助かるわ。結構いい長さで髪質いいんだよね。……カラーはだめだよね?気に入らなかったら後から戻すけど」
カラー。
鏡に映された自分を見る。あいつの髪は黒かった。
「……あまり派手な色でなければ」
「了解。」
終わったのは、門限にぎりぎり間に合う時間だった。
軽くなった髪を振る。
刈ったのが見えないツーブロックにマットアッシュのカラーだっけ。
またよかったらって、メアドが入った名刺を渡された。
暇つぶしにはいいけど、3時間ってどうなんだ?
カバンから携帯を取り出した。
もしかしてと思ったけど、月村先輩からメールが来てる。
『飯、食わないの?』
『連絡くれ。』
『何やってんの?』
『無視してんの?』
着信も入ってた。留守電を聞いたけど、2〜3秒無言で切れていた。
折り返しで電話してみる。……出ない。
はあとため息をついて切ると、メールをする。
『今から帰ります』
時々携帯を見ながら駅に急いだけど、メールも着信も来ない。
怒らせちゃったかな。
いや、怒る理由なんてない。
オレは仲のいい後輩だっていうだけの存在だ。
今朝のあれは、からかわれただけだ。
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